リュート弾きのルークと星を謳うエイダ~プロローグ~

el ma Riu(えるまりう)

プロローグ~惑星アステラリアの伝承

───星王アステラリア


 この惑星の名を冠し、星そのものである原初にして唯一の御神。

 無限に広がる漆黒の闇。果ての無い宇宙に浮かぶ、数多ある星々の中でも一際美しい光彩を放つ星。深紅、紺碧、黄金、緑翠。色鮮やかな生命に溢れるそこで、人々は《星王》を崇め奉り暮らしていた。

 満天を映す大海原に、星型五角形を模した巨大な大陸が一つだけ存在している。

 大地に点在する光は、人々の暮らしを表す灯火。中でも、大陸の中心に位置する《星都》は、天に浮かぶ星々よりも一層強い輝きを放っていた。それはまるで、惑星の中央に御座(おわ)します、星王の座標を示すかのようであった。

 御神の威光を讃えるのは《星謳福音教会》だ。星王の教えを人々に知らしめる、惑星唯一の統治機関。選り抜きの祭司や騎士達から構成され、星と人々の秩序を正しく守り続けていた。

 その教会の最高位に君臨し、神と等しく崇め奉られる存在。星王の御声を聴くことが出来る、唯一無二の少女 《星王の巫(みこ)》により神の御言葉を賜りながら、人々は星法律を守り、日々を暮らしているのだった。

 ……これはそんな、とある惑星での物語。



     ≡☆≡



 峻厳な山峰と長閑な田園風景の調和。

 透明な澄みきった空気が、蒼と翠の美しさを際立たせていた。大空には白銀の月がぼんやりと浮かび、真綿を引き伸ばしたような薄い雲が広がっている。風はどことなくひんやりとして、上空には悠々と飛ぶ鳥の鳴く声がした。

 山の裾野には、背の高い青々とした木々が生い茂る。程よい間隔で群生するそれらの、幹の隙間の向こう側に、何やら動く影があった。


「おーい、そこの! 旅人か!?」


 木漏れ日が差す緩い傾斜の坂道を、軽やかな足取りで下るその背中に、野太い声が掛けられた。呼び止められた人影は驚いたように足を止め、声のした左の方向を振り返る。細身な姿にはやや不釣り合いな大きめの外套を翻し、耳に掛かる程度の金糸のような髪を揺らしながら、声の主を認めてパッと明るい笑顔を浮かべた


「はい。山向こうの、ルンダリの街から来ました!」


 距離があったので少しだけ声を張って。高くもなく低くもない、落ち着いた心地よい声音が青空の下に響いた。にこやかな笑みを浮かべて答えたのは、──少年だ。

 空の色を映した瞳は優しげに。幼さが少し残る顔立ちも、あと数年も経てば立派な青年に見えるだろう。胸元の大きな羽飾りも、端正な容貌とよく似合っていた。

「本当か? 何の話も聞いていないが……。それにしても、よくここまで来れたもんだな!」

 少年に声を掛けた壮年の木こりは、腰掛けていた切り株から徐に立ち上がる。重量のある体躯は丸太のようにしっかりしていて、まるで一本の木が生えてきたようだった。立て掛けてあった斧をわざわざ手に持ち、木々の合間をぬって少年の元へ歩み寄る。

 少年もまた小道を少し外れて背の高い野草が増えていく足元を確かめながら、木こりの元へと踏み出した。

 ザッザッという二つの音を立てて少しずつ距離が縮まり、互いの存在がはっきりと感じられるようになると、……ちゃんと人間だったか、という木こりの安堵したような独り言は風に攫われ、少年の耳に届くことはなかった

「「……………」」

 互いの手が届くか届かないかの距離で、二人は対面する。

 少年は胸に手を当て、優雅な所作で軽く一礼した。陽の光に煌めく髪と瞳は、輝石のようにはっとする美しさだった。

 木こりはまじまじとそれらを観察してから、少年の肩越しに見えた荷物に目線をやる。

「……吟遊詩人、か?」

 布に包まれて判然としなかったが、独特の形から推察したその予想は当たったらしい。少年はパッと顔を明るくして、大きく頷いた。

「はい、このリュートで演奏をしながら、世界中を旅しています」

「一人でここまで来たのか? わざわざ?」

「はい、そうです。風の星霊に導かれて~と言いたいところですが、ルンダリの使者として来ました」

 周囲を警戒するように見回していた木こりが、はたと動きを止める。

「ルンダリの使者? はぁ、珍しいな。ここずっと音信不通だったのに。しかも、何たって吟遊詩人なんか寄越したんだ?」

 歯に着せぬ物言いに、少年は嫌な顔をするどころか、くすりと笑った。

「はい、まだふた月程度ありますが、既に《星誕祭》の準備が始まっています。街中が準備で慌ただしいので、猫の手も借りたかったのでしょう。おれも丁度、この東の果てに来てみたかったので、お引き受けしたんです」

 終始朗らかに頬笑む彼の、頭の天辺から爪先までをもう一度じっくりとよく見てから、木こりは顎の無精髭を擦った。

「よくまぁ、そんな体と装備であの山を越えられたもんだなあ」

「体力には自信がありますので」

 何てことの無いように、爽やかに答えた少年の来た方向──背後に聳え立つ、まだ雪も残る山麓と見比べて、木こりは目を見張った。

 少年の荷物と言えば、背負った楽器の他には斜め掛けの皮の鞄だけ。大して大きくもないそれで、ルンダリから早くても十日以上掛かる行程に、雪山を一人で登りきったとは到底思えないし、外套の隙間から覗くすらりと伸びた手足は、決して屈強なものではなかった。むしろ簡単に手折れそうな花のようでもあったが、目の前に並べば、恰幅の良い木こりと身長にあまり差はない。

「本当なら、大したもんだなあ」

「ふふ、ありがとうございます。でも、早々に人に出会えて良かったです。少しだけ、本当に村があるのか心配でしたから……」

 ガハハハ、今度は木こりが大きく笑って、手にしていた斧をゆっくりと地面へと下ろした。

「まあそうだろうな。ここまで来るのは隊商くらいで、個人で来るやつなんてそうそういない。地図に書かれてないこともあるらしいしなあ。だがオレもまさか、この時期に人が山を越えてくるなんて思わなかったぞ?」

 おどけたように肩を竦める木こりに、少年はすまなそうに眉を寄せた。

「突然の訪問になり、申し訳ございません……。予めルンダリから鳥を飛ばしたらしいのですが、一向に返事が来なかったのは、やはり届いていなかったからなんですね」

 あ~~と、木こりは頭をボリボリ掻きながら太い首を巡らせて、針葉樹の貫く高い空を仰ぎ見る。

「この一年近く、何の連絡も聞いてないな。山もダメだが、空もダメなんだなあ」

 葉の隙間から陽光が燦々と差し込み、一緒に顔を上げた少年が眩しさに目を少し細めた。風にさわさわと揺れる葉の音が心地よく落ちてきて、次第に温まってきた空気からも、穏やかな午後の陽気を感じられた。

「ってもうこんな時間か。そろそろ仕事に戻らんと」

「申し訳ありません、お仕事の邪魔を……」

「いや、ちょうど昼飯食った後の休憩中だったさ。お前さんは休まなくて大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。このまま村まで行きたいと思います。ちなみに、村の場所が地図によって違っていて、山の麓もあれば更に遠くのものもあったりなど、実際は後どのくらいでしょうか?」

 小首を傾げる少年に、木こりは無骨な指で右の方向を指し示した。

「一刻くらいだな。森を抜けて、丘を越えたらすぐ見えるさ」

「ありがとうございます! 近そうで良かったです」

「ああ。このまま道沿いに行けば村に辿り着く。カエデ様の家もすぐ分かるだろ。まずはカエデさ……村長を訪ねるんだな」

 日に焼けた肌とは正反対に真っ白な歯をニッと見せて笑う木こりに、少年も満面の笑みで応える。

「久しぶりの来客だから真っすぐ辿り着けるかは分からんが、まぁ気を付けてな!」

 ぬっと伸びてきた腕で、バシン!、と力強い音を立てて少年の肩が思い切り叩かれた。それはマント越しにも手型が付いてしまいそうな威力だったが、少年は少し髪を揺らしただけで微動だにせず、変わらない笑みのまま普通に返事をする。

 目をパチクリさせた木こりは、手に残った感触を確かめるように、拳を何度か閉じては開いて閉じては開いてを繰り返した。口角を片方だけ吊り上げ、虚空を見上げてから一度頷く。

「確かに、雪山も登れるかもな」

「?」

 何やら納得した様子で、キョトンとする少年に片手を振りつつ身を翻す。

 斧を肩に掛けて仕事に戻っていくその背中に、少年はまるで手本のような姿勢で深々とお辞儀をした。

「色々ありがとうございました。星の導きのままに」

「ああ~ままに。またあとでな!」

 適当に省略された星句が返ってきて、少年は困ったようにはにかんだ。小さくなっていく後ろ姿を横目に、自身も来た道へと足を向ける。皮の紐を握り荷物を背負い直して、大きく息を吸い込んだ。

「よし、行こう。ティールの村へ」

 応えるように風が吹いて、木々の葉も小さな花を咲かせた足元の雑草もさわと揺れた。涼やかな空気の満ちた森を通り抜け、高い木々の合間に伸びる、真っすぐな小道を歩いていく。


 葉の隙間から木漏れ日がちらつく。落とされた影がだんだんと濃くなっていく。

 天頂を昇りきった日輪が、もうすぐ一番強く輝く頃だ。



     ≡★≡



 歪な半円球に象られた、巨大な真っ暗闇に浮かぶ。

 宇宙に点在する星々のような、無数の灯火。

 一つ一つのそれはまるで生き物のように、無風の空間に揺らめいていた。

 時折、ジジジ──という音を立てて。芯を焼ききり、放射線状に熱を放ちながら、温かい輪郭を描き出す。

 ぼんやりと照らし出された岩肌には、たくさんの鉱石たちが眠っていた。大きさも形もバラバラなそれらは、いくつもの光を反射して鈍い三原色を湛えている。壁面だけでなく地面からも顔を覗かせ、惑星が胎動するように仄かな明滅を繰り返していた。

 壁の窪みや岩石の上に並んでいるのは、小さな星の光──否、数え切れない程の蝋燭だった。規則性はなく自生する菌類のように無造作に。所狭しと置かれている。

 ふ──と、青白い炎が揺れ、溶かされた蝋が側面を伝いポタリと落ちる。それは蝶の溢した鱗粉のように、細かい粒子を散らしながら美しい音色を奏でた。


 ……しゃらしゃらんしゃらり。


 一粒一粒が擦れ合うと、弾けた音符は跳ねては返り、跳ねては踊り。光の子どもたちは、天から降り注ぐ流れ星を真似て散らばっていく。一箇所から始まったそれは、やがて次々と輪唱して、辺り一面に輝く波が寄せては返した。


 ──Fo-zorte mary dea-tair


 そんな、とりとめのない音霊たちを連ねるように。どこからか響いてきたのは〝歌声〟だった。絹のように美しく滑らかに、夜空を模した洞窟に反響するそれは、小さくも別格の輝きを放ち、少しずつはっきりと聞こえてくる。

 ひたん、ひたんと。歌声とは別に、地面を擦る音も混ざる。近づいてくる足取りは雲の上を歩くようにふんわりと、無重力で舞い踊るように軽やかなものだった。


 ──kia susu o bella a refasa


 旋律に共鳴して、色とりどりの光も明るさを増していく。満天をそのまま映したかのような、幻想的な光景がみるみる広がっていった。

 蝋燭の灯火と鉱石の彩りに満ち溢れた空間に辿り着いたのは、──一人の少女。

 細かいレースのあしらわれた白いワンピースを身に纏い、腰から伸びる青いリボンがひらひらと宙に舞う。漆黒の真っすぐな髪は風に遊び、青い花の飾られたヘッドドレスと揺れる。

 照らし出された、人形のように愛らしい顔立ちは微笑を湛えて。どこかぼんやりとした眼差しは、危うさと儚さを内包していた。

 旋律に呼応して七色の輝きを増した鉱石たちと、揺らめく炎と戯れながら、少女はゆったりと踊り始める。しなやかな手を羽のように伸ばし、スカートの裾をふわりと広げて、くるくるゆらゆら。上手だとか下手だとかいうことなど一切気にせず、自由に己の気の向くままに。自身の紡ぐ歌に合わせて、光の子どもたちと仲良く踊り続ける。

 時の星霊をも虜にして、時間の流れを止めてしまったかのような夢見心地が、永遠に続くかに思えた。

 しかし不意に、清らかな歌を奏でていた薄紅の唇が噤まれる。

 直後、──ブンと視界が揺らぎ、いくつもの鮮やかな光彩が色褪せて、恐怖に怯え震え出した。少女の髪も服も、重力を思い出したように途端、萎れてしまう。

「………ん…?」

 少女は闇を溶かした瞳を見開き、何かに呼ばれた気がして、自身の来た方向を振り返る。

 そこにはぽっかりと空いた闇、虚ろな通路が延々と続いているだけだった。少女にとっては、何も変わらない見慣れた風景である筈なのに、言い知れぬ違和感がそこにはあった。

 茫然と立ち尽くす少女。

 得体の知れない、轟とうねる風が洞窟の最深にまで吹き込んでくる。

 ますます光を失っていく祭壇に、地を這うような獣の唸り声が振動した。

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