第8話 夜明けの逃避行
実際に逃げてみたらスピードに勝るものはなかった…。私の準備とは。さすが隊長。こういうのを、案ずるより産むがやすしっていうのかな。
もっとも、もう許可証は使えず売買が出来ないので、手に入れた魔導具は後に何かの役に立つだろう。
帝都の外壁を抜け、人々の混乱が聞こえなくなるまで、ひたすら進んだ。
狼人かつ優れた諜報員の隊長はとにかく俊足で、普通の人には追い付けない。私がそれを制限することがないスペックを持っていたお陰で、瞬く間に喧騒の聞こえない所までやってきた。
そうして、彼が減速していき、繋いでいた手を離して歩き始めると、私はふわりと地に降り立った。
この速度なら、鳥人の私でも並んで歩ける。多分、合わせてくれている。
歩きながら、隊長は無言だ。こちらを見ず、ただ前を向いている。こういう時は考え事をしているのだと、リッチェは知っている。
手回しなどの準備はすれど、まさか本当に奇跡が起きるなんて思っていなかっただろうから、今頃、沢山の感情が吹き出してきたのだと思う。この人はその人生の大半を囚われて過ごしてきたのだ、無理もない。
そっとしておこう、と思って。
私は、記憶に在りながらも、ここに転生してから自分の目では初めて見る景色を眺めていた。
三月とは言えどまだ日は短く、朝の気配を見せながらもまだ夜を残した世界において、広がる土地はとにかくだだっ広く、向こう側にこんもりとした森が黒い塊に見えていた。
帝国の領土は、海岸線は全て険しい鉱山に塞がれていて、鉱脈には恵まれているものの海がなく、広大な平たい台地であることが特徴。
丘陵は少ない代わりに、とかく緑が多い。大小構わなければかなりの数の森がある。
今遠くに見えるあの森は、帝都の南で一番近くにある森なのだけれど、そこそこ深くて、徴兵されたばかりの新兵が、定期的にモンスターの間引きを行う訓練場になっている。
そんなことを考えていたら、隊長がふと口を開いた。
「馬車は小回りが利かねぇからあえて用意しなかった」
「はい」
この世界には地球でいう普通の動物は存在しない。生まれながらにして何故か人類に敵意を持つ、モンスターしか居ない。
だから、トラキスタにおいての獣とはモンスターのこと。つまり、馬車は
こんな混乱のさなか、御者とともに行動するなど、移動速度よりも行動制限の方が厄介ということだ。
私は会話に集中する。
「ここから国境まではかなりの距離があることは知っての通りだ」
「はい」
「選択肢は二つ。
一つ目、時間はかかるが森の中を選んで抜けていく。
二つ目、速度重視で最短をいく。
俺達は身分証を置いてきたから、万が一、衛兵に遭遇すると厄介だ。こんな土地だ、森以外は見晴らしが良すぎて、すぐそばに隠れられる場所があるとは限らねぇしな。
なので、俺は訓練兵に会うリスクを鑑みても、森を抜けて行こうかと思っている。お前の意見を聞きたい」
「えと、まず、その前に、確認なんですけど」
「あぁ」
「何処に向かうんですか?」
「あぁ…そこからだったな」
隊長は、ふっと息を抜いた。流石の彼も冷静に見えてそうじゃないってことなんだろう。
「本当に奇跡が起きなかったら、先を考えてもつらくなっちまうから、考えていなかったんだが」
私は黙って聞いている。それはそうだろうと思う。
彼は何も言わなかったけれど。私の話は、怒りだしたとしてもおかしくない、琴線に触れるものだったはず。
「メルスン共和国に行こうと思う。冒険者でそこそこ食っていけそうだしな」
「はい、私も同じ考えです」
「そうか。ルートは、あえてハインブル興和連邦を間に挟もうと思っている。身分証を作るのに都合がいい」
「そうですね。帝国とメルスンの国境は、検問が厳しいです。ハインブルで冒険者登録をしてからがいいと思います」
「あぁ、そうだな。で、どうする?」
帝国から迫害された亜人が逃れて、その東に建国したのがメルスン共和国。
自由と平等を掲げた、全ての種族から一人ずつ議員を国民投票で選んだ議会による政治を行っている画期的な国。
帝国とメルスン、両国の南方に、種族の特徴を色濃く残した、閉鎖的な自治体を多数内包する、ハインブル興和連邦がある。ここは中立と放任、自己責任が特徴。
西のモンスター領域と地図上は接しているけど、険しい山脈が境にあるので侵攻をされたことがない。
どっちの国とも争いたくないし、自分達で好きにやりたい人達が自然と集まって出来た連邦なのだ。
亜人は癖が強い人が多いからね。有史から三千年も経過して、ハインブル以外は、血が混ざることによって大分その特性は減ったけど。
でも、かの連邦は未だに純血も居るし、他種族と交流もないような部族の村さえ数多く残っている。
ハインブルを挟むのは、その特性ゆえ、入国審査や、身分証を発行するための審査がさほど厳しくないから。ほぼ各集合体の自治なので、実は国としては殆ど機能していない。国の代表としての行政機関が存在しないというとんでも国家なのだ。
生涯、生まれた村を出たことがない、なんてザラだから、身分証を持っていないことも普通にある。故にハインブルのギルドに行けさえすれば、身分証を持っていなくとも怪しまれずに冒険者登録をすることが出来るのだ。
その後はギルドカードを身分証として使えるというわけ。
でも…いくらハインブルとは言え、国境越えは簡単にいくかな。
かと言って、モンスター領域の山脈を超えるのは、私はともかく隊長はつらいんじゃないだろうか…。
小説のラルクはどうやったんだろう。上手くやって門を抜けたのかなぁ。でも、私はどうなんだろう。迷惑かけるんじゃないかな。
隊長さえ良ければ、重量軽減の布を買っておいたから、それで彼を包んでしまえば私が飛べるんだけどな。
「あの、隊長」
「もう隊長じゃねぇよ」
「えと……なんて呼べばいいですか?」
提案してみようと思って声を掛けたら、そう言われた。そうだった。
小説のリッチェは彼との関係を強調したくて、何度言われても隊長呼びを止めなかった。それは彼に過去を幾度も思い出させるつらい
隊長は暫く考えていたけど。
「ラルクで。敬語も要らない」
やっぱりそうだよね。嬉しい。
何であっても慣れるつもりだったけど、やっぱりラルクはラルクがいい。
「へへ…」
「どうした急に」
「あのね、重量軽減の布を買っておいたの。だからそれで山脈を飛んで越えちゃわないかなって」
ラルクの足が止まった。私も足を止めた。
「だったら、体力を温存した方がいい。この先の森で、今日はもうキャンプするぞ」
「やったー」
「今の、喜ぶところ何処だよ」
私が嬉しいのは提案が採用されたから。
役に立てるのだ。わーい。
ラルクだって、冷静にツッコミを入れてるけど、ちょっとピロって鳴った。
自由が目の前にあって手が届きそうで、アガらないはずないよね。
そのまま歩いて森に着いて、万が一を考えて
お互いが分からなくならないようにまた手を繋いだのは予想外の幸せだったけど、これって逃避行のランデブーみたいな、うん、分かってる、ちょっと妄想してみたかったの。
ラルクと手を繋いだまま、随分と歩いて。子供並のフィジカルしかない鳥人としては、もう足が痛くて限界を訴え始めた頃、背の高い草を掻き分けると丁度良い窪地が現れて。ラルクは迷いもなくそこへ降りた。
角度のせいか自然の悪戯か、かなり近くに来ないと分からないこの感じからして、彼はここにこれがあるのを知っていた風だ。
私の五感では他に人の気配を感じない。もしかしたら訓練兵も知らないのかもしれない。
彼は背負っていた大荷物を降ろす。そうして、周囲に仕掛けをしようとした。
「あ、待って」
「ん?」
「あのね、ギヌマさんのところで、獣避けのテントを買って来たの」
私はマジックバッグから折り畳み式のテントを取り出し、窪地の中央に置いて、ボタンを押した。刻まれた魔法陣が淡く光り、組み込まれた魔導式が発動し、テントが瞬く間に設置される。
そして、テントから獣避けの結界が生じ、夜営をするのに丁度いい範囲を護るように展開された。
「どうかな?」
ドヤが顔に出ないように気を付けながらそれでもドヤドヤと振り返る。
「お前…これ、高かったんじゃないか?」
「そ、それはね、ちょっとは。でも、ちゃんと自費ですよ?」
「そこは疑ってねぇよ」
間を置かずにあっさりと言ってくれた言葉で、私は不意打ちできゅんとしてしまう。
うん、確かに、リッチェはラルクにさんざっぱらアプローチをして迷惑をかけたのは事実、でも、仕事はきちんとしていて、そういう卑しい真似はしなかった。
「なら人避けはこっちでしておく」
「うん。……あのね、約束していたご飯を作りたい。もちろん媚薬なんて入れませんよ!?」
「………」
あれ、おかしいな、ラルクが頭痛を覚えたかのように額に手をあてがう。あぁなんてレアなの、撮っちゃう。じゃなくて。
「わざわざ当たり前のことを言うな。入れんな。よろしく頼む」
とりあえず、食べてもらえるってことらしい。嬉しい。
早速、マジックバッグから野営用の簡易調理台や食材を取り出す。実は魔導式のシステムキッチンも持ってるんだけど流石に目立つからまた今度。
私のマジックバッグは、空間拡張と時間停止機能がついている。六畳分くらいの量なら入るし、何より腐らなくなるのがいい。
ちなみにこれは、とある貴族が懲罰で爵位を取り上げられた時に、その悪事を暴くのに貢献した褒美でもらったものだから、ラルクは存在を知っている。
お金があれば手に入るものではない、貴重なものだ。とても大切に使っている。
さてさて。一時ごろに一度食べたけど、夜通し起きていた上に結構歩いたから、お腹が空いている。かと言ってこれから一眠りするわけだから、消化の良いものがいいかな。
野菜たっぷり具沢山ミネストローネをリゾットにしよう。
この世界の食材は、随分と地球に似ている。形や色の違いなんかはあるけど、トマトに似たものやネギに分類されるだろうものなど、どこかしら共通点があった。
だから一度、あれに似てる、と分かれば、調理法も日本のレシピを参考に色々とバリエーションを考えられるの。そこはとても助かった。
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