縁側のあなたと

しらす

出会った春

 明晴あきはる叔父と初めて出会ったのは、私が小学五年生の時、親戚の葬儀でだった。

 季節は春だった。親戚も葬儀も初めてで、何が起きてどうして知らない場所に連れて来られたのかも分からなかった私は、庭の花々が綺麗だったことだけを鮮明に覚えている。


 その葬儀が誰の葬儀だったのかも覚えていない。と言うよりも、私は親戚というのがどういう人たちなのかも分かっていなかった。当然「○○さんのお葬式よ」と言われても、私にはどこの誰かも分からなかった。名前さえ覚えていない。


 訪れたのは車で二時間ほどの田舎にある父の実家だった。そこには父と父方の祖父母の親戚が集まっていたらしい。私は大人たちの名前を次々に聞かされた。混乱しながらおうむ返しに名前を呼ぶのが精いっぱいだった。

 ただ、父の兄弟で私のおじやおばに当たる人は、みんなどことなく顔が似ていた。事情が呑み込めていなかった私でも、ああこの人たちは父の家族なのだとすぐに分かった。

 その兄弟の中で、一番下の明晴叔父は少し歳が離れていてた。細い銀のフレームの眼鏡を掛け、若々しい顔をした明晴叔父は、父のような「大人」というよりは、何となく「若いお兄さん」という印象だった。


 葬式が始まるまでも終わった後も、私は何もすることがなく、ぼうっと座っているしかなかった。棺が出ていくのを見送った後、両親は一緒に行ってしまい、残された大人たちはそこかしこで固まって長話をしていた。その話の内容もさっぱり分からず、暇を持て余していた私を、そっと連れ出してくれたのも明晴叔父だった。


 皆と離れて一人広縁に座っていた明晴叔父は、散りかけた庭のすももの木を眺めながらお酒を飲んでいた。どうして一人でいるのかは分からないけれど、そのたたずまいは他の大人たちと違って、とても静かだった。庭を眺める叔父の横顔は穏やかで、眩しいのか遠くを見ているのか、何かを思い出しているのか、細くすがめられた目から窺う事は出来なかった。


 私は近付いてよいのか離れた方がいいのかも分からなかった。けれどその横顔を見た瞬間、私はどうしても隣に座りたくなってしまった。

 春の柔らかな日に照らされ、眼鏡のフレーム越しに見える叔父の目は、他者の侵入をどこかで拒んでいるようにも見えたし、同時に誰とも分かち合えない思いを一人で消化しようとしているようでもあった。その、一目見て容易に埋まらない空白が私を引き止めたのだと思う。


 私はそっと近寄って行って、叔父から一歩だけ距離を置いて隣に座った。

 叔父は振り向きもしなかったけれど、私を追い払いもしなかった。大きな掃き出し窓の向こうを見つめたまま、ゆっくりとお猪口を口に運び、目を閉じて傾ける。こくりと喉が動くと同時に、またゆっくり手を下ろす。そうして静かにお酒を飲み続ける叔父を、私は膝に頭を乗せてじっと見ていた。


 どれくらいそのまま動かなかったのだろうか。不意に明晴叔父は振り向いて、私にお猪口を差し出した。

美祢みねちゃんも飲むかい?」

 すうっと目を細めて、叔父は少し微笑んでいた。美祢というのは私の名前だ、と気が付くのに数秒かかった。自分の名前なのに、まさか叔父に呼ばれるとは、その時の私はまるで思っていなかった。


「いただきます」

 驚きながらも手を伸ばして受け取ろうとすると、叔父はふっと目を見開いた。それから慌てたようにお猪口ちょこを持った右手を引っ込め、左手で遮るようにひらひらと振った。

「駄目だよ、こんな誘いを受けちゃ」

 そう言って立ち上がると、叔父はお猪口を持って台所へ行ってしまった。私は何が駄目なのかも分からないまま、その場に取り残された。あっけなく立ち去った叔父に、しばしぽかんとしていた。


 その気持ちを何と例えていいのか分からない。寂しいとか、期待を裏切られた悲しさとか、そういうものとは違っていた。いや、あるいはそうだったのかも知れない。ただ今思い出してみれば、一番は叔父がその場を離れるとは思っていなくて、予想外の事に頭が付いて行かなかったのだと思う。


 けれど、立ち去ったと思った叔父はすぐに戻って来た。再び座るのかと思ったら、叔父はポケットに財布を入れながら私に手を差し出した。

「散歩に出ようか、美祢ちゃん。少し歩くけど、まだ花見会場が開いているから」

「はい、行きたいです」

 頷いて伸ばされた手を取ると、しっかりと握って立たせてくれた。

 父よりも少し細い叔父の指は、けれど温かく骨ばっていて、つないだ指の先から全身に体温が伝わってくるような気がした。その温かさのせいだろうか、私の体はそのままふわふわと空へ昇って行ってしまいそうな、足がとても軽くなったような気分になった。


 二人で見に行った淡いピンクの桜はとても綺麗だった。叔父が買ってくれたタコ焼きを食べて、桜を眺めて過ごしたその時間は、葬儀で来たという記憶を塗り替え、とても楽しい思い出となった。

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