02. 作戦だと言うなら乗ってやらんこともない
海賊団の一員である、ロウの操舵してくれる小船に乗って、港町から少し離れた岸辺に向かった。
明かりは月と星だけ。夜の海は怖いと言う人もいるけれど、あたしは波に映る淡い光が揺れるのを眺めるのが好きだ。ゆらゆら、ゆらゆら。規則的なようで不規則な光の動きは、ぼんやり見ていると心地よくてつい眠くなる。
海を見ている間に岸に着いた。岩陰に隠れた場所にロウが小船を停めてくれた。
長いスカートの裾が濡れないように膝より上で結び、靴を持って砂浜に降りる。
母さんが決めた今日の設定は〝港町に住む男性に恋した令嬢のお忍びデート〟。
長いスカートは歩きづらいし、趣味じゃないからやめてほしい。でも「海賊の娘らしくない人物を演じてこその変装でしょう?」という母さんの主張に言い返せなかった。
変装してブレイクに会い、悪い商人の情報をもらって帰るのが、あたしの海賊団での役割だから。
スカーフは服に合わないから駄目って言われたけれど、小船がアジトを離れてからこっそり巻いた。
裸足で砂浜を歩いていると、待っていたブレイクがにこにこ顔で手を差し出してきた。
「やあ、シア。こんばんは。今日も美しいね」
「あんたに愛称で呼ぶことを許可した覚えはない。……何回言わせんだ」
「もちろん、君が許可してくれるまで何度でも」
やわらかな笑みを浮かべるブレイクの金髪を月明かりが照らして、淡く光って見える。吸い込まれそうな深紫色の目があたしを見つめていた。
ブレイクのことは気に入らないのに、顔だけは好みだから困る。どことなくスカーフをくれた男の子に似ているせいで、余計に動揺させられる。
ふいっと顔を背け、一人で草の生えたところまで歩いていく。足についた砂を雑に払ってから靴をはいた。
「今日もつれないなあ。そのスカーフの代わりを贈ろうとしたこと、まだ怒ってるの?」
あたしは後ろをついてきたブレイクを軽く睨み、腕を組む。
「怒ってる」
「悪かったよ。まさか君がそんなに大事にしていると思わなかったんだ」
ブレイクの謝罪に返事をするのはやめにした。
あたしだって、謝ってもらっておきながらいつまでも根にもつのは子供っぽいと思っている。でも大切な思い出の品を「くたびれたスカーフ」なんて言われた上にあっさり代わりを提案され、あの子との思い出に土足で踏み込まれたみたいで、ものすごく嫌だったんだ。
返事をしない代わりに話題を変えた。
「で、婚約ってどういうこった」
「あれ、ジャッカルさんから聞いてない?」
ブレイクが首を傾げる。小船を固定してから上がってきたロウが、「うちの
「なるほど、あの人らしいね」
苦笑したブレイクが、浮かべる笑みをいつもどおりの柔和なそれに戻す。
「婚約はね、僕らの作戦の一部なんだよ。ジャッカルさんが僕と組んでいる目的は知っている?」
知っているも何も、父さんとブレイクの共通の目的なんて一つしかない。
「悪い商人をぶっ潰す」
「うーん、一つの正解ではあるんだけど、足りないね。末端をどれだけ潰したところで意味はない。僕らの狙いはもっと上さ」
「じゃあ商人たちが取引してる、この辺の港町の領主たち?」
「あんな雇われ領主はただの駒だよ。その上」
町の領主の上となると、この辺の港町は全てレザリンド侯爵領に属しているから……。
「レザリンド侯爵ってこと?」
そう答えると、ブレイクは「正解」と言って笑みを広げた。
「君たちに手伝ってもらえたおかげで、この辺の領主たちだけならどうとでもできるほどの証拠は揃ってるんだ。でも、それだけじゃ足りない。こんな小さな港町の領主なんて、レザリンド侯爵からすれば領主の暴走と言い張って首をすげ替えれば終わりだよ。何も変わらない」
ふうん、とひとまず頷いておく。でもあたしとの婚約にどう繋がるのかが見えない。
ブレイクがまだ話したそうに見えたので、釈然としないものを感じながら続きを待った。
「あとはここの領主たちがレザリンド侯爵の指示で動いていたことを証明できればいいんだけど、これが難しくてね。領主側の帳簿や契約書は押さえてあるから、対になるものが侯爵側にあるはずなんだ」
「そんなの、侯爵が燃やしてるんじゃないの?」
「その可能性もゼロではないけど、僕はあると踏んでる。レザリンド侯爵の性格からして、記録はきっちり残しているはずだよ」
ブレイクはやけにはっきり言い切った。まるで侯爵をよく知っているような口ぶりだ。
「隠し場所のアタリもつけてある。レザリンド侯爵の本邸の書斎の広さが間取りと合わないから、そこだろう。ただ、侯爵家の本邸ともなると平時に間者を紛れ込ませるのが難しくてね――そこで君の出番」
「……?」
「レザリンド侯爵の本邸で、僕と君の婚約披露パーティーを開かせる。その隙に別動隊が書斎に忍び込んで証拠を押さえる」
「侯爵の本邸でパーティ!? なんでそんなことできんの!?」
あたしは目を見開いたけれど、ブレイクはそんなあたしの反応に満足したように笑みを深くした。
「理由その一、僕がレザリンド侯爵家の人間だから。分家だけどね。理由その二、君のお父さんがリッフォン公爵家の人間だから。レザリンド侯爵はリッフォン公爵に借りがあるから、公爵が侯爵の本邸でやりたいと言えば断れないよ」
父さんが公爵家の人間だとは知らなかった。そもそも父さんと母さんが昔は貴族だってことすら今日聞かされたばかりだ。
待てよ、父さんも母さんも駆け落ちしたんだったらもう貴族じゃないよね? どうしてまだ貴族と繋がっているんだろう?
理解できないことばかりだけれど、知る意味はなさそうだったから聞くのはやめた。
ブレイクとの婚約が父さんの仕事の一部で、あたしにも役割があるんだったら――あたしが知るべきは、もっと別のことだ。
「あたしは別働隊が書類を探す間、レザリンド侯爵の気を引けばいいんだな?」
「そう。僕の婚約者を演じつつ、ね」
意味ありげにウインクされたのはスルーしておく。
あと聞いておきたいのは、
「別働隊ってのはどんな奴らなんだ?」
何かしら連携が必要になるかもしれないから、別働隊については知っておきたい。
ブレイクの周囲の人間かと予想していたけれど、意外にもすぐ近くで手が挙がった。
「あー、それはオレっスー」
「えっ陸で仕事なんて大丈夫なのか!?」
「オレはそっちが本業なんで、大船に乗ったつもりでいてくれていいっスよー」
ロウの本業って何? 海賊が本業じゃないの!?
何年も前からうちの海賊団で船に乗っていたロウ。他の団員と同じく父さんが唐突に連れてきた奴だから素性なんて知らないけれど、海賊業以外のことをやっているようには見えなかったのに。
「必要な情報はこれくらいかな。納得してもらえた?」
ブレイクがやわらかな笑みを浮かべて言う。爽やかにしか見えない表情なのに、なんだか仮面みたいだ。
たぶんブレイクは計画の全貌をあたしに語ってはいない。あたしが役割を果たすのに必要なことを話してくれただけだ。その中にだって、嘘が混じっていても驚かない。
腹の中が読めないブレイクのことは信用していない。
でも父さんの仕事は尊敬してる。麻薬の密輸や人身売買を行う商人から取引の品をかっさらって、少しでも被害を減らすこと。真っ当な商船なら依頼を受けて護衛だってする。父さんの船に乗っている海賊団員の大半は、元々は行き場のない子供たちだった。
賊を名乗ってはいるけれど、あたしにとって父さんは正義のヒーローだ。
その父さんが、作戦のためにあたしをブレイクの婚約者役に設定したんだったら、あたしも乗る。父さんも最初からそう言ってくれればよかったのに。
「わかった。そういうことなら、あんたの婚約者になってやるよ」
腕を組んで頷くと、ブレイクの仮面みたいな笑顔がふっと崩れ、素直な喜びが覗いた気がして――息を呑みそうになった。
とっさに顔を背ける。このままブレイクを見ていたら、月明かりのような笑みにこっちの調子を崩されそうで。
ブレイクがあたしに一歩近付いてきた。
「じゃあ今日は、婚約者らしく振る舞うための練習をしようね」
「練習?」
「そう。まずは腕を組んで寄り添ってみようか」
「はっ!?」
どうぞと片腕を向けられ、試しに触れてみる。固い筋肉の感触に心臓がはねたことにびっくりした。
海賊団員はみんな鍛えているし、半裸で歩き回る奴だっている。男の筋肉なんて見慣れているはずなのに、なんで男の人と腕を組むって考えただけで、こんなに恥ずかしいんだろう。
「どうしたの? もっと近くにおいで」
からかうような声と同時に腕を引かれ、ブレイクの整った顔が近づいた。顔中の血が沸騰しそうな感覚に襲われて慌てて目をそらす。くそう、なんなんだこれ。
助けを求めてロウを見ても、
「姉御が婚約者になってやるって言ったんだから責任もって
と、相手にしてもらえなかった。ブレイクも楽しそうににこにこしている。
くそう、この作戦が終わったら婚約なんかさっさと破棄してやる!
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