第30話 運命
私は彼の言葉をかみしめていた。
彼の言葉が嬉しくて感動したのは勿論そう。
こんなに優秀で現実的な判断ができる人が、私の思いを汲んでくれるなんて。そんなに大切に思ってくれているなんて。
だけど何よりも響いたのは。
彼は、私が物語に自ら縛られていることを知らないのに、まるでそれが今の私の状況から、私を自由に解き放とうとしているかのようで。彼にその意図はなく、私が勝手にそう感じただけかもしれない。
でも、彼の真っ直ぐな思いは再び私の中に挿し込んできて、奥にある心に届いた。
だけれど、もうひとつ、踏み出すには何かが必要だった。
ゲームならば、仕様があって、推奨レベルや敵の挙動なんかが分かっていて、クリアした経験があれば、多少は経緯が変わっても要所を押さえれば勝てる自信が持てただろう。
でもこの世界は現実だ。皇帝陛下という帝国最高の権力者を相手にして、首を飛ばされずに近付き事を成し遂げるのは、簡単なはずがない。物語は、多くの協力者を得て、綿密な計画を立て、そしてそれと皇帝の気まぐれ、気分がうまく合致したことで成功した。
そして、ラルクは勇者一行においての
その人と私が共に居ることで行動を変えてしまうことは、番狂わせを起こしかねず、その不安と恐れを払しょくするにはどうしても決め手が足りなかった。
ラルクはここからは慎重に空気の流れや音、匂いを確かめながら進んでいる。
いくら私が鳥人であっても、野盗団の音が聞こえたのは、何処かに空気の流れが出来ていて、彼らの音を上空まで吹き上げたからと考えているらしい。
そうなると、私達の立ち位置、風の流れの方向によっては、私達には聞こえなくて、彼らには私達の音が聞こえるリスクがあるそう。
危険なのもそうだけど、気付かれたことで人質を連れてこの迷路を方々に逃げられると追いきれないから。
「風上なら眠る霧を流すとか駄目なのかな?」
「風の流れによっては薄まって効かなかったり、逆に人質が衰弱していると稀に昏睡状態に陥るリスクがある。
使いどころがないとは言わねぇが、構造を理解した場所か、室内の方が適しているな」
「そっか…」
うう、あるあるファンタジーの発想が全く役に立たない。私の推しは本当に頼りになる。
すると、私が落ち込んだのが分かったのか、ラルクの声のトーンが僅かに変わる。
「ちなみにお前は分かっていないようだが、あのミミズは討伐に特化した大人数編成でBランク、そうじゃねぇならAランク想定の強さだと思う」
「え」
お、大きかったけどそんなに強かったのかな?
「難なくスッパリと斬ってみせたが。あのボディは斬撃耐性と打撃耐性を持っていたはずだ。弾力があって力の方向が分散された。
戦術としては二つ。
一つ、固定または硬化させて動きを封じ、斬り付ける
一つ、防御壁で粘液から全体を護り、盾役が頭と触手の攻撃を集めていなす間に、魔法か射撃で遠隔から削る
あれだけでけぇ身体だ、耐久力も相当だったろうな。魔法耐性まであったらお手上げだ、生半可な魔法師じゃジリ貧で負けることさえあるだろう。
ちなみに俺は、全ての攻撃をかわしながら毒を
ふ、ふぇぇ。
「お前はそんな化け物を突然相手にして、いつもはチャクラムのように動く風刃を、巨大サイズにして直線でスパっと飛ばしてみせた。
咄嗟にあれだけ的確な攻撃ができるってのに本人は震えてるのは相変わらずだが」
「な、何も考えてなかったんだけど…」
あの大口を見てラルクが危ないと思ったら頭が真っ白になって身体が勝手に動いたというか。
震えてたのは、ミミズも怖かったけど、何より貴方を危険な目に合わせたことが怖かった。
「要するにお手柄ってことだ」
ラルクは私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
いつもの革の感触。生きていてくれて良かった。
「…でも、そんな強いモンスターがハインブルに居るなんて、」
「あぁ、本来ならモンスター領域ぐらいでしか拝めねぇはずだが。残念ながらハインブルなら勝手に育つことも充分有り得る、以前の蟻事件がいい例だ。敵方にテイマーが居る可能性もゼロではないが」
「御者さんも攫ったのはそれに関係あるのかな?」
「分からない。テイマーは人身売買でも価値がある。
こんなところを巣にする連中じゃ、規模も想定できねぇし、目的も選択肢がありすぎて想像できねぇ。
何しろモンスターを避ける
「…」
「だから今は下手なことをせず、情報集めに専念しよう」
「分かりました」
緊張のあまり思わず敬語になって頷くと、ラルクがまた頭を撫でてくれた。
と、私達の間にノームが割り込んできた。小さな土くれの集合体が集まったり広がったりしているように私には見えるんだけど、ラルクには何も見えないらしい。
それが壁の向こうに私達を引っ張っていこうとしているように感じた。
「ねぇ、ラルク、この壁の向こうに連れて行こうとしてる」
「…ここを開けろってことか?」
ラルクが聞き返してくると、ノームがふいっとトンネルを開けてくれた。
私の推しがまたすんってなっている。
でも、何も言わずに歩き出した。私も続く。
と、急に風の流れが変わった気がした。
「…さっきとは違うな」
「あ。音が聞こえる、笑い声とか」
「そういうことか」
抜け出した先はさっきよりずっと小さいトンネルで、今度は人が二人通れる程度だ。他のモンスターが開通したものだろうか。
通ったトンネルは瞬く間に何もなかったかのように閉じた。ノームしゅごい。
気が付いたらノームの傍に、今度は小さな渦巻のような風の塊がいる。風の精霊シルフだ。私達の会話を聞いて、いつの間にか呼んでくれたのかな?
「ラルク、風の精霊シルフがいる」
「……、まさか、頼んでねぇのに自主的に呼んでくれた上に、風の流れを読んで、適した道を教えてくれたってのか? 何が起きてんだ」
私は困り果てる。私にも分からない。
「それはともかく、音がこっちに流れてくるなら、察知される心配は低くなった。インビジブルで早々に距離を詰めるぞ」
「うん」
言われるまま、先を急ぐ。次第にラルクにも聞こえるようになり、明かりを極力小さくして進むと、向こう側から光が見え、人の気配がするようになり、ライトを消した。
慎重に近付いて覗き込んでみれば、どうやらこちらの方が上で、ちょっとした広間を見下ろす形になっている。これは有利だ。
そこは、思ったよりちゃんとした拠点として整えられていた。
粗末だけれど頑丈そうな木製の机や椅子が並べてあり、場末のスナックのように見えなくもない。カウンターはないけど、その代わり、木箱の上に大量に酒瓶が並べられている。そのまま瓶をあおっている者も居れば、酒樽から自分で注いで飲んでいる者も居る。
この拠点に辿り着けるわけがないと思っているんだろうな、警戒が見えない。防具を着ていないし、武器も剥き出しの土壁に並べられているから。
ということは、出入口が見つからない自信があるか、入ってから辿り着けない確信があるか。
種族はバラバラのようだ。職業は、魔法師や魔導具師がいると厄介だけど、見た感じでは分からない。
広間の奥にある通路から男が戻ってきて、酒盛りに参加した。
「奴らの様子はどうだ?」
「ガキの具合が悪いとか言ってたぞ」
どうやら人質の見張りをしていたらしい。少なくとも子供は今、生きていることが分かった。
「どうせ仮病だろ」
「よくやるよなぁ…ここを万が一抜け出したとしたって自力で外に出られるわけねぇのに」
野盗達は大声で笑い合っている。
私はむっとするけれど我慢する。
「障害が残ったら商品価値が下がるよ」
黒髪の女が立ち上がった。
取り立てて特徴が見えないところをみると、人間かもしれない。
「おい、勝手に牢を開けてボスのお怒りを買っても知らねーぞ」
「あんたたちが言った通り、どうしたって逃げられないよ。ましてや子供連れじゃねぇ」
「だーから、何で行商がガキを連れていたか、おかしいからボスがちゃんと調べろって言ってたじゃねーか」
ハインブル以外ならば何もおかしくはなかっただろう。
この国であっても、メルスンとマイア、帝国を繋ぐ大街道なら、比較的治安が良いので有り得たかもしれない。けれど、辺境を行く行商で子連れは確かに不自然だった。
「具合が悪いなら丁度いいじゃないか、口を割らせてやるよ」
女は不快そうに言い切ると、制止を振り切って広間の奥にある通路へ行ってしまった。
そっちはここからじゃ見えない。
私はラルクの顔を見た。彼は私に頷いて、女の向かった方向の土壁を指さした。
そっか、ノームか。
彼の言いたいことを悟って私は頷き、ノームを探すと、既にそれまでなかった小さなトンネルを開けてふいよふいよとシルフと共に先導していた。今度は四つん這いでやっと一人進める程度の狭さ。たぶん、ノームは崩れない最低限度を分かっていて、それに適した大きさにしているんだと思う。
私は手の中に小さな小さなライトを灯し、静かに後を追う。
と、ノームが不意に止まる。私が動きを止めたのを見て、背後でラルクが地に耳を近付ける。犬耳は土に着けにくい形状をしているので下の音を聞くのは実は向いていない。なので私もハンカチを置いて地面に耳をつけた。
『本当に具合が悪そうだね、ほら、体温計だよ。まずは計りな』
『出してはいただけないのでしょうか。ここは湿っていて寒くて、子供の体力を奪う一方です』
『言う通りにおし。放置したっていいんだよこっちは』
『…分かりました』
私は、驚愕に目を瞠った。
聞き覚えがある声だったから。
『計りました』
『どれ。……三十八度…はぁ、確かに、これはまずいね』
『せめてこの子だけでも助けていただけませんか?』
『だからずっと言っているだろう? こっちの聞きたいことに答えたら便宜を図ってやるってさ。
どうして危ないと分かってて、こんなところに子連れで来たんだ。その子供が特別な能力を持っているんじゃないのかい?』
『……子連れで来た、のではなくて、私達は一家で来たのです』
『どういうことだ?』
『熊人の村に移住するつもりでした』
間違いなかった。
でも、どうして?
だって彼らが移住するのは、女神の奇跡の半年後、お告げが降りて、トックくんに印が浮かんで。両親がまだ小さなあの子に危険なことをさせたくなくて、辺境に逃げてきたからだったはず。
――――――――
※細かいことが気になる人向けの蛇足解説
インビジブルを使えばよくね?と思われそうですが。
インビジブルは匂いは消しません。匂いに敏感なモンスターがいた場合、こちらが風上にいれば先に感知されます。戦闘になればインビジブルは解除され、その音が風下に流れるというわけです。
それがなくとも、相手の方が自分達より早く感知できる環境は、優れた隠密なら当然のように避けます。
その心配が少ない、リチが感知した吹き出し口の方は、野盗達の根城に近く、出入口に使われている可能性があり、遭遇するリスクがあるので、ここも避けました。
<巨大ミミズに遭遇したことで考えられること>
・野盗団は、あれが近寄れない手段を持っている
・彼らはあれに見つかっていなかった
・彼らの中にテイマーがいてその眷属だった
1つ目はスキルか魔導具。
2つ目はミミズのテリトリーに近づかず、音や匂いなどの情報を与えず、あの巨体が通らない道のみ使えば可能。
3つ目はあれより強くないといけないので可能性はかなり低い。
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