幻影島奇譚
佐藤万象
プロローグ
島とは、自然に形成された陸地であり、周囲が水に囲まれていて、高潮時に水没しないもの。と、国連海洋法条約第百二十一条では定義づけている。
日本もそうした島国だから、周辺には数多い島々が存在している。しかし、それらの島とはまったく違う島が存在していたとしても、決して異常な話ではないだろう。
その島のことは古くから多くの船乗りや、漁業を営む漁師たちの間で語り継がれてきたことで、それを見たという話は途切れ途切れながらも、現在に至るまで絶ることなくことなく続いていたのだ。
場所は特定しないが、つい最近もある漁師がこんな話をしていた。
「おらぁ、見ただ…。いつものように漁ば終えて帰る途中だったんだども、タバコでも吸いつけべえと思って、海ば見ながら煙草ば吸ってたんだ。そすたら遠ぐのほうに島のようなもんが見えできたんだ。
はて、おらは十五ん時がら親父に連れらっち、こごいら辺りで長えごど漁ばやってんだ。だども、おらは一回だって、ほだな島は見たごども聞いだごどもねえんだ。
おらも、これは何だがおかしいぞ。と、思って島の見える方角に船ば走らせたんだ。島に近づいて見っと、島の真ん中あたりに鬼の角みでえな、先のとんがった岩山が聳え立ってたんで、岩山の岩肌まで手に取るように見えていたんだ。おらも、こごまで来たら乗り掛かった舟だべ。島の周りをぐるっと廻って見っかと思って、遠巻きにして島の周りを走り出して、ちょうど島の反対側まで周った時だったなぁ。あれは…、
何だか分かんねえんだども、急に島がふやけたみてえに歪んだと思ったら、いきなり島がスウーッと見えなくなって消えてしまったんだから、おらはもうびっくらこいで慌でて帰ってきてしまったんだぁ…。だども、今になって考えてみっと、あれはおらが子供の頃に爺さまから聞いた、幽霊島だったんじゃねえかと思ったんだ……」
と、いうような話は至るところに存在している。都市伝説と言ってしまえばそれまでだが、海には海の山には山なりの不思議な話が、存在していることだけは確かなようだ。
そんな話をどこで聞きつけたのかは定かではないが、ここに異常なまでに興味を示している男がいた。東亜細亜大学で海洋物理学を専攻している、若き准教授の高井戸薫その人であった。彼の理論はこうであった。
「島というものは、地表から突き出してきた突起物であって、浮草や藻の類とは訳が違うんだから、突然現れたり消えたりするはずがない。そんな馬鹿げた話があってたまるか。これには、きっと何か別の原因があるに違いない。ここはひとつ調べてみる必要がありそうだ…」
こうなると居ても経ってもいられない性分の高井戸は、同じ大学の学生を三人ほど引き連れて、消えた島を見たという漁師の住む町へと出向いて行った。
「でも、先生。その島が突然消えたっていう話、本当なんですかね…」
港町に向かう途中の車の中で、同行してきた学生のひとりが高井戸に訊いた。
「いや、実際に消えた島を見たという人に逢って、話を聞いてみないことには何も云えんが、その界隈に住んでいる人たちは遥かに古い時代から、数多くその島に遭遇したという記録が残れているんだ。突然現れたり消えたりするなどというのは、どう考えたってあり得るわけがないからね。
そこには何かしらの原因かあるに違いないと睨んだわけさ。僕はこんなことをやっているから船舶免許も取ってあるし、他所に頼むとことが大っぴらになってしまうだろう。そこで信頼できる君たち三人に来てもらったわけだ」
「しかしですよ。先生、僕はまだ信じられないんですが、もしその話が本当だとしてもひとつの独立した島が、どうしてそんなに簡単に現れたり消えたりするんですか…」
と、もう一人の学生が訊いた。
「ん…、それはまだ僕にも分らんが、こんな話は江戸時代の頃から、記録として残っているというんだからね。まずは目撃者の漁師さんの話を聞いてからでないと、僕としても今のところはまだ何とも云えないな…」
「先生。そろそろ港町に着きますが、どの辺まで行けばいいですか…」
その時、車を運転していた学生が高井戸に聞いてきた。
「ああ、そうだな…。相手は漁師さんだ。できるだけ海辺に近いほうがいいだろう。着いたら、みんなで手分けして漁師さんの居所を、突きとめなくちゃいかんだろうしな…」
こうして、浜辺に近い地点までくると、高井戸は一軒の食堂の前で車を止めさせた。
「さて、諸君。この辺で飯でも食って行こうか。『腹が減っては戦はできぬ』の例えもあるからね。それにこういうところの食堂は、魚介類が新鮮でうまいんだ。さあ、行こう」
車を降りると高井戸は、先頭に立って食堂のガラス戸を開けた。
「ええ、いらっしゃいませ」
人の良さそうな店の主人が四人を迎い入れた。
「さあ、腹ごしらえをしよう。君たちも好きなものを頼みなさい」
学生たちはメニューを見ながら、何を食べようかと選択に余念がなかったが、高井戸はメニューなど見るまでもないとばかりに店員を呼んだ。
「すみません。僕にこの刺身の特盛定食をください」
「はい、かしこまりました。刺身特盛定ですね。少々お待ちください。旦那さーん、特盛定一丁お願いします」
と、女店員が店主に向かって声をかけた。
「それじゃ、僕は海鮮丼を…、いいですか先生」
ひとりの学生が遠慮しがちに高井戸に訊いた。
「ああ、構わんよ。何でも好きなものを頼みなさい。それに僕が無理に君たちを誘ったんだから、遠慮などすることはないさ」
「それじゃ、僕もそれをお願いします」
「僕もそれを…」
そんなこんなで食事を終えて、高井戸は支払いをしながら店主に訊いた。
「ところで、ご主人。私は東京の大学で海洋物理を教えている高井戸という者ですが、この辺に島が突然消えたのを見たという人がいると聞いて、どんな状況だったのか知りたくて伺ったのですが、その方のお住まいをご存じはないでしょうか」
「ああ、源さんのことかね。よーぐ知ってますよ。源さんなら今日は漁に出てねえはずだから、よかったら案内しましょうか…。おい、光っちゃん。後は頼んだよ」
「でも、ご主人。ご主人が抜けられたら店が困るでしょう…。いいんですか…」
「なーに、あっしがいねえ時にはお母ぁが、ちゃんと切り盛りしてくれますから、大丈夫ですよ。さあ、行きましょうか」
前掛けを取り外すと店主は、さっそうと厨房から飛び出してきた。
「だけど、本当にいいんですか。店をほっぽり出したりして…、何か悪いことをしたようで気が引けますね。本当にみすません…」
高井戸はすまなそうに店主に言った。
「なーに、いいってことですよ。先生、そんなに気を使わなくても店のほうは何とでもななリますからね。さあて、それでは行きましょうか」
店主はそういうと、入り口の戸を開けて外に出て行った。高井戸たちも後を追うように店を出た。
「ご主人。ひとつお聞きしますが、漁師さんというのは毎日くらい漁に出ているんでしょう。今日はこんなにいい天気なのに、どうしてその源さんという漁師さんはお休みなんですか…」
「それがですな…、お客さん。源さんは、あの『幽霊島』を見て以来すっかり気力を失くしたみたいに、毎日ボーッとして丸っきり魂の抜け殻みたいになってるんですよ。あっしらもね、日頃から魚を分けてもらっていた手前ほっとくをわけにもいかねえから、漁もしないで毎日ブラブラしていいたんでは、喰っちゃいけないだろうと思いましてね。食い物だけは差し入れてやっるんですがね…」
「幽霊島っていうんですか…、その島のことを…」
「ここいら辺の者はみんなそう呼んでますがね。かといって誰ひとり見た者もいないというんだから、まさに幽霊みたいな島なんですよ。それに今始まった話じゃなくて、古くは江戸時代の昔から綿々と語り継がれてきたって云うから、まんざらのホラ話でもなさそうなですがね。それにしてもそんな雲を掴むような話が、どうして二十一世紀の今頃まで語り継がれてきたんでしょうかねぇ…」
「いや、実に興味深い話ですね。私も知人からその話を聞きしてね。ひとつの島が突然現れたり消えたりするはずないと考えまして、そこには何かしらの理由があると睨んで、とりあえず現地の人のお話を伺おうとやって来たわけなんです」
「そう云われしてもね、あっしら現地の人間でさえ誰ひとりとして、見たことも聞いたこともないと云うんじゃ、残念ですけど骨折り損もいいところじゃないですかねぇ…」
「ですが、源さんという方が見たと云っているんでしょう。骨折り損になるかどうかは、その源さんに逢ってみないことには分かりませんよ…」
「ですがね。先生、当の源さんがまともに逢ってくれるかどうか…、不断でもあっしらが食い物を差し入れに行っても、ろくすっぼ話もしたがらないんですから、あれは
極度の鬱状態って云うんですかね。いつ行っても一ヵ所に座ったままでジーッと、中天を見つめているだけなんですから、まともに話なんかできるかどうか…」
「そうですか…、そうなると話を聞き出すことも困難かも知れませんね…。僕は若い頃ちょっとだけ心理学をかじったこともありますから、それなりに話を聞き出してしてみましょう」
「ほら、あそこが源さんの家なんですが。ちょっと待っていてくださいよ。あっしが先に行って、先生たちのことを話してきますから。ですが。あまり期待はしないでくださいよ。何しろ半病人みたいになってますからね」
店主はそう言い残すと、源さんの家の戸を開けて入って行った。
「君たちは、今の親父さんの話を聞いて、どう思ったかね…」
学生たちを見ながら高井戸は訊いた。
「どう思うって云われましても、あの小父さんの話だけじゃ何とも云えませんね。実際に源さんという人から、直接聞いてみないことには…」
「他の君たちもそうなのかい…」
「ええ、僕たちもそんな島があるなんて、未だに信じ難いところでもありますから…」
「しかし、不思議ですよね。先生は、その島の存在を疑おうともしていらっしゃらない。幽霊島ですか…?
島が確実に存在しているという、何か核心に近いものでもおありなんですか…。高井戸先生は…」
「いや、そんなものは何もないよ。ただの好奇心さ。今の世の中には訳の分からないことばかりじゃないか。そういったものに対して好奇心を持つことは、僕は非常に大切なことだと思うんだ。
かの発明王エジソンが、なぜ数々の発明をなし得たのかと云えば、人並外れた好奇心があったればことだと僕は思っているんだ」
高井戸がそこまで話した時、源三宅の入り口の戸が開いて食堂の店主が出てきた。店主は四人の顔を見ると急ぎ足で駆け戻ってきた。
「どうでしたか、源さんは逢ってくれるんでしょうか…」
「はあ、それが驚いたことに、あっしが東京の大学の偉い先生さまが、源さんの見たという幽霊島のことを聞きたいと、わざわざ来てくれたんだ云ったら、源さんのヤツ急に真顔になっちまいましてね。『おらの話をおめえらは、眉唾もんみてえに云ってるが、それを東京から聞きたいと云って来てくれる人だっているんだ。逢ってやるからすぐ連れてこい』って云っているんですが、昨日までの気の抜けたビールみたいな源さんが、まるで嘘のようにいきなりシャキッとしてしまったんだから、あっしも驚いたのなんのってほんにびっくりしまいましたよ」
「とにかく、ぜひお逢いしてお話を伺いたいので、ご主人さっそく私に紹介していただけませんか」
「いいですよ。ほんしじゃ、まあどうぞ。こっちです。それにしても、あっしも嬉しいですよ。先生の話をしたら、源さんがあんなに元気になるなんてね。あっしらも差し入れをしてやった甲斐がありましたよ。はい、ごめんなさいよ。源さん、東京の先生さまがお出だよ」
中に入ると源さんは、痩せこけた細い体に似合わず、肩や腕などは筋骨隆々とした逞しい体で待っていた。
「源さん、こちらが東京の大学の高井戸先生さまだ」
「初めまして、私は東京の東亜細亜大学というところで、海洋物理を教えている高井戸朔磨と申します。よろしくお願いします」
「これはご丁寧にどうも、おらはここいら辺りの海で漁師ばやってる。遠野源三っつうもんだで、あんだらはおらが見だっつう、幽霊島のごどば聞きたいそうだども。おらぁ、十五ん時から漁ばやってんけんど、後にも先にもあんな妙ちくりんな島ば見たのは初めてだ…。とにがく、島の真ん中に赤鬼の角みでえな岩山が、まるで天まで届ぐくれえにそひえてんだ。昔、おらがまだ子供だった頃に爺さまがら聞いだこともあったんど、なんぼ考えだってあそこら辺りに島なんてあるはずもねえのに、おらぁビックらこいで島の周りをひと回りしてみぺぇど思って、島ばぐるーっと廻ってちょうど島の裏っ側ぐれえのところまできた時だった。おらがひょっと島のほう見たら、何だが分かんねえんだども急に島がふやけたみてえになったんで、何だべと思って見てっと今度はいきなり島が姿ば消しっちまったんで、おらはすっかり怖ろしくなっちまって、そのまま逃げて帰ってきたっつうわげですだ」
「いや、参考になりました。大変貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。私も、この話をある方から聞いたんですけど、この話はだいぶ古い時代から言い伝えとか伝説として残っているそうなのですが、やはり皆さんのところでも先祖伝来語り継がれてきたのでしょうね」
「いいえね。高井戸先生、あっしのところでは爺さまから聞いたんですが、爺さまもそのまた爺さまから聞いたと云ってましたから、やっぱり遠い昔っから語り継がりてきたんでしょうかねえ…」
食堂の店主も、子供の頃を思い出したような口調で言った。
「ところで、源三さん。あなたが見たという、その島のあった海域のことは今でもはっきりとお分かりになりますか」
高井戸は源三に問いただすように訊いた。
「当たり前だべ。おらは自慢じゃねえが、海が時化(しけ)の時以外は一日だって休んだことがねえんだ。おらの頭の中にはな、ちゃんとした海図が収まってんだ。そんじょそこらの漁師とは、ちいっとばかり違うってんだよ」
「源三さん。もし、よかったら私をその海域まで連れて行っていただけないでしょうか。もちろん、費用はお支払いいたしますから、いかがでしょうか…」
「いいよ。おらも、ちょうど気がくさくさしてところだべ。大体こごの町の連中ときたら人の話もろくすっぽ聞いちゃくれねえ。まともに聞いてくれたのは、こごにいる良さんだけだった。
だから、おらはふて腐れて漁にも行がねえでブラブラしてだんだども、それもいい加減飽きてきたとこだったんで、ぼつらぼつら行って見っかと思ってだどこだったんだ。但しよ。先生、これからあそこさ行ってみだとごろで、必ずしもまだあの島に出っくわすわげでもねえ。何しろ、土地の者は『幽霊島』っつうぐれえだからな。それでもいがったら連れでってやるべ」
「ありがとうございます。源三さん、助かります。いやぁ、これで私もここまできた甲斐がありましたよ」
「そんじゃ、さっそぐ行くべ。みんな、おらの船まで着いてこい。こっちだ。あ…、ほうだ。たまには良さんも行って見ねが…」
「ほうだな…、それじゃ、あっしも行って見ようかな…。たまには海に出てみるのもいいもんだろう…」
こうして、食堂の店主を含めた五人は、源三に連れられて彼の船まで足を運んだ。
「ほら、あれがおらの船だべ。さあ、みんな乗ってくんろ」
源三に促されて船に乗り込むと、さっそく源三はエンジンをかけた。型は結構古そうだが、なかなか調子の良さそうエンジン音が響いてきた。
やがて、船はゆっくりと走り出し、心地よい潮風が高井戸の頬を掠めるように吹き過ぎて行く。
「ところで、ご主人はあまり海には出られないんですか」
「ええ、あっしはもっぱら丘の上にへばりついますよ」
「そうですか。それはもったいないですね。せっかく海の傍に住んでいらっしやるのに…。僕なんかは海洋物理なんてやってるものですから、よく海に出る機会があるんですよ。特に外国の海のほぅが多いですけどね」
「ほう、外国ですか。いいですなぁ、あっしなんざ生まれてからこの方外国なんて、一度も云ったこどないんですからね。羨ましいですなぁ…」
「そうですか…、ご主人も一度行って見るといいですよ。日本の海も素晴らしいですけれども、外国の海はもっと素晴らしいですから、ご主人もぜひ一度行って見てください。本当にきれいな海が多いですから…、お勧めしますよ。ご主人」
「あのう…、先生、そのご主人ってのは止めてもらえませんかね。あっしはあんなちっぼけな食堂をやってますがね。あっしには奥山良次っていう、海にはほど遠いような名前があるんですから、近所の連中には親父とか良さんで通ってまからね。先生も、そう呼んでくださいよ。ご主人なんて云われると、なんか背中の辺りが痒くなってきますからね。すんません」
「はあ…、そうですか…、わかりました」
「おーい、先生。おらがあの島ば見だ領域さ、そろそろ近づくだでこっちさ来てみでくれろや」
その時、源さんが高井戸たちを呼ぶ声がした。急いで源さんのいるところまで駆け寄った。
「ほら、あの辺りだ。おらがあの島ば見っけだのは…」
しかし、源三の指差す方向には、島影らしいものは何も見当らなかった。
「うーむ…、やはり僕が思ったとおりか、今日は現れなかったな…」
高井戸は、そう言ったきり腕組みをして考え込んでしまった。
空には雲ひとつなく澄みわたり心地よい風が吹いていた。海のほうも穏やかに凪いでいて、荒立つほどの波もなく平穏な航海であった。
「しかし、なんですなぁ…、あっしもね。源さんに連れられて一度だけ漁に付き合ったきりですから、海に来たのも随分ひさしぶりなんですよ」
「そうですか…。海はいいですよ。進む方向には行く手を遮るものも、何ひとつとしてないですからね。丘の上だと車で移動しても信号とか交通規制で、左折しちゃいかんとか右折しちゃいかんとかで、正直云って息が詰まりそうなんですよ。その点、やっぱり海はいいですよ。そういったものから一切解放されるんですから…」
高井戸は背伸びをするようにして屈伸をひとつした。
「それにしても、今日は潮風も穏やかだし、気持ちいいくらいの天気ですなぁ…」
奥山がもつられて伸びをひとつした。
「しかし、源さんがいうような島影は、どこにも見当たりませんね…。なんでも、その島にはとんがった山があるそうだから、遠くからでも目立つはずなんですがね…」
高井戸は、四方の水平線を隈なくチェックしていたが、それらしい島影は一向に見つけることができなかった。
「やはり無理だったか…。所詮、幽霊島っていうくらいですからね。いくら江戸時代の昔から語り継がれてきた話とは云っても、今でいうところの都市伝説ようなものかも知れません…。もう、いいです…。諦めましょう。源三さん、ご足労をおかけしてすみませんでした。戻ってくださって結構です」
自分で期待していたものに、裏切られた思いで高井戸は源三に声をかけた。
「あんれ、もう帰るだかね…。おらも、もう一遍あの薄らっ気味の悪い島ば見だいど思ってたんだ。おらも乗り掛かった舟だ。もっとも、もう乗っているんだども…、せっかぐ船ば出したんだがら。もうひと回りしてみねが、先生」
源三に言われて高井戸は、いつ出現するかもわからなくて、土地の者からも幽霊島と呼ばわれている幻のような島は、まるで次元の歪みにでも挟まれているような島だと思った。
『そうか…。もしかしたら、この島の存在している場所自体が次元と次元の狭間のようなところにあって、その歪みに何かの弾みで揺らぎのようなものが生じたとして、そして、その歪み自体が非常に不安定で常に揺れ動いているとしたどうだ…。
そんな島があり歪んだ次元の状態に応じて、古くから時代を越えた人々の目に触れていた…。そして、それを見た人の話が伝説・伝承となり、何世代にもわたって語り継がれてきた店…。それも幽霊島いう不気味な名の幻の島として…』
高井戸が水平線を見つめながら、そんなことを考えている時だった。
「し、島です…。高井戸先生、早く来てください。早く…」
一番船尾にいた青山が、何かを発見したらしく大きな声で叫んでいた。
高井戸や源三たちも、大急ぎで青山のところへ駆け寄って行った。船尾まで行くと、青山が海の一点を指して叫んだ。
「ほら、あれですよ…。あのとんがった山が、源さんから聞いた話とそっくりじゃないですか…」
「ほだ、あれだ…。おらが見だのは、あの島に間違いねえ。やっぱり夢じゃねがっんたなや…」
源三は、この島を見かけてすぐに消えた話を、周りの人たちに話した時も『ふん…。どうせ、源さんの¬ホラ話に決まってらぁな。おおかた船ン中で夢でも見たんだべ。おらも長げぇごどな船さ乗ってるけんど、ほだな出だり消えだりする島なんざ、見だごとも聞いだごともねえ』と、いうのが大半の意見だった。
「やはり、ありましたね。源三さん、みんなが何と云おうともあの島は僕たちの目の前に実在しているんでよ。決して夢なんかじゃなかったんです」
「先生は、ほだらごど云ってるけんど、そのうぢにあっという間に消えてなぐなっから、見でろ……」
「いや、僕はそうは思いませんね。あの島は実在しているし、れっきとしたひとつの独立した島が、そう簡単に消えてなくなったりはしませんよ。幽霊や幻とはまったく違うんですから…。時に、源三さん。この船には小舟のようなものは積んでありませんか…」
「そりゃ、あるだども。そだもんで何するだ…」
「いや、あの島にちょいと降りてみようかなと思いましてね…。ぜひ、貸してください」
「よぐも、まぁ、あだら薄らっ気味の悪りぃ島さ行く気になんな…。ほんじゃ、学生さんだちは手ぇば貸してけろ。舟ば下さなくちゃなんねえ…」
源三と学生たちが小舟を下すのを見ながら、高井戸が食堂の店主に話しかけた。
「ところで、ご主人はどうします。僕たちはみんなあの島に上陸するんですが、ご主人はここに残りますか…」
「いや、あっしも下りましょう。海に出たのもひさしぶりですし、ましてや、あんな島を見たのも初めてです。後学のためにも、ぜひ見ておきたいですからねぇ…」
ふたりで話をしているうちに、舟の準備ができたらしく声がかかり、高井戸と食堂の店主も乗り込み源三の漕ぎ出し舟は、いよいよ名も知らない不思議な島へと向かって行った。
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