死体の裏には影ひとつ

Yuu

殺人螺旋

#1

 ああ、なんて不愉快なのだろう。

 少女は項垂れ、焦点も合わぬ目でただ呆然としながら、薄く光る天井の丸灯を見て、そう思った。

 少し湿気を帯びた部屋の中で、肌と肌のぶつかり合う乾いた音がする。同時に、男の吐息を帯びた喘ぐ声と、前後運動によってベッドが軋む音が耳に入った。それが、少女が現時点で感じている不愉快さを強調させる理由でもあった。

 少女の耳元で、男の喘ぐ声がした。男の身体が小刻みに震え、直後、自分の腹部の辺りに生温かい感覚が走る。

 あぁ醜い、醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い……。

 この感情を抱くのも、全てはこの男のせいだ。

 下校途中に背後から襲われ、抵抗も出来ない中で気が付けばこの建物へと連れ去られた。その上、大切な人に捧げる筈だった純潔すらも奪われたのだ。この、醜く肥えた男に。

悲哀、怒り……形容できない感情の波に少女は翻弄される。

 けれど、今の少女にできるのは、ただ涙を流す事だけだった。


 男はようやく少女の上から動き、ベッドから降りた。そして、行為で乾いた喉を潤すべく、水を取りにキッチンへと向かう。

 直後、犯した女が抵抗してこないだろうとタカをくくって背を向けた男は、その考えを後悔する羽目になる。

 少女に背後を見せた男は、後ろからベッドライトを片手に迫る少女の殺気に気付けず、違和感を感じて頭のみを背後に向けた瞬間には、もうライトは目の前まで迫っていた。

 ガッシャーンという破裂音と共に、ベッドライトは男の頭を割る。粉々になったガラスは辺りに降り注ぎ、男の頭から吹き出した鮮血は、まだ若干人の温もりを残したベッドの白いシーツに朱い飛沫の柄を齎した。

 それでもまだ、少女による不意の一撃を喰らっても男には息があった。微かに動く男を見て、少女はすぐそこにあった鋏で背中を刺した。もがき、暴れる男を死にもの狂いで抑え、泣きながら必死に何度も鋏で背中を刺す。しばらくしてから男がピクリとも動かなくなった所で、少女は肩の力が抜けると共に馬乗りになっていた男から降りた。

 チカチカと、もう間もなく切れそうな電灯の灯る部屋が、再び静寂に包まれる。だけれど、数秒後には少女の啜り泣く声が部屋に虚しく響いた。

 慟哭する中で、少女は少し冷静になりながら自らが犯した罪を自覚した。例え、これが正当防衛だと言われても、自分は男を殺したのだ。


 手の内に残る、"誰かを殺す感覚"。

 

 大粒の涙が、座り込んだカーペットへと一つ、また一つと染みを作っていく。けれど、そんな涙に反して、少女の口は笑っていた。


 辺りに散らばる赤い硝子と、刺された数箇所の傷からとめどなく溢れ、身体を伝って床へと流れ落ちて行く赤黒い血液。

 最も、男のその様が、


 少女にはまるで、美しい花の花弁の様に見えたのだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 十二月二日、午前六時。

 まだ陽も登らず、暗い道を街灯の灯りが照らす中で、一人の青年─神崎京介が歩いていた。

 吹きすさぶ冷たい風の中で、悴んだ手を温める様に息を吐く。白い吐息は、一瞬だけ指を暖めた後、蒸発するように空へ登り、直ぐに見えて無くなった。

 遂にやってきた冬という季節。世の中の風潮とは違い、それがどうも京介は好きになれない。

 再び吹いた、強めの風が身体を震わせる。やっぱり、冬は嫌だ。そんな感想を抱きながら、彼は歩みを続けた。

 街灯の明かりが規則的に並ぶ街の中を抜け、気が付けば家が建ち並ぶ住宅街に入る。

 横を通りながら目に入る家々を見ても、まだこの街は眠りついている。それでも空を見上げれば、遥か先には登り始めた太陽が薄らと顔を出し始めた。

 朝と夜の境界線が空に浮かぶ。京介は、こんな朝の時間が好きだ。その一瞬だけは、この冬の冷たさを忘れる事が出来た。

 しばらく歩き続けると、こんな時間から歩き続けていた京介の目的地がそこにあった。

 目的地の前で立ち止まり、その建物を見上げた。

 ……四階建てのビル、最も外観は廃墟そのもの。

 劣化し、ヒビの入った外壁や、いくつもの割れたまま放置された窓ガラスが、その感想を増長させる。

 漫画やアニメなら、間違いなく悪い奴が屯ろたむろしている様なこの建物の中に、京介の"職場"はあるのだ。


 ビルの中へと入ると、螺旋状に繋がるコンクリートの階段がまず目に入る。その横にもエレベーターがあるが、そんな物には目もくれずに、京介は階段の方を選んでから登り出す。

 初めて来た時は、上に上がるボタンを押して律儀に待っていたが、いつまで経っても来なかった。聞けば、電力回路が破損しているらしく使えないらしい。

 かと言って業者が修理も来る訳でもなく、また業者に修理を頼める程の余裕もない。だから、あのエレベーターは一生あのままなのだろう。

 しばらく階段を登り続け、二階、三階と素通りしてから行き止まりの四階に辿り着く。

 ポケットを探り、そこから鍵を取り出すと差し込んでからドアノブを捻る。

 ドアが開く音が階全体に鳴り響く中で、京介はようやく建物の一室へと入れた。


 部屋の中は明かりが付いておらず薄暗い。故に中がよく見えないが、感覚で照明のスイッチを探り当て、電気を付けてから事務所の奥へと進む。

 そして応接間と呼べるような呼べない様な、ソファが机を挟んで真向かいに置かれた部屋へと鞄を下ろすと、暖房のスイッチを入れ、机の上に置かれたコーヒーメーカーにコーヒー粉と水をセットしてから電源を入れた。

 ズズズズという、機械が水を吸い込む音が鳴った後、コーヒーのいい匂いが京介の鼻腔を抜ける。

 そんな匂いに釣られる様、応接間の奥から如何にも寝起きという雰囲気の女性が欠伸と共にやってきた。


「ん……おはよう、少年」


 欠伸を噛み殺しながら、女性は言う。

 黒のタイトスキニーと、何日替えて無いのか分からない程に皺だらけの白いワイシャツを着た女性。ウルフカットに、綺麗な碧色の瞳。寝癖を直し、服装もきちんとしていればそれなりに美人であるのは、風貌からも察することが出来る。

 名を、相沢絵奈。

 ここ、『相沢不可解事件相談所』の所長であり、だ。


「あれ?そういや……こんな時間に何で少年が?こんな事言えた立場じゃないが、高校くらいはちゃんと行った方がいいぞ?」

「あの、寝惚けている所申し訳ないですが、今日は土曜ですよ」


 近くの壁に掛けてある日めくりカレンダーを指さし、京介は絵奈へと訴える。よく見ると、カレンダーは一月二日から捲られていなかった。仕方が無いので、スマホを出してから日付を見せる。


「失礼、暦を見る習慣が無くてね」

「全く……はい、コーヒー入ってます」

「ありがとう、頂くよ」


 棚からコーヒーカップを二つ取り出すと、淹れたてのコーヒーを二つのカップに注いで、片方を絵奈へと差し出した。

 絵奈はそれを受け取ると、机の上にあったスティックシュガーを六本を程 封を開け、六本纏めてコーヒーへと注ぎ入れると、オマケにミルクも二つほど入れてからしっかりと混ぜてから口へと運ぶ。

 唖然とする京介を尻目に、絵奈はそれを美味しそうに啜った。


「……?どうした、少年?」

「いや、よくそんなモノ飲めるなって」

「私からすれば、好んでそんな苦いモノを飲める方がおかしいけどね、あー美味し……」


 別に京介も、甘いものは嫌いな訳では無い。

 単純に、絵奈のソレは余りにも常軌を逸している。あと、砂糖が勿体ない。

 絵奈と出会って十年経つが、京介にとって未だに受け止めきれない要素の一つだった。

 そんな絵奈を見ながら、京介は砂糖もミルクも入っていない黒い液体を胃の中へと流し込んで行った。

 それから無言の時間が続く中で、絵奈は退屈しのぎにテレビを付けた。

 丁度、この時間のテレビはニュースをやっていて何やら物騒な事件が流れてくる。

 なんでも、とある建物の中で複数の死体が見つかったらしい。

 屋上から転落したと思われる死体、ロープで首を吊った死体、首を刃物か何かで切られた死体に、極めつけはその建物の屋上で溺死体が見つかったらしい。

 最後の四人目を除けば、自殺か何かだろうという感想が湧く。三件目も他殺と言われれば他殺だが、なんでも現場近くに本人の指紋付きの刃物が落ちていたらしい。

 それに、驚いたことに発見現場はここからそう遠くない場所だった。


「でも、変ですね。」

「何がだい?」

「屋上で溺死体が見つかるなんておかしくないですか?あの現場、僕も近くを通った事はありますが近くに川なんてありませんし、あんな建物に水道が通っているなんて思えません」


 現場の映像を見る限り、崩落寸前の廃墟の様なモノだった。外壁の一部は剥がれ落ち、ツタの葉なんかは伸びに伸びまくって壁面を覆っている。恐らく、長い時間人の手が加わっていない証拠だ。そんな建物に水道が未だに生きている可能性なんてありそうに無い。


「まぁ、別にペットボトルの水でも溺れはするからね。"乾性溺水かんせいできすい"と言ってね、吸い込んだ冷たい水によって咽頭部が痙攣を起こし、酸素の通り道を防いで窒息するんだ、寒いこの時期なら冷たくなった水でそうなる事も有り得なくはない。まぁ、この件がそうだとは断定しないが」


 そう言いながら、絵奈はつまらなそうにしながらチャンネルを変えた。変えた先でも、同じ内容のニュースをやっていて、遂にテレビの電源を落として、絵奈は咥えた煙草に火をつける。

『朝から嫌なニュースばっかりだね』なんて笑いながら、口から白い煙を吐く。それは、京介も同じ気持ちではあった。


「さて、折角だから授業でもしようかな。こんだけ物騒な世の中だ、自分の身は自分で守れる様にしないとね」


 そう言うと、絵奈は半分ほど吸った煙草を灰皿に押し付け、立ち上がってから大きく伸びをした。

 それから、わざわざ反対側のソファへと座り直す。


「魔術師から、魔術の授業だ。感謝するといい、偉大な師を持ったことをね」


 何処か得意気そうにしながら、絵奈は授業を始めた。


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