第25話 うえとした、ちいさなひと


 世の中がおかしい。


 30代になってから、美保はそう思うようになった。

 自分のような優れた人間が、一体なぜ清掃員なんていう、底辺の仕事をしているのか、全くもって理解できなかった。



 自分は容姿も悪くない。

 勉強もスポーツも得意だった。

 大学受験は失敗したけれど、地元でも有名な私立の女子大には入れた。

 両親も、そんな自分のことを誇りに思ってくれた。


 美保が30才のとき、弟が結婚した。

 結婚といっても、デキ婚だった。

 弟は幼い頃から要領が悪く、不器用でバカだった。だから大学にも行けず、高卒で小さな、ダサい会社に就職した。そこで出会ったダサい女を妊娠させて、地元の地味な、安っぽい式場で安っぽい結婚式をした。


 こんな負け組の姉だと思われたくない。

 美保は心の底から嫌悪した。

 本当は結婚式にも出席したくなかった。


 両親は初孫を喜び、ダサい嫁を可愛がった。

 けれど美保は、そんなことは気にならなかった。



 だって美保には、最高の恋人がいた。


 勤めていた会社の上司で、年収が1000万以上ある男だった。顔立ちは普通だったけれど、背が高く、たくましい体をしていた。

 毎週水曜日の夜は、いつもディナーに誘われた。彼は一度も、安っぽい店に連れて行くことなんてしなかった。美保を大切に扱い、それなりの金額のプレゼントをくれる。セックスだってとても良くて、昼間のオフィスでしたことだってある。


 ただひとつ、欠点があるとすれば、彼が結婚していることぐらいだった。


 しかし美保にとって、そんなことはどうでもよかった。

 彼の妻よりも自分の方が愛されている自信があったし、容姿も年齢も美保の方が勝っていた。

 彼だって、早く離婚して美保と一緒になりたいと言ってくれた。



 しかし、ある日突然捨てられた。


「わかるだろう?」


 彼はそう言ったが、美保には何も分からなかった。


「君だって充分、楽しんだだろう?」


 確かに、セックスはよかったし、たくさんのプレゼントをもらった。毎週のディナーも素晴らしかった。でも、それは当たり前だ。


 だって、美保は愛されていると思っていたから。


 年収が高く、やけに色っぽい、仕事のできるこの男の妻になれると、本気で信じていたからだ。弟や、周りのくだらない友人達とは違う、豪華な結婚式を挙げ、皆がうらやむ勝者の妻になるのだと。


「そんなわけないだろう?」


 男は笑って言った。



 美保はその日、その男の妻に電話をした。


「あんたなんかより、私の方が妻に相応しい。私は彼を悦ばせることができる。彼を咥えることも、上に乗ってやることだってできる」


 そう言ったら、弱々しい女の鳴き声が聞こえた。


 その後すぐ、妊娠中だった男の妻は流産した。


 美保はやっと結婚できると思った。子どもが邪魔をしていたのだと思ったから。


 それなのに彼は、美保を解雇した。



 わけが分からなかった。

 愛されるはずの自分が、なぜ選ばれないのか。

 流産した弱々しい女より、自分の方が若くて美しい。そんな女に、負けるはずがない。


 美保は解雇された会社の、すぐ隣のビルの清掃員になった。

 いつでも彼が戻ってこられるように。


 けれど、彼はもう二度と、美保の元には戻ってこなかった。





 世の中がおかしい。


 どうして自分のような、美しく有能な女が、清掃員というダサい仕事をしているのか。


 どうして自分より下の、小春のような女が、生き生きと事務の仕事をしているのか。

 たいして美人でもない、貧弱な体の、何の魅力もないただの高卒女が、悠々とデスクに座っているのか。


 なぜ自分が、小春の会社の清掃員をしなくてはならないのか。


 アンドロイドとしか恋愛のできない、寂しい変態女が座っていて、なぜ自分が、モップを持って働かなければならないのか。



 引きずり下ろさなければ。

 小春なんて女は、自分よりもずっと下の人間なのだから。


 私は上に立つ人間なのだから。

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