這って来る男

Jack Torrance

這って来る男

あたしはワンルームのアパートに住んでいる。


部屋は4階。


女の一人暮らしなので1階は不用心だと思いエレベーターは付いていないアパートだがこのくらいの階が無難かなと思って4階にした。


エレベーターが無いので重たい物を持って上がる時は大変だ。


この地区は貧困街なのでエレベーターが無いなんてのは当たり前。


その貧困街に住んでるって事はお察しの通り、あたしも貧しい身分だ。


昼はウエイトレスの仕事をして生活費と学費を稼ぎ夜は夜間大学のワークショップに通っている。


あたしは作家を夢見て昼も夜も驀進中。


理想を言うならサラ パレツキーのV.I.ウォーショースキーみたいなパンチが利いててユーモアな探偵ミステリーを書きたい。


ある日、呼び鈴が鳴った。


あたしはウエイトレスの仕事は非番でベッドの上でチートスを齧りジンジャーエールで流し込みながらジョン アーヴィングの『サーカスの息子』を読んでいた。


来週までにプロットの展開が齎す登場人物への副産物というレポートを提出しなければならない。


プロットの展開で読者を惹きつけてやまない作家って言ったらキングとアーヴィングでしょ。


だから『サーカスの息子』を読んでる。


プロットの展開で小説をおもしろくするには登場人物のキャラクター設定上では絶対にやらかさないであろうという事を実行させたり読者の想像を上回る意外でインパクトのある展開に持っていけばいいだけなんだろうけどね。


レポート面倒臭いなぁ~。


夢中で読んでいる『サーカスの息子』も山場に差し掛かりおもしろいところなのにという場面での呼び鈴。


チッ、面倒臭いな。


あたしがとある由緒ある貴族の使用人で呼び鈴で呼ばれても今は『サーカスの息子』に集中したい場面だ。


だが、この前アマゾンの中古本で頼んだスティーグ ラーソンの『ミレニアム1ドラゴン タトゥーの女』の配達かも知んないしなぁ~。


あたしは心の中で舌打ちしながら渋々玄関に向かった。


玄関のドアスコープを覗いた。


誰の姿も無い。


悪戯?


それとも隣室の子が間違えて押したとか?


あたしは不覚にも扉を開けてしまった。


えっ!


一瞬何が起こっているのかあたしは理解不能になり疑問符が頭の中に無数の星々の如く煌めいた。


そこには上半身裸でうつ伏せになっている男がいた。


???


あたしはあまりの衝撃と恐怖に襲われ一歩後退した。


すると、男の肩甲骨の所に裂け目が出来て電動のこぎりの刃がウィーンと音を立て現れた。


トランスフォーマー?


それとも新手のマーベルコミックのキャラクターとかB級ホラーのキャラクター?


あたしは予想だにしないプロットの展開と恐怖に戦き四歩五歩と後ろに退いた。


そのうつ伏せの男は沼地からのしのしと陸に上がって来るワニのようにあたしに接近した。


その様子はジョーズが海面から背鰭を出して迫ってくるシーンさながらの光景だった。


狙った獲物は逃さない。


男の眼光の鋭さは老練な狩人、その人であった。


あたしは悲鳴を上げながらベランダの方に逃げた。


だけど、頭がテンパっていてカーペットの端に躓いて転んでしまった。


男はベトナム戦争の歩兵部隊よろしく!


砲弾が飛び交うジャングルを匍匐前進する兵士のようにあたしに迫って来た。


人は極限状態のパニックの中でどうでもいい事を考えてしまう。


例えば、この窮地を脱したらリッツ カールトンのスイートを予約して飛び切り上等なシャンパンと苺をルームサービスで頼もうとか…


あたしも例外に漏れずどうでもいい事を考えてしまった。


この男は階段を昇る時と呼び鈴を押した時は立っていたのだろうかと…


他愛もないどうでもいい事が脳裏に過っている最中にも男はどんどん迫って来る。


そして、あたしは思った。


こ、殺される。


『ジョーズ』で鮫に襲われるシーンのBGMが脳内でリフレインしている。


あたしも必死になって這って逃げるが男の方が匍匐前進に慣れているのか断然速い。


男の手が足に触れた。


し、死ぬ。


私はライヴ開場でオーディエンスに全く受けない自暴自棄に陥ったミュージシャンのようにその場に立ち尽くした。


いや、言い違えた。


這い蹲った。


すると、どうであろうか。


男は匍匐前進で倒木を跨ぐかのようにあたしの体の上を匍匐前進して行った。


????


あれ、生きてる。


男のベルトのバックルで皮膚は少し傷付いたが。


尚も匍匐前進する男。


はて?


男は何に向かって突き進んでいるのだろうか?


あたしはベランダのプランターに水をあげようとベランダの窓を開けっ放しにしていた。


男は窓の枠を超えベランダに出て尚も前進している。


ベランダの鉄柵は下の部分が大人の頭がすり抜けるくらい間が空いていた。


男は頭がすり抜け肩甲骨の所の電動のこぎりで鉄柵をカットした。


すると、鉄柵は腐蝕していたのか?


途中からポキンと折れてもげた。


男は地上4階から地面に真っ逆さまに落下しその脳味噌をアスファルトの上にぶち撒けた。


えっ、えっ、えー!


この男は一体何をしに来たんだ?


もしかして、自殺願望があったとか。


あたしは、こう思うようにした。


男は神から遣わされた天使で君のアパートのベランダの鉄柵は腐蝕しているから危険だよと告げに来てくれたんだと。

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這って来る男 Jack Torrance @John-D

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