ヤミにのまれしモノたち! ~史上最強と謳われし最後の勇者バシュラムが魔王アズモウドとの婚約に至った経緯とその後の修羅場について~

海冬レイジ

序章 「俺は魔王と結婚する」と勇者は言った。

勇者、魔王と婚約す


 表題の通りである。


 この事件――もはや醜聞――に、当然ながら世界は揺れた。


 人界と魔界の双方が、そろって上を下への大騒ぎ。宮廷の貴婦人たちが気を失い、吟遊詩人は職を失い、教団は面目を失った。


 豪商たちはエクラ麦の買い占めを始め、大陸全土で暴動まがいの抗議活動が行われた。これが世に言う『エクラ麦騒動』……というのはさておき。


 くだんの世迷言がいかなる状況で飛び出したのか、まずはそこから見て行こう。


 それは〈大いなる探索〉最後の晩。

 勇者と呼ばれた若者が、魔界に突入した夜のこと――


    ◇


「決戦の前に、言っておきたいことがあるんだ」


 仲間たちを見回して、勇者は言った。


 精悍ではあるものの、絶世の美男というほどではない。

 体は細く引き締まり、いかにも俊敏そうである――が、それだけ。どこの騎士団にでもいそうな、平凡な容姿の若者だ。もとは黒髪だったようだが、まるで冠雪した山のように、全体に白く変色している。


 名はバッシュ。天魔王アズモウドを倒し、聖戦に終止符を打つと預言された者。


「今から、魔界に突っ込むわけだけど――」


 バッシュの背後には、人智を超えた異様な景色が広がっている。


 月明かりに浮かび上がるのは、どこまでも続く絶壁――通称〈世界の果て〉。

 人間の力では到底、突破できそうもない。しかし今、その中央に大穴が開き、別世界への入り口となっている。


 穴の向こうにはどす黒い雷電が弾け、紫色の空と、紅い森が見える。

 あちら側はいわゆる〈魔界〉で、人類の天敵たる魔族が住まう世界だ。


 その荒涼とした死の大地に、そびえ立つ大要塞こそ――

 勇者の最終攻撃目標。魔都〈天魔宮〉である。


「向こうが襲ってくるまで、こっちからは手を出さないって約束してくれ」


 仲間たち――いずれもうら若き乙女たち――が、そろってまばたきした。


 バッシュの信条は決して専守防衛ではない。むしろこれまで、砦だろうが迷宮だろうが、可能であれば迷わず先制攻撃で壊滅させてきたのに?


「何か、考えがあるんだね?」


 三人の仲間の中で、一人だけ甲冑を身につけた少女が言った。


 甲冑と言っても腕鎧、脚鎧、胸当てのみで、下に帷子も当てず、代わりに淑女がまとうようなひらひらの装束を着込んでいる。式典用の礼装みたいななりだが、これで問題なく実戦をくぐり抜けてきた。


 朝焼け色の金髪はまばゆく、ほがらかな性格を体現しているかのよう。目鼻立ちはくっきりとして、いかにも健康的な魅力にあふれている。


 一国の王女でありながら、騎士身分を持つ姫騎士アイ。彼女は勇者を信頼しきっている様子で、にっこり笑ってうなずいた。


「いいよ。わたしはいつだってバッシュを信じてる。だよね、エルトちゃん?」

「もちろんです」


 細いあごを引き、神官服の乙女が言う。


 三人の中では最も小柄で、線も細く、深窓のご令嬢といった雰囲気がある。

 対魔族の決戦兵器〈聖剣〉を勇者に与え、癒やしの加護で一行を支える聖女エルト。法王の庇護のもと、聖域にて育成された、教団の箱入り娘である。


 エルトは何か言いたそうにしたが、それはのみ込み、微笑んだ。


「この命、バッシュ様に託しておりますから」

「ありがとう。これから俺がやることは、きっと無茶苦茶に見えると思う。それでも……何があっても、俺を信じて、ついてきて欲しいんだ」

「貴方の無茶なんて、毎度のことでしょう?」


 と、からかうように言ったのは、一見して魔法使いとわかる女性。


 眼の意匠が縫いつけられた、つばの広い帽子をかぶっている。小脇に抱えた魔杖は既に臨戦態勢で、ぼんやり魔力の光を放っていた。


 この若さで既に魔法使いの頂点を極めたと言われる大魔導師マウサ。彼女は妖艶な流し目をくれ、バッシュの胸を指先でつついた。


「最後くらいは、楽をさせて欲しいのだけど?」

「その期待には……応えられると思います。お師匠」


 どうやら、自信はあるらしい。バッシュはそう請け合い、長いようで短かった旅の終着点、〈世界の果て〉に向き直った。


 決戦を前にして、一行の表情が引き締まる。それぞれの胸に、それぞれの想いが去来したはずだ。とりわけ感傷的になったのは姫騎士アイで、思い詰めたような、恥じらうような顔をして、バッシュの背中にささやいた。


「ねえ、バッシュ……。旅が終わったら、わたしたち――」


 何事か言いかけたアイを、聖女エルトが後ろから抱きついて止める。


 エルトはすねたような笑顔を向けて、


「抜け駆けはずるいですよ、アイさん」

「えへへ! この流れなら、行けるかな~って思って!」

「だめよ、二人とも」


 二人の肩に手を回し、マウサが釘を刺すように言った。


「そういう話は私を通してもらわないと。だって私はバッシュのモ――」

「ああああああ!」


 奇声を発し、マウサの言葉を邪魔するバッシュ。


「……それは内緒で。お師匠」


 情けない顔のバッシュを見て、乙女たちが笑い出した。

 もつれるようにじゃれ合って、きゃいきゃいやっている。


 女同士にしかわからない、特別な機微があるらしい。バッシュは若干の疎外感を味わいながら、しかし普段通りの彼女たちを頼もしくも思って、自然と笑みこぼれた。


 彼女たちとの旅も――今夜、終わる。


「行こう。7世紀に及ぶ戦争を、俺たちで終わらせる!」


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