SFを読むしか能のない俺がSFの存在しない世界へ転生して売れっ子作家になった件

鈴沼 植

第1話

「それで何が不満なわけ?」


 それまで黙って俺の主張を聞いていた水島さんが、コーヒーを一口飲むと訊いてきた。


「だってさ、あそこで主人公が行動を変えてしまうと、後の出来事とあきらかに矛盾してしまうじゃないか。おかしいよ」


 またいつものパターンか、と思いつつも俺は言った。これだけは譲るわけにはいかない。


「あの小説はリプレイもので、負け犬だった主人公がサクセスしていく過程が面白いんじゃないの。そんな細かいこと気にしていたら読めないでしょ」

「細かいことじゃない。小説の根底にかかわる問題だ」

 彼女はふんと鼻を鳴らし、

「まったくこれだからSFファンは」

 これにはさすがにむっときた。


「水島さんだってSF読んでるじゃないか」

「私は佐野くんみたいなSFバカじゃないもの。ミステリだって純文学だって読んでるもの」

「そんなマウントとるような言い方しなくても……」


 そこで後ろから肩をつつかれた。振り返るとカスミのマスターが立っていた。白い髭の下で口元が苦笑している。


 周囲を見回すと、ほぼ満席の客がドン引きしていた。知らず知らずのうちに声が大きくなっていたらしい。


『月観測衛星を載せたロケットが先ほど打ち上げられ……』

 静寂の中で、備え付けのテレビがニュースを報じている。ここカスミは個人経営の喫茶店だ。俺たちは常連だからソフトなかたちで注意されたのだろうが、何にせよ褒められた態度ではない。二人して、すみません、と言って小さくなる。


「帰る」

 しばしの沈黙のあと、俺は席を立った。このまま居続けても雰囲気が好転しないことは、過去の経験からよく知っている。頭を冷やすしかない。


「コーラ代は払いなさいよ」

 水島さんが言った。さっきのことがあるので、咎める調子だがさすがにひそひそ声だ。


「そっちは社会人なんだから、そのくらい持ってくれよ。俺は学生なんだし」

「学生って、あんた7年生で私よりひとつ年上でしょうが!」

「失礼な、俺はまだ6年生だぞ」

「あと一月もしたら7年生じゃない! そんなんだから――」

 言いかけて口をつぐむ。またマウントとりになってしまうと気付いたからだろう。


 その隙をついて俺は店を出た。せめてもの腹いせだ、俺のコーラ代を払うがいい。


 背後でドアが閉まると、マスターが何十万円だか出して買ったという店頭のマスコットロボットが「ありがとうございました」と頭を下げた。


 午後の早い時間帯だったが、空は雨降りで薄暗い。店内に傘を忘れてきたことに気づいたものの、いまさら戻るのも間抜けだ。


 ままよ。どうせ家まで十分足らずだ。濡れて帰ろう。

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