第30話 マスターの提案
ジョニイは真っ白な、平べったいベッドに横になっていた。
「さあ、入って」
マスターはきちんとした白衣を着ている。
「ここがね、僕の研究室っていうか、趣味の部屋だね」
真っ白な壁紙の部屋で、窓はなかった。その代わり、大きな工業用の換気扇が取り付けられている。スチール製の銀色の棚が、壁を覆うように並んでいて、薫子の言う、“たくさんの意味わかんない工具”が棚の上に鎮座していた。
小春はその夜、薫子とアダムと共にアパートを出発し、『美食ロボット』へとやって来た。
そして小春のみ、お店の奥にあるマスターの研究室に通された。
「ジョニイは、どうでしょうか……」
恐る恐る尋ねる。小春の大切なジョニイは、相変わらず冷たく横たわっている。
「うん、それでちょっとね、小春ちゃんに聞きたいことがあってね。ここにどうぞ」
マスターは部屋の隅にある大きな机から、椅子を二つ、引っ張ってきた。
ジョニイの前に置かれた椅子に、二人は腰かける。
「小春ちゃん、前に清掃員の仕事をしてたって言ってたけど、ニューマン社かな?」
ボーイ君が淹れてくれたコーヒーを片手に、マスターは聞く。
「え?あ、はい。ニューマン研究社です」
小春は驚いた。マスターにも薫子にも、そして神楽にだって、清掃員として勤めていた会社の名を告げたことはなかったから。
「ああ、やっぱりそうか」
マスターはそう呟いて、コーヒーをすする。しばらく沈黙した後、再び口を開いた。
「僕の手じゃ、どうにもならなくてね」
小春は蒼ざめた。心臓が貫かれたように痛んで、肺が床に落っこちて、また呼吸が苦しくなった。
必死に呼吸を整えていると、マスターが小春の目をまっすぐに見つめて言った。
「でもね、大丈夫。かなり腕の良い知り合いがいるんだ。彼なら必ず治せる。だから彼にジョニイを診させても構わないかな?」
小春は目に涙をためて、「はい、お願いします」と答えた。
マスターは小春の肩に手を置いて、もう一度、小春に言い聞かせるように言った。
「大丈夫。彼なら治せる。でももしダメだったら、ジョニイのデータを引き継いで、型式の違うアンドロイドを作ってあげる。ジョニイは死なないよ。小春ちゃんが必要とする限り、ジョニイは死ねないんだ」
冷たいままのジョニイの頬にキスをする。
小春は彼の耳元で、「頑張るわ」とささやいた。
涙を拭いて、マスターに笑顔を見せる。
そして二人は、にぎやかな店内に戻った。
薫子は喜んで、小春のグラスにワインを注ぐ。ボーイ君は紫色のカクテルを持ってきてくれた。料理子ちゃんが、焼きたての大きなピザを目の前に置いた。
みんなの顔を見ると、身体のこわばりがほどけて、胸がいっぱいになった。
心底安心した。
安心できることに、心から感謝した。
「ありがとうございます」と言いながら、小春はまた泣いた。
「気がつかなくて本当にごめんね。お給料はそのまま出すから、しばらく、小春ちゃんの気の済むまで休んでもらっていいよ」
神楽さんはすっかり落ち込んで、申し訳なさそうに言った。
最近、小春の部署での嫌がらせ行為を耳にして、もしや、と思ったのだそうだ。
「いいえ、行きます」
小春ははっきりと告げた。
このまま神楽さんの厚意に甘えて休んでも、きっとろくなことを考えない。だから忙しくしたほうがいい。経済的にも、これからどれくらいのお金がかかるか分からない。
ほんの少しでも希望があるのなら、あきらめたくなかった。
「ご迷惑でなければ、どうかこのまま働かせてください」
今の小春に、絶望と仲良くする余裕なんてなかった。
ジョニイを失いたくない。
マスターや薫子にアダム、神楽さん、みんなにきちんと感謝したかった。
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