第42話 新生活
「ひとまず食事にしようか」
言われて気が付くと、店員さんが食事を運んできたところだった。
「パスタ久し振り」
「そうだな」
ハインブルはとにかく肉、肉、肉、なので。
主食はてんこもりのご飯かパン。
もうずっとパスタが食べたかった。
パスタとサラダとスープのセットを見るとなんだか安心してしまう。
ラルクはそもそも肉食なので抵抗はなかったみたいだけど。
地球の人間と身体が違うだろうから、野菜をとらなくていいのかとったほうがいいのか分からなくて困った。
ここには待ち望んでいた図書館があるので色々と調べてみるつもり。
閑話休題。
私はひとまず難しいことを考えるのをやめて食事を楽しんだ。
本日は春キャベツのパスタ。揚げ玉ねぎとルッコラサラダに玉ねぎスープ。
フォークに巻いて一口。
んんん、美味しい。
キャベツは柔らかくて甘みがある。ベーコンの旨味がパスタに染み込んで、アクセントは……これ、ひょっとしてアンチョビじゃないかな。
「メルスンにアンチョビがあるなんて…嬉しい」
「ん?」
「お魚の塩漬け。たっぷりのお塩に漬けた後に熟成発酵させて、オイルで美味しさを閉じ込めておくの」
懐かしさで胸がいっぱいになる。
戻りたいとは言わない、それでも、前世の記憶が色濃く残る私には、ちょっとしたホームシックくらいあるのだ。
「へぇ…まぁ、それなら長持ちしそうだよな。メルスンとマイアは隣国で販路も発達しているし、比較的入荷しやすいのかもしれねぇ」
小説にも出てくるけど、帝国と結ぶ大河ほどではないけど、船が通れる川はあって、マイアとメルスンにも航路はある。
「これ、もともとは保存食だから」
「なるほど」
懐かしさと期待以上の美味しさに心が和んで。
食べ終わる頃には沈んだ気持ちも回復していた。
食後のお茶に口をつける。
爽やかに抜けていくようなハーブティだ。
実は私は珈琲党なのだけれど、何処にも売ってないのでそろそろしんどくなっている。
「美味かったな」
「うん」
「誘いに乗ったのは、何か仕掛けて来るかと思ったからなんだが」
誘いってお店の紹介の話かな?
「誰かが出てくるわけでもなく、盗聴や薬が仕込んであるのでもなく。見張られてる感じもしねぇから後をつけて来ることもないだろう。
本当に良心的な美味い店を紹介してもらっただけのようだな。
だとするなら、返事は出した方がいい。ここまで何の悪意の欠片も見えず、謀略の気配もないんじゃ、かえって何もしようがない」
「…覚えてないことは、言った方がいいかな? 怒らせちゃうかなって」
「相手の性格にもよるだろうが、怒るより悲しむんじゃないか? 本当に親しかったのなら、だが。
それでも覚えてないものは仕方ない。お前は嘘が下手だから、素直に書けばいいと思うぞ」
うう、確かに、下手な嘘をつくほうが
前世の記憶チートがあっても分からない相手なのだから、正攻法でいくしかなさそうかな…。
「うん。正直に書いてみるね」
それから程よく食休みをして、お店を出た。ご馳走してもらってしまった。
■□
トラキスタに来て初めて自宅と呼べる場所に帰ってきた。
帝国に居たときは寮の共同生活だったから、自宅と言うにはちょっと違ったし。
やっと落ち着ける場所が出来たのかな、と嬉しく思いながらカーテンをかける。
敷地には、防犯と情報漏洩防止のありとあらゆる機能を詰め込んだ結界を張った。
カーテンを掛け終えて踏み台にしていた椅子から降りると、ラルクが私の傍にやってきた。
「リチ…さっき結界を張ってくれたよな。あれで外から見えなくなったと思っていいか?」
「うん。不可視にしたけどちゃんと張ってあるよ。
無人に見えるとかえって危ないから、人影は見えるけど、何をしているか話しているかは一切分からないようにしてる。
私達以外の人や、害となるものは全部入れない。
ただ、畑があるから雨風は避けなかった、でも雷は避けてある」
「分かった。そのとんでも性能には今更つっこまねぇとして。
…なら、お前に話すことがある」
え、なんだろう。
そんなに改めて話すことって?
珍しく、ラルクが一呼吸を置いている。
いつもと様子が違うから、思わずこちらも緊張してしまう。
彼はリビングに手を翳した。
フォンッ
空気が独特の音色を奏でるような効果音がして、何もなくだだっ広かったリビングに次々と家具が設置されていった。
私は本日二度目に、目をまるくする。
これはアイテムボックス。
もちろん知っている、それに驚いたんじゃない。
私が驚いたのは、彼が私にそれを明かしたことだった。
声を失くしている私に、彼は向き直る。
「俺はアイテムボックスのスキルを持っている」
「………うん」
「すまなかった、ずっと言わなくて」
「ううん、それは、いいの」
私は我に返って慌てて首を振った。
「稀少スキルは夫婦でさえ言わないものだから」
マジックバッグは所詮、物に過ぎない。危なくなれば、最悪は手放す手段もある。
けれどスキルは自分自身、知られたら最後、どうにもならない。
「きっと陛下も知らないと思う……どうして私に?」
思わず聞くと、彼は私を真っ直ぐ見てくれる。
黒曜の瞳は相変わらず吸い込まれるようで、私も見つめ返す。
「お前が、俺に全てを賭けてくれるからだ。
回復魔法については、俺は未だに納得しちゃいない。でもきっとお前はその時が来たら聞かねぇだろう。だったら、俺はお前がそうしないで済むようにしようと思った。
そのためには、お前にこの力を隠しておくと都合が悪いこともあると思う」
嗚呼
物語では最後まで、信頼した勇者にすら明かさなかったそれを
こうして真っ直ぐ私を見つめながら教えてくれる、そのことが
私の心をどれだけ躍らせるか、きっと貴方は知らない
ラルクは私の頬に指で触れた。
いつの間にかまた泣いてしまっていて、そっと拭いてくれる。
「その代わり、この秘密はお前にとっても重いだろう。そのことは、」
「謝らないで、嬉しいから。悪いことだと思って欲しくない」
「…分かった、ありがとう」
ラルクの手が優しく私の頭を撫でる。
怖いことも沢山あって、私一人の力はちっぽけで、悩んでばかりだけど。
私は一人じゃないんだな、って思った。
ラルクが出してくれた家具は、明らかに大切にされていたもので。
感情を殺し見せないことを徹底せざるを得なかった彼が、密かに癒されていたものなのではないかと思った。
きっと誰にも触れさせていなかったはずだ。
だって触れればその家具に触れた人との歴史が残る。その人と悲しい結末を迎えれば、家具に触れる度に思い出してしまうから。
繊細な彼はそれを望まなかったに違いない。
私はその歴史の中に迎えいれてもらえたことが嬉しくてたまらず。
居心地のよいソファにもたれて、彼ととりとめもないことを話しているうちに。
旅の疲れが出て、眠ってしまったらしい。
■■□■
五月中旬。
初夏の日差しはやはり強い。
カラッとしていて風が通るので不快感は少ないけど、お肌には天敵の日焼けをしそうだ。
そのあたりは、きっちりと日焼け防止の結界を張っているけれども。
私は今、そんな太陽の下で熟した野菜を一つ一つもいで、収穫している。
魔法でやればすぐ終わるんだけど、なんとなく。
熟したものを目で見て判断して一つ一つこまめに採るのが今は楽しいから。
手に取ったお茄子に似た野菜をじっと眺める。
あっちのよりふんわり丸くて薄い黄緑色で、やや大きい。
せっかく広い畑が手に入ったことだし、と、緑、水、土魔法を駆使したら、すっかり農園のようになってしまった。
外からは結界のお陰でごく普通のお芋と豆の畑が広がっているように見える。
実体は、果物の成る木もあって、大概の野菜と果物がここで足りてしまうことになった。
本当は、秋には長旅に出ないといけないから、ここまでするつもりはなかったんだけど…。
どういうわけか、育つ環境がそれぞれ違うはずなのに揃ってすくすくと健康に育つ上に、成熟が早いものだから…つい。
大量に収穫した籠を持って倉庫に行き、一つ一つ箱詰めする。これを積んでおくと、ラルクがアイテムボックスに収納してくれる。
孤児院におすそ分けに行こうと思ったんだけど、彼に真顔で止められてしまった。
時期が違うものが同時に収穫できているのがそもそもおかしいから知られない方がいいし、どんな効果があるか分からないうちは、迂闊に他人の口に入れない方がいいと。
ど、毒は入ってないと思うよ?
ハンカチで流れ落ちる汗を拭った。
熟したものは一通り収穫が終わったので、これから日課の魔法訓練を行う。
野盗戦で浮き彫りになった課題をなんとかしようとしている。どういうことかというと。
移動型の結界は球形で、相手の攻撃は全て通らないけど、自分は通る。
敵の攻撃をかわしたり受け流したりして隙を突こうとしても、そもそも自分よりずっと手前で結界に弾かれてしまう。
だからといってこちらから踏み込んでも、結界で押しのける。
意識した瞬間だけ素通りさせて戦うとなると、相手が手練れなら反撃されることもある。そもそも内側に入れるなら結界の意味はない。
だから、接近戦、特に格闘スタイルにはこの上なくやりにくい。
変な戦闘癖がついたら本人にマイナスにしかならない。
それで。
ぴったり張り付いた感じの結界にしようかと思ったんだけど。
ラルクは以前、スライムが結界に張り付いたことを覚えていて、それをかなり粘りの強いものでやられると窒息死するかもしれないと言われ。
確かに他の人が張った結界では咄嗟に自分で解除できないからその危険性がある。
この問題を解決することを課題としているのだけど、うまくいかない。
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