2-8 着弾

「全隊一斉射! 用意―—――撃てェ!!」


 砲兵陣地に射撃号令が甲走る。


 108門の榴弾砲から噴き出した砲火がひらめき、白銀の世界はだいだい色に瞬いた。



 発生した凄烈せいれつな衝撃波が大気を張り飛ばし、雪上の雷鳴となって空と大地を駆け抜ける。

 その調べは戦場に轟く凶音きょういんの重奏となり、大陸を覆う雲海を貫いて、遥か高空にまで響き渡った。


 砲の上に展張された白い偽装網カモフラージュネットが激しく波打ち、舞い上がった雪煙と鈍色にびいろの砲煙が砲兵陣地をおおい尽くしていく。

 鉄の焦げる臭気とせ返る程に濃密な硝煙が、りんと硫黄をはらんであたりに漂い、兵士たちは眼を焼かれるような痛みに耐えながら、各々の責務を果たす為に奔走ほんそうした。

 

 白煙にかすむ砲兵陣地に「次弾装填」の号令が飛び交うと、砲弾を胸に抱えた装填手が一斉に動き始めて、周囲は喧騒けんそうの渦に包まれる。

 凄まじい砲音に聴覚を奪われた彼らが発する声は、喉を裂かんばかりの怒声どせいであった。


「砲兵連隊より射撃指揮所へ!」


 その只中、塹壕の中で無線を手にする士官が裂帛れっぱくの叫びを上げた。彼もまた強烈な砲声に耳を痛め、甲高い耳鳴りに聴覚のすべてを支配されていた。

 自分の声すらろくに聴こえず、今すぐ耳を塞いでうずくまりたい衝動をけて、握り締めた秒針時計ストップウォッチを睨み付ける。


「効力射、射撃完了! 着弾まで17秒!!」


 秒速700m―—時速2,520kmで射出された砲弾は空気を切り裂き、壮烈な風切り音を地上に残して曇天どんてんの空へと飛び去っていく。



 くして、108発の砲弾はに向けて放たれたのである。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 やったぞ! 命中だ! と彼は思った。

 いや、思ったのではない。気が付けば叫んでいた。

「やったぞ! 命中だ!!」


 その表情は歓喜の色に満ち溢れ、抑えきれない感情が二の句となって飛び出した。


「ざまァみろ!!」


 興奮冷め止まぬままに声を張り上げた先には、空に残された対空砲弾の煤煙と、大地から立ち昇る黒煙を背にして、遠ざかっていく白い爆撃機がいた。




 落下した爆弾が雪面をえぐって作られた着弾跡クレーターの中、身をうずめるようにたたずむ車輌は、自走対空砲の群れである。


 数にして六輛。ハーフトラッ半 装 軌 車クと呼ばれるこの軍用車輛は前半分はタイヤを、後ろ半分には戦車を思わせる履帯りたいまとった特異な外貌を持つ。


 広い荷台の上には1インチ機関砲を二門備える対空砲座と、これを取り囲む兵士の姿があった。

 車長、砲手、観測手、そして弾薬手から成る四名が、ハンナの機体を迎え撃ったのである。


 そのうちの一人――先ほど高声を上げた兵士は、腹の底から湧き上がる興奮に頬を上気させ、ぎらぎらと輝く瞳で空に向けられた砲身を誇らしげに見つめていた。


 灼熱した二本の砲身からは白煙が立ち昇り、これを見る彼の表情は、強いモノに憧れを抱く少年のようであり、実際彼はよわい15の少年であった。


 大きな弾倉マガジンを両腕に抱える少年兵は、重戦車味方を守れた事に高揚し、喜びに戦慄わななく身体で足元の空薬莢からやっきょうを蹴り落とした。

 熱が残る大きな薬莢が泥に触れ、蒸発音が辺りに響く。


 彼が抱えるマガジンは1インチ25.4mm砲弾を15発収め、その重量は20kgにも達する。

 これをたった数秒で撃ち尽くす対空砲にひたすら弾薬を供給する――途方もない労力を強いられる《弾薬手》を担う少年兵は、敵機ハンナを撃退したという功績に、腕に食い込んでくるマガジンの重みすら心地良く感じていた。



「……もう敵機は来ないかも知れんな」


 荷台の上で双眼鏡を覗いていた車長が呟き、黒い雲海を見上げた。まなじりから伸びるしわは刻み込まれたように深く、彼の軍歴の長さを物語る。


 おもむろに胸ポケットから煙草を取り出すと、焼けた砲身でマッチを擦って火を着けて、むさぼるように深く吸い込む。視界がかすむ程に濃密な紫煙を吐き出すと、もやのように漂った。


「確かに――」車長の隣に立つ観測手も煙草を取り出す。

「先ほどの爆撃から数分経ちましたが、敵に動きはありませんね」

 覗き込んでいた長さ1m程の大きな筒――測距儀レンジファインダーを肩に乗せ、片手で器用にマッチを灯した。


「あの攻撃が最後だったんでしょう――」

 対空砲座に備え付けた椅子イスを軋ませ、砲手が振り返る。彼はしきりに濃緑色オリーブグリーンの上着をはたき、次にズボンのポケットをまさぐっていると、車長が笑って煙草を差し出した。「最後だったのはお前の煙草のようだな」


 煙草をくわえた砲手と車長は顔を寄せ、煙草に灯る小さな火と、一時ひとときの勝利を分け合った。


 皆一様に喫煙という戦場で許された数少ない娯楽に専心し、張り詰めた緊張をほぐすように煙草をゆっくり灰にしていく。三本の揺蕩たゆたう煙が彼らの頭上で雲を描き、後ろに控える少年兵が顔をしかめた。


「あ、あの……」おずおずと口を開くと喫煙組の3人が揃って振り向き、不安とも不満ともつかぬ少年兵の表情を一瞥し、車長が口角を吊り上げる。


「なんだ、お前も吸うか?」肥満気味に突き出た腹をさすりながら、彫り深い顔に悪戯の色を張り付けて煙草の箱を突き出す。


「いえ……そうではなくて――」


 危険な前線でド派手に煙草の煙を上げていいのか、少年兵は胸中で呟いた。

 しかし二等兵という、軍隊での立場にある彼は、わざわざ上官に言う内容ではないと思い直し、身を引くように一歩下がった、その瞬間――


「うわっ!!」 

 足元に落ちていた空薬莢を踏み、少年兵は抱えていたマガジンを放り出すようにして尻から倒れ込む。その姿に三人は思わず吹き出し、ハーフトラックの上は笑いの渦に包まれた。


 笑壺えつぼからいち早く抜け出した車長は、腰をかがめて手を差し伸べる。


「前線でド派手に煙草の煙を上げていいのか――お前はそう言いたいんだろ」


「……!」

 少年兵が驚いたように目を剥き、その身を硬直させた。痛めた尻を撫でる手も今は動きを止めている。


 その理由は、車長が少年兵の胸中を完璧に言い当てたから――ではない。

 車長の肩越しから遠く望む緩やかなに、彼は意識のすべてを奪われていた。


(――が光った……?)


 尻餅を着いたまま一向に手を掴んでこない少年兵から、只ならぬ雰囲気を感じ取った車長は、眉間のしわを一層深めて振り返った。


「どうした?」咥え煙草で双眼鏡を覗き込む。

「――何も居ないじゃないか」

 

 車長のいぶかしむ表情を見た砲手が、少年兵を攻め立てる。

「ビビってんじゃねェぞ、新人」吸い終えた煙草を投げ捨た。「お前の仕事はだ。しっかり任務に当たれ!」


「はっ……はい!」

 激を飛ばされた少年兵は、足元に転がる空のマガジンを幾つも拾いながら小さく嘆息した。人力で行う装填作業弾込めはひどい重労働である事を、身をもって知っているからだ。


 対空部隊に配属された新兵は《弾薬手》を務めるという通過儀礼があり、様式美としょうしたに少年兵は辟易へきえきしていたが、彼には胸に秘めた目標がある。


(いつかこの手で、敵機を叩き落してやる……!)

 少年兵は決意の炎を瞳に宿して、対空砲を熟視する。


 弾薬手下っ端ではなく、砲手になって直接敵を討つ――その機会は彼が思うよりもずっと早く、そして唐突に訪れようとしていた。

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