銀の眼鏡と魔術師の碑

藤田桜

前編


 先の疫病で失われた国王陛下の視力を取り戻せよ、と命じられたのは高名な魔術師アフ・アカブ。彼は、眼鏡に神聖文字の呪文を刻むことによって常に魔法が発動するようにすることで、その術式を以て、見えぬ石の玉に成り果ててしまった御瞳に再び光を灯さんとしたのである。縁取りは、月の神殿長ツィバム・ウフが献上した銀の首飾りを鋳潰して作られることとなった。

 しかし、その製作は容易ならざる道であった。磨いたガラスにまじないの言葉を彫ろうとする度に、思わぬヒビが入ってしまうからである。彼の屋敷には幾千もの薄片が捨てられ、散らばっていた。

 三百六十の日が昇り、三百六十の日が沈んでなお、アフ・アカブは芳しい成果を上げることができなかった。宮廷の貴族連が囁きあうには「もはや陛下が統治を続けることは難しいのではないか」。王弟であるボロン・カウィールを新たな支配者に推す声さえ聞こえる中、彼は黙して眼鏡を作りつづける。

 妻であるチチュが問いかけた。

「旦那様、いつまでお続けになるのですか」

「……献上する品ができあがるまでだ」

「このままではお体を壊されてしまいます。お休みになってくださいませ。今日は猪の肉が入ったんです。蒸し風呂の用意もしております。ですから、どうか――」

 彼女の言葉が届くことは無かった。アフ・アカブはえがきつづける。あらゆる材質のガラスに。あらゆる小刀をもって。幾度も、幾度も。

 蓬髪が作業の邪魔にならないように後ろで一つに括れば、ひどく落ち窪んだ眼窩と痩せこけた頬が露わになった。ほっそりとした顎を針のような髭が覆っている。最後に服を着替えてから久しく、今にも倒れそうな姿は、まるで地下界の悪霊のようであった。


 そして、七百二十日目の朝、ようやく任務を完成させたアフ・アカブがそれを、質素ながらも上等な布で包み、国王陛下の下に運ぼうとした時のことである。太陽神に仕える神官たちが彼の屋敷に押し掛けた。彼らは、アフ・アカブが年の初めの祭儀に欠席したことを咎めるためだと告げたが、あからさまなことに、彼らが罪の代償として求めたのは国王陛下に献上すべき眼鏡であった。

 レンズを縁取る銀の装飾の出どころは、彼らと敵対する月の神殿。それでツィバム・ウフの一派が君主に恩を売れば、当然太陽の神殿を司る貴族たちが面白く思うわけがない。この茶番は、宮廷の権勢争いによるものであった。

 アフ・アカブは咄嗟に妻の居室へと駆け込み、何を語ることもなく包みをそっと手に握らせた。神官どもの呼ぶ声が聞こえる。縋るチチュを顧みもせず、彼は部屋を出て行った。

 ――その日の晩、王の忠実なる下僕、魔術師アフ・アカブは、太陽神の名の下に処刑され、生贄に捧げられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る