平和な一日


「……んん……」


 東の窓から差し込んできた光が眩しくて、僕は目を覚ました。

 全身が痛む。

 改めて考えると、昨日はかなり無茶したな……。

 〈解放者〉の新しい使い方をやった上に、あのダンジョンコアから〈原初の鼓動〉とかいうスキルまで借りたわけだし。

 人外みたいにビュンビュン飛び回れたけど、僕の体はあんな動きに耐えられるように作られてないよ……。


「ぽー」


 ムルンは僕の体に手を添えている。

 何となく癒やされていく感じがあった。


「もしかして、ずっと回復魔法を使ってくれてた?」

「ぽこ」


 彼女は頷いた。

 筋肉痛ぐらいのダルさで済んでるのはムルンのおかげか。


「ありがとう……ほんと、色んな意味で癒やされるよ……」


 ムルンは優しく笑みを浮かべ、部屋の学習机を指差した。

 朝食のプレートが用意されている。おかずは鮭バターの包み焼きだ。

 ちょっと火を入れすぎて焦げているけれど……慣れない感じが逆に愛おしい。


「うま……」


 誰かにご飯を手作りしてもらうなんて、何時ぶりだろうなあ。


「うーん、幸せだ……けど」


 ヨルムとあのメスガキ小悪魔はどこで何やってるんだ?

 じわじわ心配になってきた。


 一階に降りてみると、案の定バカをやっていた。

 定番アイス「バリバリくん」の袋が散乱している。


「ご主人! これ美味いぞ!」

「いや朝っぱらからアイス食ってるなよ! 僕に薦めてくるなよ!」

「いいだろうご主人。昨日は大変だったんだ。リラックスするのも大事だぞ」

「お前がリラックスしてると僕に緊張が走るんだよ……!」

「ぽこ……」


 あ、ムルンがゴミ片付けてる。えらい。


「甘い冷菓がいつでも食べられるなんて……あたし貴族みたーい! ついでにこれもよろしくねえ」

「ムルンにゴミ渡してないで自分で捨てろよメスガキ……」

「メスガキ!?」


 ……言っといて何だけど、たしかにキツい言い方だな。

 完全にネットスラングだし。

 まあいいや。こいつメスガキ呼ばわりされても仕方ない素行だし。


「失礼だぞー! 大悪魔エキュメナ様って呼びなさーい!」

「大悪魔要素ある?」

「……」


 彼女は自分の体を見下ろした。


「小悪魔エキュメナちゃんって呼んで☆」

「ポジティブだな」

「あたしの魅力は体が小さくなった程度で失われたりしないもんねー。むしろ一部の人にはグサグサ刺さっちゃうかも。おじさんに誘拐されたりして。こわーい」

「そう」

「あー! アイス取り上げないでよー!」

「十分食ったでしょ。腹壊すよ」

「あたしのお腹は何でも受け入れるように出来てるから平気だもーん」


 取り上げたそばから冷凍庫漁ってるよ……。

 ……仕方ないので、僕も取り上げたアイスをかじった。

 美味い。ま、たまには朝からアイス食うのも悪くないか。


「で、エキュメナ。色々と聞きたいことがあるんだけど」

「えーっとね、あたしのスリーサイズはねー」

「聞いてない」

「測ってないから自分でも分からなーい」

「なら言い出すなよ!?」

「冗談だよー」


 彼女はくすくす笑い、ソファに寝っ転がった。偉そうな姿勢で独占しやがって。


「何から聞きたい?」

「まず、僕の力について。何か知ってることは?」

「……何であたしに自分の力のこと聞くの? あたしは何も知らないよ? その力の使い方はパッと見て思いついただけだもん」


 なるほど。〈解放者〉のことは特に知らないのか。


「僕が使った剣については?」

「さあ? 知らないけど、〈解放者〉と関係してそうだよね。ダンジョンの裏側へ通じる道を切り開く力があったりする?」


 ……こっちも知らないのか。

 ダンジョンの裏側、なあ。

 そういう力があるのかもしれない。〈解放者〉についての警告みたいな文章と同時にドロップしてたし。解放者に渡すための仕込みか何かがあったのかも。

 このスキルとも何らかの形で関連しているのかもしれない。


 実験するべきかな? いや、やめておこう。

 何が起こるか分からないんだ。僕が”ダンジョンに取り込まれる”可能性もある。

 今まで通り、弱点を作る剣として使っておけばいいかな……。


「じゃあ……エキュメナのことについて。どういう経緯でダンジョンコアに?」

「うーん、昔の話? 滅びた世界のことなんて知ってもしょうがないよ?」

「ダンジョンに滅ぼされた異世界の出身なのか?」

「そんな感じ。物凄い勢いでダンジョンに世界が侵略されて、十年かからず滅ぼされちゃった。みーんな全部ダンジョンに吸収されちゃったよ。あたし結構強かったから、魂がそのまま残ってて、ダンジョンの管理役を貰った感じ」

「ぽこ……」


 ダンジョンに世界が滅ぼされた、か。

 多分、イルティールと同じ世界の出身なんだろう。

 ナギがそうなりかけてたように、ダンジョンは色んなものを侵食できる。


「ん? 十年かからず滅ぼされた? 早くないか?」


 僕たちの世界にダンジョンが現れてからもう四十年近い。

 平和な日常の一部になってるぐらいなのに。


「さあ? こっちの世界は文明もすごいし人も多いし、取り込むのも一苦労なんじゃない?」


 なるほど。確かに、中世の地球の人口は数億人だったのが、現代じゃ六十億人とか居るんだし。その分だけダンジョンに耐性があるのかもしれないな。


「管理役を貰った、って言ってたけど、そういうのを仕切ってる”本体”みたいなやつは居るのか?」

「わかんない。でも、あたしは網を伝わってくる命令に縛られてたし、巨大な存在に繋がれてるのは確かだったかな」


 曖昧な情報だけど、仕方ないか。

 あまり知ってもしょうがない部分だし。


「あとは……確か、スキルの原本、みたいな事言ってたよな」

「スキルについてはちょっと知ってるよ。あれって、ダンジョンに取り込まれた存在の経験なの。発動すると、魂の生命力が消費される。レベルの事は知ってるよね」

「知ってる」

「あのレベルっていうのは、根本的な魂の生命力の量っていうか、力を注ぎ込む容器の大きさみたいなものなんだよね」


 僕の聞いてた話とも一致する。本当の情報だな。


「その力の元になってるのは、”経験”。だから、経験値って言い方は的を得てる。まあ、普通に生活してて得られる経験の量なんてたかが知れてるけど」

「ダンジョンに取り込まれた存在の経験とかを得ることで、少しづつ魂が強くなってる、ってことか?」

「そう。魔物は魂の骨組みに経験の肉を付けて作られてる。倒せば魂の部分はダンジョンの裏側に戻って、経験の部分だけは君たちに吸収されるってわけ」


 魔物を倒し続けると、その魔物の持ってた経験値が蓄積してレベルが上がる。

 ダンジョンコアを吸収することで一気に経験値が吸収できる。

 どちらも魂に経験値を入れて作られたものだから、と。なるほど。


「で、そういう経験値の中には色んなものが含まれてて。特殊な力、つまり〈スキル〉も含まれてたりする。強い存在が持ってたレアな力だとか」


 エキュメナはソファの上で足を組み替えた。


「大悪魔エキュメナ様の力は〈原初の鼓動〉ってスキルになったってわけ。つまり、あたしは凄いってこと。きみみたいなざこ探索者くんとは核が違うんだよー?」


 彼女は溶けかけのアイスを舐めた。

 挑発的な上目遣い。その肢体に白い液体が垂れる。


「でも、あたしを助けたんだから……その凄い存在も、好きにできちゃうかもね?」


 エキュメナはくすくす笑った。

 わざとやってんなこいつ。


「じゃあ、次の質問なんだけど」

「えっ!? ちょっと!? なんで挑発が効かないのー!? お、おかしい……どんな男でも好きに弄べたこのあたしが……!? ささやくだけで勃起不全を治療できたこのあたしが……!?」

「すごいねそれ」

「す、すごいもん! すごいはずだもん!」


 彼女は顔を真っ赤にしている。


「効くはずがない。ご主人は私の物だからな」


 ヨルムは一体何を言ってんだよ。


「……狼じゃないと興奮しないの!? ケモナーってやつ!? でもケモ度低くない!? 人間じゃん、ほとんど人間じゃん!」

「いやこいつに興奮した覚えは特にないかな」

「だが増殖する寸前までは行った」

「増殖って何? どういう生態なの? 無性生殖生物!? くっ、あたしの力が効かない天敵だったかあっ……」


 なんか僕を勝手にアメーバ扱いした挙げ句に敗北感を漂わせてうなだれてる……。


「ぽこ……」


 うん。ムルンが何を言ったのか分からないけど、僕も同じ気分だ。


「それで、スキルの話なんだけど。〈解放者〉を使って”融合”したことで、君のスキルは僕に移ったわけ?」

「ああ、えっとね。あたしのスキルはきみに移ったりしないけど、魂を引っ張って融合すればまた使えるはず。いつでも試していいよ?」


 なるほどなあ。つまり、やろうと思えば僕は皆のスキルを使えるわけか。


「よし。ご主人。一つになるぞ」

「ムルン」

「ぽこ」

「……何故私ではないんだ……?」


 ダンジョンの中でやったように、〈解放者〉の力をムルンに向ける。

 魂を引っ張るようなイメージだ。

 するとムルンの体が粒子になって消え、残った光の塊が右手に入ってきた。


『♪』


 ムルンが機嫌良さそうだ。

 言葉はなくても感情が伝わってくる。胸の内側に同居人がいる感じだ。

 さて、合体相手のスキルが使えるんだったか。

 確か、ムルンの持ってるスキルは〈触手攻撃〉と〈リジェン〉と〈ライトヒール〉だったな。

 ……触手攻撃?


『!』

「うわっスライム生えてきた!?」


 僕の腕からスライムの触手が生えて、鞭みたいに振り回される。

 ……あんまり威力はなさそうだけど、ものすごい奇襲にはなりそうだ。


『~♪』


 きらりと僕の体が輝いた。〈ライトヒール〉かな。

 少し筋肉痛がマシになったような気がする。かわりに、ちょっと疲れが来た。

 回復スキルは傷を治すけど、体力は回復できない。


 さて、この融合状態を解くにはどうすれば?

 引っ張るのと逆に追い出す感じで……お、なんか出てってる。


 光がすぽっと飛び出して、ムルンは元通りスライム娘に戻った。

 今更だけど、不思議なスキルだな……。


 ……一気に体力が消費されて、くらっときた。

 体を支えきれなくなってソファに倒れ込む。

 一日中ダンジョンに潜った後だってこんなに疲れない。

 デタラメな性能に比例して、〈解放者〉は消費も激しそうだ。

 乱用はできないな。

 

「ぽこ?」

「心配しなくたっていいよ、ざこ探索者がこんな力振り回せば疲れてとうぜーん」

「ぽこ!」

「なに? 文句ある? こいつがざこなのは事実でしょー?」

「ぽ!」


 ムルンは触手をエキュメナに伸ばした。


「あはは! このあたしがスライム風情に負けるわけ!」

「ぽこ」

「あだだだだだだ」


 容赦ない首絞めだ。こわ。


「ご、ごのあだじがあ……」

「ぽ?」

「ごめんなじゃいい……ざこじゃないでずう……」


 エキュメナは地面にぶっ倒れた。

 ……ムルン>エキュメナだな。上下関係が発生したのを感じる……。


「……もう! 主が弱すぎて、あたしの実体化も半端なんじゃないの!? どーりで記憶に靄が掛かってると思った! 完全にレベル不足じゃん! あー!」

「ぽ……?」

「あっはい弱くないでしゅ……」


 ひと睨みで黙らされてる……。


「でも、レベル不足なのはホントの話だよ? ムルンだってヨルムだって、根本の生命力が足りなさすぎて本来の力を使えてない。本当は、もっと強く気高い存在なんだと思う。レベルを上げれば元の姿に近づくかも」

「本当に?」


 僕たちはヨルムをチラ見した。

 脳天気な顔でアイス食ってる。


「た、多分。元は強かった魂を細かく刻んで薄めて再利用した結果、こういう感じになってる……のかも」

「細かく刻んで再利用、か」


 気に入らない。死者を弄んでるようなものだ。

 いや……生きたままダンジョンに取り込まれたんだとすれば、もっと悪い。

 かつて一個の生命だった存在を、ダンジョンの都合で歪めて増やして操り、自我のない魔物としての肉体を与え、繰り返し死なせては蘇らせ続ける……。

 

「一皮剥いてみれば、ダンジョンのやってることはグロテスクだな。なんとか操られてる魂を解放できればいいんだけど……」

「ん。〈解放者〉の自覚が出たかな? かっこいいぞ♡」


 甘ったるい囁き方だなあ。ASMRかよ。


「ありがとう」

「やっぱり無反応? うーん? 魅了スキル使えてるはずなのになあ」

「ぽ!?」

「べ、別に悪意があったわけじゃないし! だって一生一緒に居るしかないご主人様みたいな相手だし! ならあたしのこと好いて欲しいじゃん」

「……ぽ」


 ムルンは警告するように泡を吹き、そっと触手を降ろした。


「解放したくても、これ以上の魂を解放するのは難しいんじゃないかな? ざこ探索……その触手やめて? ごほん。多摩梨養くんのキャパシティが足りないよ。今だって、自分の生命力を消費してあたしたちに分け与えてるような状況だもん」

「ええ? そんな感じはしないけど」

「本当に? おかしいなあ……。間違いなく、あたしたちみたいな存在を増やしたら生命力が足りなくなって寝たきりになって死ぬはずなのに」


 い、嫌な死に方だな。

 少なくとも今の僕じゃ、これ以上女の子を増やすことはできない、と。

 無限に増やそうとしてなくてよかった……。


「ご主人! なんか頭がキーンってする!」


 いつの間にかヨルムの周りにアイスの袋が増えている……。

 話してる間もずっと追加で食ってたの? ちょっと目を離すとこれだもんな。


「……あっ、お腹痛い……」


 思い出したようにエキュメナが腹を抱えた。


「アイスの食いすぎだよ……」

「そこの狼は平気なのにー! 何であたしだけー!?」

「日頃の行いとか」

「この姿になったばっかりなのに日頃も何もないーっ!」


 青い顔でふらふらトイレに消えていった。

 自業自得だ。ちょっとは反省してほしい。


「うん? ご主人? 私の顔に何か付いているか?」

「勝手に全部食べたの反省するまでアイス禁止ね」

「……!?」

「そこで驚いた顔する!?」


 つ、疲れる。

 なんかもう突っ込む気力も無くなってきた。疲れたし眠いし。

 ドバっと情報も増えたし。頭は起きてから整理しよう。


「ムルン、あの二人が何かバカやらないか見張りをよろしく……」

「ぽこ」


 後のことはムルンに任せて、僕はまぶたを閉じた。

 ……これだけ騒がしかったのに、なぜか不思議と穏やかな気持ちだ。

 この広い家に一人っきりで暮らすより、うるさいぐらいのほうが絶対に良い。

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