第23話:夜営とコーヒー
風の無い夜だった。月が、出ていた。白く照らされた茫漠たる荒野の、人眼を避けた岩陰に、五人は夜営していた。
煙が立つのを嫌い、固形燃料で手鍋に湯を沸かしながら、互いの身の上について情報を交換しあった。
「隊商の護衛だったんだ、ただの出稼ぎさ、だってのに、………」
固形燃料の薄く揺れる焔を見ながら、トラビスが言った。
「面倒なことになっちまったな」
横に置いた背嚢から缶を取り出しながら、男は言った。銀髪のガンマン。コーヒーを、淹れるところだった。
「まったくだ、早いとこリプロスに渡っちまいたい」
西の空を見て、トラビスはため息を吐いた。男はトラビスをひと眼見て、
「追ってくるかな?」
と訊きながら缶のフタを開け、沸いた湯に粗く挽いたコーヒーを入れる。独特の爽やかな匂いが、火を囲む四人の間に拡がった。
「来る、ここは奴らのナワバリだ、沽券に係わるからな、必ず追ってくる」
粟立つ湯に躍るコーヒーを見つめながら、トラビスは断言する。
「厄介な土地柄だな」
しかし不精ヒゲに覆われた頬に笑みを浮かべて、男は言った。
「でもねえさ、合衆国に較べれば、な」
フタで固形燃料の火を消しながら、男は、意外そうな視線をトラビスに向けた。黙って二人の話を聴いていたグリフも、顔を上げてトラビスを見た。
「何で分かった?」
「コーヒーを淹れてやるって言っといて、言うかそれ?」
ああそうか、とでも言いたげに男は笑った。
「ローディニアは、まあ本場、って言うことになるのか、………でもこれ、こっちの淹れ方だけどな、トラキアの、美味いんだ」
手鍋に沸かしたコーヒーの、その上澄みだけをカップに静かに注ぎながら男は言った。
「ローディニアでは違うんですか?」
グリフが訊く。戦士として先達である彼に、敬意を表しての敬語だった。
「紙で濾すんだ、薄く、たくさん淹れてガブガブ飲むのがローディニア流なんだ、さ、飲んでくれ」
「ご馳走になる、ほら、フラン」
膝を抱えて半分眠っていた十三歳の少女は、ハッと顔を上げ、野戦服のブラウスの袖でよだれを拭いながら「あ、いただくっす」と口の中でもごもごと言った。そして、
「えっと、砂糖は、………?」
「ある訳ないだろ、欲しいならどっかから持ってこいよ」とグリフが答えた。
「フラン、………って、正しく言うと何て名前なんだ?」男は訊いた。
「フランチェスカ、っす」コーヒーを啜り、その苦さに顔をしかめながらフランは言った。
「オンナみたいな名前だ」と男は驚いて見せ、
「オンナ、っす!!」とフランがむくれた。
「あはははははっ!」
フラン以外の全員が笑った。フランだけはリスみたいに頬肌を膨らませている。
「そう言えば、まだ名乗って無かった」男は言った。
「オレは、ヴォルフだ、ヴォルフ・ビーン・ディラン、———」
「俺は、トラビス、隊長だ、そしてこいつはグリフィス」グリフはペコリと頭を下げた。
「そして、コイツはフランチェスカ」
フランも頭をペコリと下げたが、視線を横に逸らし、むくれて尖んがったくちびるのままだ。
「そう言えば、あの子は?」
ヴォルフと名乗った傭兵崩れの男は訊いた。食事の後から、姿が見えなかった。
「あの小さい、………」
男の子、と言おうとして、ヴォルフは口籠った。はっと、眼を奪われるほどに美しかったからだ。女の子、そう考えるのが自然だった。
「どっちだと思う?」
イタズラっぽく、口ひげを弛めてトラビスが訊く。
「男の子」
「当たり、―――小さいって言っても、フランと同じ十三歳だ」
「凄いサーベル捌きだった、十三歳なんて、そんな子供とは思えないくらいだ」
「まあな、高名なサーベル術の先生の、あいつはその、………まあ、息子なんだ、その先生は、もう亡くなられてしまったがな、………」
記憶の糸に、引っ掛かるものがあった。リプロス、そして、高名なサーベル使い、―――
「ユーゴ、確か、………ベルスレイフ、その先生って、あのユーゴ・ベルスレイフか?」
「そうだ、知ってるのか?」
「先生を知ってるんですか?」
「有名だぞ、『偉大なるユーゴ』、アフガニスタンでもその名は聞いたし、そもそも合衆連邦軍では戦術の座学でその名を教わるんだ、銃火器は刀剣類に対して必ずしも優位では無い、その具体例として『ダインスレイヴ』そして『ユーゴ・ベルスレイフ』の名が出て来るんだ」
ユーゴ・スナイドル・ベルスレイフ、———
ウェールズ連合王国による中近東侵攻(後に言う第一次ウェールズ侵攻)当時、リプロスのサーベル術界に於ける若き天才と言われた彼は、ダインスレイヴ伝来のサーベル術を野戦向きに改良し、それを徹底的な訓練でサーベル部隊に叩き込み、その精鋭を、連合王国軍の籠る塹壕へと斬り込ませたのだ。暫定統一歴:一五九一年のクルダード独立紛争の際に戦没。
「ルナだ、あいつの名前、ルナ・ベルスレイフ、———ユーゴ・ベルスレイフの、息子だ」
トラビスが言った。ヴォルフの、宙に浮いた質問に答えた形だった。
「女の子みたいな名前だ」
ヴォルフは率直に口にした。
グリフは、何故か視線を逸らし、顔を横に向けた。眼を細めるその様子は、気のせいか、どこか辛そうに見えた。
トラビスは、答えなかった。
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