舞台の上で輝く人と。

山岡咲美

第一幕「さえないイケメンは……」

「長沢さん、おはようございます」

 私は小さな青の軽自動車で娘を幼稚園に送ると何時ものように遅い朝をむかえた長沢富太郎ながさわとみたろうさんと出くわした。


 私は専業主婦をしている。


 その私より少し年上の男性は普段着に頓着とんちゃくが無いらしく、くたびれた白のTシャツにひざの穴を自分でつくろった黒のジャージを着ていた、長沢さんは顔は良い方なのだが何だかさえないおじさん感がハンパない残念な感じの人だった。


「刹那さんおはようございます」


 私は何時もそれにドキリとする、刹那は私の名前、愛根刹那あいねせつな、長沢さんは人との距離の詰めかたがおかしくて、夫と子供を連れてこのアパートに引っ越した挨拶の時にはすで名字ではなく私達家族を名前で読んでいた。


 夫はまことさん、娘は真那まなさん、そして私が刹那さん、だれかれ構わず名前にさん付けだ。


「長沢さんはこれからジョギングですか?」

 長沢さんは遅い朝をむかえるとお腹をこわさないように、白湯さゆを飲み体の動きを良くするとかで軽いジョギングをしてるらしい。


「ええ、代わりのきかない仕事なので」


 代わりのきかない仕事、どうやら長沢さん役者さんらしく一日二回の公演のために健康管理をしているらしい。


「でもすごいですね、役者さんなんて」

 私はテレビや映画で長沢さんを見たことが無い、おそらくは売れていないであろうこの役者さんに少しの応援の意味でそう言葉をかける。


「いや、そんなにすごくは……」


 長沢さんは私に気を使われてると気づいてか頭をかき謙遜けんそんする。


「……?」


 少し変な間ができる。


「刹那さん、刹那さんは二.五次元ってご存知ですか?」


「二.五次元ですか?」


「ええ、漫画やアニメのキャラクターを演じるんですが今度……その、アイドルの役をやることになって、一応三人の主役の一人なんです」


 長沢さんは嬉しそうに、そして恥ずかしそうに、それでも誇らしく胸をはってそう言った。


「スゴいじゃないですか!!」


 これはほんとのスゴいだ、どんな小さな劇場だとしても主役、私はただ偶然となりに住んで居るだけの非日常的仕事をしているこの人、長沢富太郎さんに対して自分の事のように喜ぶような感情が芽生えた。



***



 私は娘の真那を幼稚園ヘ送ったあと朝食の片付けを始める、昼に私が食べる分の多めに作ったご飯とお味噌汁を残し、綺麗に食べられた目玉焼きとウインナーのお皿と娘の大好きな牛乳のコップをキュッキュッと洗う。


「舞台か……一度見に行って見たいな」

 私はポツリと呟く。


「でも、真那どうしようかな? お義母かあさんに預ける? いえダメダメ、病院とかの用ならまだしも遊びの為に真さんのお義母さん頼れないわ」

 私は近所の公営住宅に住む、夫の母に真那を預ける算段をするがやはり自分、とくに娯楽のためだと言い出せないなと二の足を踏む。


「まっ、いいわ、別に舞台なんて見なくても死ぬ訳じゃなし!」

 私は取りあえず私を納得させる理由をでっち上げ思考を止めた。


「それより今日は徹底的にお風呂掃除をするって決めたんだから、気合いいれなきゃ」

 もちろん私は毎日お風呂掃除はしている、でも、どうしても所々をカビが生え始めるのだ、なんの嫌がらせ? 否、生命の素晴らしさか?


 私はカビの強さに感嘆しつつその生命力にヘキヘキしていた。



***



「あれ? お義母さん、今日はどうしたんですか?」

 午後一時半ごろ、私の食事が終わり、少し休憩する時間になるとたまにお義母さんがやって来る。


 昼は朝の残りのお味噌汁にとき卵を入れて味を変え、ウインナーを切って炒めそれをスクランブルエッグにして食べた。


「あら、どうしたんですって? 可愛い義娘むすめに会いに来るのに理由が必要?」

 お義母さんは可愛いという歳はとうに過ぎたと思える私にそんな事を言ってくれる。


「可愛いってお義母さん」


「可愛いは可愛いですよ」


「「ふふっ」」

 私とお義母さんは顔を見合せて笑う。



***



「美味しいですね、マドレーヌ」

 私はお義母さんの買ってきたスーパーで特売だったと言うマドレーヌのファミリーパック20%増量品をいただく。


「そうでしょう、これ美味しいのよ」

 そう言うとお義母さんは私のれたミルクティーを口に運ぶ。


「美味しい、ミルクティー飲みたくなるとココを思い出すのよアタシ」

 お義母さんはそう言うと笑う、ウチは娘が牛乳好きとあって牛乳を欠かす事は無い、そしてお義母さんは普段は牛乳をほとんど飲まないので小さいパックでも余るから買わないらしい。


「ストローパックのやつでミルクティー淹れるとなんか気が引けますよね、お義母さん」


「そうなのよ、何故かしらねー、刹那さん」


 ちなみにウチのミルクティーはミルクで紅茶を淹れる良い感じのミルクティーだ。



***



「ところで刹那さん、真はどう?」

 お義母さんはココに来ると必ずこの質問をする。


「そうですね、ウチにはよくメール来ますよ、お義母さんはどうですか?」


「そうなの? あのバカ息子アタシにはメールなんてよこしもしないわ、せっかくアプリ電話に入れたのにね!」


「そうなんですか?」


 お義母さんだって愚痴くらい言いたくなる、突然の単身赴任が決まり、真さんは海外だ、この前までは週末になるとこっちの家族団らんなど無視して遊びに来ていた、お義母さんは真さんが心配で仕方ないようだ。


「ところで真那ちゃんはどう?」


「え? ああ、いつも通りですよ、真那も年長さんだし、なんだかお姉さんぶってて頼もしいです、楽させてもらってます」


 真さんの話題はあまり持たない、なんせメールが来ると行っても安否確認と業務連絡といった感じだ、真さんは常に愛を語るような人ではないのでいつもの事だがもう少し何かあってもいいと思う。


「そう言えば真さん、真那には電話してるんですよ」

 私は思い出したようにお義母さんに愚痴を言う。


「あら、愚痴なんて珍しい、お互い寂しいものね、あのバカ息子ときたら」


 お義母さんのその言葉には愛情しかなかった。



***



「ふう、刹那さんも少し休みなさいよ」


「は?」


「いえね、あなたも大変でしょ? アタシもそうだけど専業主婦じゃ休みも無いし、遊びにだって行きづらいわ」

 お義母さんは自分の事の様にそう呟く、お義母さんも私と同じ生き方をしたのだ。


「そうですね……、お義母さん知ってますこのアパートに役者さんが住んでるの?」

 私は意を決してその話を切り出す。


「ああ、あの名前で呼んでくださる人でしょ?」

 「わっ」あの人、お義母さんの事も名前で呼んでるの?


「お義母さんの事、真砂世まさよさんとか呼んでるんですか? あの人」


「そうなのよ、あの人イケメンでしょ、なんだか嬉しいわ」

 なんかお義母さんが少女の様に照れてる、まっ、私も人の事言えないかもしれないけど……。


 でも、長沢さんイケメンか? 私にはさえないおじさんって感じにしか見えなかったけど……。



***



「あのー、お義母さん、それでなんですけど、今度その方が主演の舞台があるらしいのですが……」


「行ってらっしゃい♪ 真那ちゃんは預かるわよ♪♪」


 お義母さんはそっこうで理解してくれた、そして利害が一致した、私は同じアパートに住むさえないイケメンの舞台に、お義母さんは真那を一人占めといった寸法だ。


「あっ、ありがとうございます! お義母さん♪♪」



 そして私は長沢さんの舞台に行ける事をこんなにも喜ぶのかと意外に思った。

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