〈ネスター〉


「あー……終わったー……」


 授業終わりの鐘が鳴り、期末試験の紙を抱えた教師が外へ出ていく。

 やっとテストから解放された……。

 ……あれ。どうせ編入するのにテストで留年回避する必要があったんだろうか?

 今更すごく根本的なことに気付いてしまった気がする。一週間遅いぞ僕。


「どうだった? 私は赤点ギリギリかなー」

「それニコニコしながら言う事なのか、ナギ?」

「だって聞いてよ、奨学金受かってタダでダンジョン留学出来ることになったんだよ! もうテストなんてどうだっていい!」

「お、決まったのか!」


 日本はダンジョンの一般開放が海外に比べて遅かった(その分だけ死者は少ないから、悪くない判断だとは思うけれど)せいで、探索者の育成については少しだけ遅れている。

 なので政府もダンジョン関連での海外留学を推奨していて、奨学金の基準もかなり緩い。仮に基準が厳しくても、僕はナギなら通ったと思うけど。


「……でもさ、ナギ……英語、苦手だったよな?」

「大丈夫大丈夫、何とかなる! コミュニケーションは気持ちが大事!」


 自信満々だ。どんな根拠があるんだか。

 まあ、この自信があれば世界中どこでもハッタリで何とかなるかもなあ……。


 帰りの荷物をまとめていると、スピーカーからアナウンスがあった。


「二年一組の多摩梨養くん、イルティール様がお待ちです。校長室までお越しください」


 ……だそうで。


「何かあったの?」

「イルティールから話があるって言われてたんだけど、期末試験終わるまで待ってって頼んでたんだよ。終わった瞬間に学校まで押しかけてくるとは……」


 僕は鞄に荷物をまとめ、校長室へ向かった。


「来たか」


 校長を隣に立たせて、自分は偉そうに椅子へふんぞり返ってる。

 ……傲慢なエルフ、みたいなテンプレ表現がよく似合う女だなあ。


「行くぞ」

「どこに?」


 イルティールは窓の外を一瞥した。

 激しい騒音と共にヘリコプターが降りてくる。

 マジ?


 ……イルティールの後ろについて、ヘリコプターへ乗り込む。

 マジだった。

 中にはムルンたちも乗っている。

 ヨルムが窓にべったり張り付いて尻尾をぶんぶん振っていた。

 ……振り回された尻尾はエキュメナの顔面を繰り返し直撃している。


「さて。多摩梨くん。海山大迷宮の件について話を聞かせてもらおうか」


 ヘリのローター音が強まり、ぐっ、と地面が遠ざかっていく。

 僕は手渡されたヘッドセットを着けた。


「説明した通りですけど」

「もう一度だ。言っておくが、普通の迷宮と違い、大迷宮が自然に消失する事はない。つまり、〈解放者〉についての知識があるもの全員に対して”海山大迷宮の周辺に解放者がいるぞ”というメッセージを送った事になる」


 ああ、そうか……でも、仕方がない。

 エキュメナを引っ張り出さなきゃ、ナギを助けることはできなかったんだ。

 少し僕の身が危険になるとしても、そこに後悔はない。


 改めて、僕はイルティールに海山大迷宮での出来事を説明した。


「確認しておくが、はっきり接触した相手は荒野丈次のパーティと”遥山”だけで間違いないな?」

「多分」

「よし。まず荒野の方だが、こちらは安全だ。学生ながらプロ意識の高いパーティで、かなり評判もいい。ここから情報が漏れる可能性は低いだろう。だが」


 イルティールは四苦八苦しながらスマホを操作して、一枚の写真を出した。

 ダンジョンの中で見覚えのある眼鏡の女子高生だ。ヘッドホンを着けている。


「遥山里見。こいつは怪しい。知り合いの教師に聞いたところ、天才だが問題児、だそうだ。君の特殊性に気付かれる可能性がある。警戒しておけ」

「どうして〈解放者〉だって知られると危ないんです?」

「その事を話すために呼んだ」


 イルティールはスマホをしまって姿勢を正した。


「〈ネスター〉について何か聞いたことはあるか?」

「ネスター? いや」

「簡単に言えば、ダンジョンの手先だ。この世界をダンジョンで侵食しようとしている者がいる。それも魔物ではなく、普通の人間が、だ」

「……なんで?」

「私に聞くな。だが、滅びた私の世界での経験から言えば、頭のおかしい者が大半だった。〈ネスター〉相手にまともな理屈が通るとは思わないことだ」


 ダンジョンの侵食。ナギがダンジョンに取り込まれかけてたけど……あれをもっと大規模なスケールで発生させるってことか?

 そんなの、実質的に世界を滅ぼそうとしてるようなものなのに。


「確かに頭がおかしい……」

「ああ。そして、お前のような〈解放者〉は〈ネスター〉の天敵だ。理由は分かるな?」


 解放者が何なのか。その答えは何となく分かってきた気がする。


「ダンジョンに取り込まれたものを解放できるから……?」

「そういうことだ。ゆえに、存在を知られれば狙われる。本当は、もっと時間をかけてお前を育成したかった。〈ネスター〉について知る前に、最低でもレベル百ぐらいまでは育ってもらいたかったのだが……こうなってしまっては仕方がない」

「僕をもっと都合よく使いたかったってわけですね」


 つい軽い嫌味が出てしまった。


「何を言っている? この世界が滅んで一番困るのは地球の人間だろう、都合よく使うも何もあるものか。だいたい、私の世界はダンジョンに滅ぼされたのだ。使えるものも使わず、黙って連中に同じ事を繰り返させろとでも言うつもりか」


 少し怒気をにじませて、イルティールが言った。

 ……この人は故郷を滅ぼされた異世界人なんだよな。

 いいように使おうとしてくるのは気に入らないけど、それなりの理由はある……。


「今のお前には、まだ連中と戦う力はない。だが逃げるための策はある。奴らは何らかの形でダンジョンと繋がっているようでな。その繋がりを検知することで、〈ネスター〉の存在を察知することが可能だ」


 イルティールは小さな鐘を取り出した。

 ファンタジーっぽい紋章があしらわれている。


「へえ、王家の紋章? 面白いもの持ってるねえ?」


 エキュメナが話に入ってきて、鐘をぴんと弾いた。

 ヘリコプターの騒音でほとんど何も聞こえない。 


「さっきから聞いてればさ、世界が変わってもエルフってばやること変わんないなあ? 自分は快適な場所で寝転びながら英雄パシらせて楽しようってわけ?」


 うわ。いきなり敵対的だなこのメスガキ悪魔。

 言いたいことは分からなくもないけど。


「やーいナマケモノー、そんな調子じゃ背中とベッドが張り付いて寝たきり介護老人だぞー? あ、もう要介護老人みたいなお年だったかな? いっそ植物人間になれればいいのにね、エルフの本懐じゃん! あっはは!」

「……その口を閉じておけ。ダンジョンに取り込まれて解放者に助け出された身で、よく私を挑発できたものだな。取るに足らぬ羽虫の一匹らしく、薄暗がりに隠れて主の血でも啜っていろ。少しでも解放者に害をなしてみろ、手みずから貴様の羽をちぎりとって喉元に詰めてやる」


 ……あの。

 僕を挟んでバチバチ煽りあうのやめてもらっていい……? 怖いんだけど……。


「おい! 見ろ! あのビルの屋上! 裸のおっさんがいる!」

「えっどこどこ!? 裸のおっさん見たい!」


 ヨルムにつられて、エキュメナが窓に張り付いた。

 えーっと……話題を変えるきっかけになってくれてありがとう、名もなき裸のおっさん……でも周囲から見えないからって屋上で裸になるなよ……。

 

「うわー! ビーチチェアで日焼け止め塗ってる!」

「夏だな……」

「夏だね……」


 その風物詩みたいな扱いはなんなの? 夏を感じる要素ある? 

 ま、楽しそうだしいいか。何が楽しいんだか知らないけど。


「……とにかく、この鐘だ。これは〈網鳴りの鐘〉と言う」


 イルティールは改めて僕に鐘を渡した。


「効果は?」

「お前の近くにネスターが現れた時、この鐘が鳴り響く。鐘の音を聞いたら逃げろ。そして私に連絡しろ。ダンジョン協会の仕事を投げ捨てでもお前の護衛に向かう。いいな?」


 なるほど。ネスター警報機か。

 かなり大事な物だな。無くさないようにしないと。


「わかりました」

「よし。話は終わりだ。ちょうど目的地も見えてきた」


 海山市街の外れに、異質で未来的な建築様式の巨大学園が見える。

 〈日本探索者学園〉……ダンジョン学園だ。

 校舎屋上に設けられたヘリポートが近づいてくる。


「どうしてダンジョン学園に?」

「校長と会う用事があってな。道すがら、ヘリを防音室代わりにした。電話で話すわけにもいかない内容だからな」

「ああ……」


 ハイパーカーだのヘリコプターだの、いっつも大げさな防音室だなあ……。


「あと、お前に学内を案内してやるよう頼んである。今のうちに編入先を見ておくといい」

「……裏で僕の編入を勝手に決めたりしてないですよね」

「そうしたかったがな。お前が嫌だと言うから、フェアに編入試験をやってもらうよう頼んである。頼むから落ちてくれるなよ」

「もちろん」

「いい返事だ」


 ヘリコプターが着地する。

 外に降りた僕たちを……というかイルティールを、偉そうな人たちが出迎えた。

 偉いんだなあ、イルティール。初めて実感できた気がする。


「おお。聞いていた通り、本当に魔物の少女たちを連れているんですねえ」


 細目の優しそうな教師が僕たちに近づいてきた。僕の案内役だろうか。


「私は佐藤秀徳。ダンジョン学園の教師をやらせてもらっています」


 教師が軽く一礼した。細身の体つきだけど、体格に見合わない力強さがある。

 どこからどう見ても強い。さすがにダンジョン学園の教師だ。


「初めまして。多摩梨養です、よろしくお願いします」

「ぽこ」

「ヨルムだ」

「あたしは大悪魔のエキュメナ様!」

「……個性豊かですねえ。では皆さん、こちらへ……」


 僕たちは校舎に案内された。

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