漆黒の影隠師

東雲一

神ノ木山編

01_影隠し

 いともたやすくこの世界は、僕から大事なものをうばい去っていく。

 

 日が当たっていた日常は、漆黒しっこくに染まり、闇へと沈む。 


 この世界が、大切なものを奪い去ろうとするならば、僕は、きっと世界に立ち向かい続けるだろう。


 僕にとって大切なものを取り戻すためにーー。


 ◇◇◇


 青く澄んだ青空のもと、色鮮いろあざやかな花畑がどこまでも広がっていた。優しい風がそっと吹き抜けて、咲き乱れる花をかすかに揺らす。


 風に乗って、いくつかの花びらが優雅に宙を舞い、甘い花の香りが鼻の中に入り込んで来る。どこからか鳥の楽しげなさえずりが聞こえた。


 眼前に広がる光景すべてが、黒瀬にとって、太陽のようにまぶしく、輝かしく感じられた。


 黒瀬は花畑の中にいる一人の春野に目を向けた。彼女は、つややかな長髪ちょうはつなびかせて、優しげな表情を浮かべている。彼女は同じ高校生で、幼なじみだ。ひそかに、黒瀬は春野に恋心を抱いている。


 幼なじみで学校も同じだったこともあり、何かと彼女と一緒にいる時間が多かった。春野との日々を過ごすうちに、いつの間にか、黒瀬は彼女の優しさに、心奪われてしまっていた。


 一黒瀬が手を振ると、春野は手を振り返して、いつもと変わらない笑顔を見せた。


 何度、彼女の笑顔に救われたことだろう。つらい時も、くじけそうな時も、彼女に元気をもらえた。


 春野との時間の積み重ねが、黒瀬の彼女に対する気持ちを何倍にも、大きく膨れ上がらせた。あまりに大きくなりすぎて、心が苦しくなるくらいに。


 こんなにも彼女に対する思いで溢れているのに、どうして、こんなにも愛してるの一言が、遠いのだろう。


 黒瀬はいつまでも春野に気持ちを告げることはできなかった。ただ、彼女の優しく頬笑む笑顔だけが、どうしようもなく胸のなかにいつまでも残り続けて、いとおしい気持ちにさせた。


 僕は、臆病者だ。一花に思いを告げようとすると、やめておけと、頭の中のもう一人の自分が、語りかけてくる。


 黒瀬は、自信を持てずにいた。


 心のどこかで、自分がたいした人間ではない。人に好かれるような特別な人間ではないのだと思ってしまっている。


 伝えたいのに、伝えられない。自分のことなのに、そんな矛盾した気持ちを持つのは、なんだか不思議に感じられた。黒瀬は彼女に思いを伝えようとすると、いつも、口を閉ざしてしまっていた。


 何度、そんな自分を、情けなく感じたことだろうか。何度、拳を握り、悔しさを噛み締めてきただろう。今回こそは、思いを伝えたい。このまま、なにもできないまま。時が過ぎてしまわないうちに。


 黒瀬は勇気を振り絞って、春野に少しずつ近づいて思いを伝えようとする。


「い、一花。あ、あの、聞いてくれるかな!」

 

黒瀬の歯切れの悪い声が、響いた。


「なに、よく聞こえないわ。もう少しこっちに来てくれる」


 春野は、黒瀬の声をよく聞こえなかった。 彼女との距離は、まだ離れている。黒瀬は緊張し過ぎて、思わず距離をとってしまっていた。


 黒瀬は拳を強く握った後、さらに彼女のもとに近づく。今から、彼女に気持ちを伝えるのだと思うと、胸が苦しくなって、心臓が狂ったように踊り出す。


 僕なら行ける。きっと、大丈夫だ。今は余計なことを何も考えなくていい。一花に、思いを伝えることだけを考えるんだ。


 頭の中で自分を鼓舞こぶする言葉を巡らせ、再び、黒瀬が春野のもとへ近づこうとした時だった。目の前で、花吹雪が激しく舞い、彼女を黒瀬の視界から奪う。


「一花、大丈夫か!!!」


 突然の出来事に、春野のことが心配になり、叫びながら、彼女を包み隠す花吹雪の中に飛び込んだ。


花吹雪が勢いよく舞い、視界がかなり悪い。彼女がどこにいるのかが分からない。腕で、顔にあたる花びらを守りながら、前へ前へ少しずつ進んでいく。


「一花!!!」


 春野の名前を叫んでも、返事は返ってこない。花びらが勢いよく吹雪く音が、黒瀬の声を打ち消してしまう。


 なんなんだ。この花吹雪は。


 激しく吹雪く花吹雪に、戸惑っていたところ、やっと、空気を読んだように花吹雪が次第に勢いを失い、視界が晴れていく。


 視界が晴れるが、辺りを見渡しても周囲に彼女の姿はない。ただ、無惨むざんに散った花びらの残骸ざんがいが、地面に散乱さんらんしているだけだ。


 彼女は、どこかに行ってしまった。一体どこに......。

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