11_愛しの人

 まっすぐ、倉内は花畑に一人たたずむ人物を見ていた。春野には、黒瀬の姿に見えていたが、どうやら倉内には、全く違う人物に見えているようだった。

 

「あれは、ダーカーだ。自分の姿を会いたい人物に見せる影術えいじゅつを使う奴もいると聞いたことがある。あいつは、人の会いたいという欲望につけ込んで、俺たちの魂をむさぼろうとしている」 


 倉内は、ダーカーの方を警戒けいかいしながら、春野にそう伝える。


「ダーカー……初めて聞く。私達にとって良くない何かなの」


 春野はまだ、影の世界アンブラに来てから、ダーカーにあったことも、聞いたことすらなかった。ダーカーの存在を知らないのも無理はない。 


「ああ、俺には、あいつが亡き妻の姿に見える。妻は、ダーカーとダーカーを操る男に殺された。俺の目の前でな」


 倉内は、悲しい過去を思い出しながら語った。


「じゃあ、本当にあそこにいるのは黒瀬くんじゃなくて、ダーカーってこと。にわかには信じられない」


 すると、黒瀬に化けたダーカーが、春野の方を見て惑わすような言葉をかける。


「春野、だまされるな!その男は、嘘をついてる。そいつが、ダーカーなんだ!」


 ダーカーの言葉に、春野は思わず倉内から少し距離をとった。


 どっちの言葉が真実なの……。


 黒瀬か倉内かどちらがダーカーなのか、見た目では判断することができなかった。


 直感を信じるしかない。


 春野は、まっすぐ倉内の方を見た。


「私は、あなたを信じる」


 春野がそう言うと、倉内は一言言った。


「いい判断だ」


 黒瀬の姿をしたダーカーは、春野が倉内を選んだのを見て、急に顔面に影を落とし、狂ったように叫んだ。


「どうしてだよ、春野!僕のことを信じられないんだ!どうして!どうして!!どうしてぇえええ!!!」


 ダーカーは叫びながら、目の前に、小さな漆黒の球体を作り出した。ダーカーが春野に攻撃しようとする挙動きょどうを倉内は見逃さなかった。


 いない。


 春野は、目の前にいたはずの倉内を見失っていた。


 ダーカーが漆黒の球体を作り出したと同時に、倉内はダーカーの近くまで移動し、影で剣を作り出していた。


 そして、ダーカーの首めがけて剣の刃先を振り下ろす。危険を感じたダーカーは、咄嗟とっさに倉内を惑わす言葉を放つ。


「愛してるわ、あなた……」


 事実、その一言は倉内に対して最も効果的な言葉だった。倉内には、ダーカーは亡き妻の姿に見えていた。目の前にいるのが、ダーカーだと分かっていたとしても、彼にほんのわずかな心の隙を作り出すには十分すぎる言葉だった。


 静音しずね……。


 亡き妻と過ごした日々と思い出が、言葉一つで倉内の頭を一瞬で駆け巡った。


 彼が振り下ろした剣先が進む速度が、ほんの少し、遅れた。


 倉内はダーカーが、にやりと笑うのが見えた。


「さよなら」


 ダーカーは指をくいっと倉内の方に動かす。


 すると、目の前の小さな球体が、弾丸だんがんのごとく倉内の心臓に向かって動き出した。迫りくる球体に、倉内の瞳孔どうこうが大きく開く。


 倉内の剣の振る速度と球体の進む速度とでは、球体の速度の方がほんの僅かだけ速かった。


 いつの間にか、鳥のさえずりが聞こえなくなった静寂せいじゃくに、何かを穿うがつ音がとどろいた。

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