問い
かおりさん
第1話
『問い』
講義が終わって、ノートに書き込みをしていると、気が付けば私一人で、先生は黒板を消していた。
私は質問があって先生の元へ行き、先生のお話を聞いてお礼を言い廊下に出ると、後ろから先生の足音がした。
エレベーターの前に立ち、ボタンを押して私は階段へと降りて行った。先生と2人でエレベーターに乗るのが気恥ずかしかった。
1階へ降りて、フロアの隅のベンチに座ってエレベーターを見ていた。途中の階でエレベーターは止まっていた。
数分か、10分以上経ても、先生はなかなか降りてこなかった。何となく待っているような気持ちになり、胸がどきどき弾む気持ちになった。
そして、エレベーターが動き出して、先生が降りてきた。先生が歩いて行く後から、私も同じ方向へ歩いて、建物の外へ出でてからは、先生の足跡を一歩この場所、と見ては同じようにその足跡の上を歩き、また次はこの足跡と見ては先生の足跡を歩いた。
私は、その一歩いっぽが嬉しくて、しばらく足跡をたどり、先生は別の建物へ入って行った。私は先生の後ろ姿に一礼をして構内を出た。
あの構内のアスファルト。先生をたどり歩いた日を思い出すと、今もすぐそこにあるような気持ちと、遠い遥かな時の中の私。
先生が講義で話す文献を探したり、先生の論文を図書館でコピーしてもらって、その先生の資料を胸に抱えて歩く街並みに、資料を読めることの心浮き立つ想いに一人顔をほころばせる。
先生の論文の文章の独特な書き方が好きで、「何々であろう」とか「ここに見いだしたいと考える」など表現を真似てリポートを書いた。
先生がさらりと触れた文献を探して、何軒もの古本屋へ行き探すがどこにも無くて、最後に国立国会図書館へ行ってやっと見つけた。
コピーをしてもらって、さあ読もうとしても古典のかな文字で書かれていて、現代語訳も出版されていない。古語辞典で調べながら、ようやく1ページを読むことができた。
私は、これは一生をかけて読む本だ、と思った。その文献を、とても、もても大切にしていた。今でもまだほとんど読みきれていない私の宝物。
先生の講義は終わり、学部が違ったので、もう先生の講義を受けることはなくなってしまった。その最後の講義の後、先生の足跡を一歩いっぽたどった記憶。
あの日以来、先生の面白い資料文献に、新しく触れることは無くなり、うら寂しい思いをしていた。
そして、先生の講義を思い出しては、学んだ文献を読み直し、本棚の本を見ては先生を思い出し、先生の講義の時のノートを見てはまた思い出し、そうして記憶をたどり、今という過去からの未来の今に、毎日まいにち連続する中で、想いがやがて念のように変わっていった。
そして、少し病気のようになってしまった。先生を想い眠り、起きてまた先生を想い、眠っている床に、もう自分も床になってしまうのではないか、と思うくらい床に眠った。
苦しい嘆きの眠りの中に、ついに私の魂は先生に逢いにいってしまった。
先生はたくさん机を並べた部屋にいた。机には本や資料が山積みになっていた。先生の机の右隣に別の先生がいて、二人は椅子に座ってお互いの方向を向いて話していた。
私は先生の右後ろに立ち「先生、私結婚するの、先生と結婚するの」と言いながら先生の右横に動いて、先生のお顔を見ながら消えた。
私は目覚めて、今のは夢?と思ったが、その部屋の雑然とした雰囲気が具体的で、先生ともう1人の先生の表情が生命感と生活感があった。とにかく先生に逢えて心が満たされ嬉しかった。
その後、先生と会うことは1度もなかった。
私は先生に逢えたことで、気持ちが救われたように思えた。不思議な現象のような一瞬の空間だったが、先生にお逢いしたことで気持ちが落ち着き、私の時間の流れの生活に戻っていった。
それから十数年後、ある会に出席した時、先生を見かけた。先生はお変わりなく、あの日のままの先生だった。
私は先生に近づき、先生の講義を受けた事があります、と話しかけた。先生は笑顔で聞いてくれた。
私は思いきって「実は、一度先生に逢いにいったことがあります」と、あの具体的でありありとした体験を話した。
先生は、はっと驚いた表情をして、遠いまなざしで私を見つめた。
先生は私の存在を感じとっていてくれたのだ。あの遠い日に。私は生霊となって先生に逢いに行っていたのだ。先生は私の顔を見ながら、頷いてくれた。そこで私は確証した。今生きている私があの日以来に再びに先生に逢えたことを。
ここで逢えたのだ、今言わなかったら一生伝えることはない、と思いおもいきって話した。「最後の講義の日に、先生と同じエレベーターに乗る機会があったのですが、あの時は内気で同じエレベーターに乗れなくて、ずっと後悔していました。」と話した。
先生はただ静かに聞いていてくれた。深いまなざしで私を見てくれていた。私は先生に逢えた嬉しさに、この空間の中に存在している私の奇跡の幸せに包まれていた。
先生にお逢い出来た喜びを伝えて、その会場を後にした。あの日のような心弾む私の歩み。もう想いが念に転じることもない。
よく、自分のために生きよう、という言葉を聞く。だけど私は、自分のために死のう、と思う。これは自死のことではない。自分のために死ねるように生きよう、ということだ。時が経てば自然の流れに沿って、時が流れてくれる。その時は、その時々に違う。その中での一つの鴨川の時の流れは、今も冥助と共にある。
生霊となった私がその後も生きた。その生きてきた道は正しかったと確証する夢がある。夢に確証するとは頼りないことだが、その現象はあった。たとえ夢であってもその現象はあったのだ。
先生に質問をすれば良かった。
あの時の私の気持ちは何だったのでしょう。
先生は気づいていてくれましたか。
問い かおりさん @kaorisan
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