第46話 殿下の作る未来

美月みつきさん」

「……はい」


「わたしはその……、まだあんまり見えないんですが」

「はい……」


「いったい、あなたは今、どんな格好を……」


 うぐぐぐぐ、と美月が呻いた時、一斉に園内のガス灯が点灯する。


「うわ。……すごい明るくなった……」


 ふたりの近くにも、ひとつ、大きなガス灯があったらしい。

 ぼわり、と丸い光は園内の闇にバルーンのように浮かび上がる。


 それを見上げていた時。

 ふふ、と背後から笑み崩れる声が漏れる。


「ん?」

 くるりと振り返ると、あさひは、美月を囲っていた腕を解いた。


「まさか……。男装しているとは。それは、近衛隊ですか?」


 視力が大分回復してきたところに、ガス灯の力もあり、旭にも美月の姿が見え始めたらしい。


「こ、これは……。蒼太朗そうたろうさんがですねっ。御所に忍び込むには、この姿が一番いい、と!」


 なんだか真っ赤になって説明する。


「蒼太朗さん?」

 くすくすとまだ笑う彼は、どこか嬉しそうだ。


「あおさんのことです。あの人、近衛兵の小隊長で……、中尉……、だったかな、なんですよ」


 いや、やっぱり少尉かな、と首を傾げていると、旭が「へえ」と目を丸くする。


「おまけに、さっきも言いましたけど、扇丸おうぎまるさんが皇太子でね」

「それがよくわからないんですが」


「言葉通りです。私も、当初まったく理解できませんでした」

 力強く言うと、旭はきょとんとしたものの、すぐに腰を曲げて顔を近づけて来る。


「ああ、なんて可愛い兵隊さんなんだろう」


 整った顔がすぐ間近で。

 とろけるような笑みを浮かべてそんなことを言うものだから。

 美月は耳どころか首や指先まで熱くなって、硬直する。


「これは、敵も戦わずに降伏しそうですね」

「からかわないでください」


 ぷい、と怒ったふりをしてそっぽを向く。


「殿下も、蒼太朗さんも、『時々、その格好で御所に来い』とか、『写真に撮ろう。人気が出る』とか……。私は」


 女なのに、嬉しくない、と、顔を上げて言おうとしたら、なんだか、一気に不機嫌そうな顔の旭がいる。


「…………どうしました」

「なんだか、わたしがいないうちに、どんどん美月さんに好意を寄せる人間が集まっているような」


「思い過ごしですよ。いいようにもてあそばれているんです、私は」

 ふん、と鼻息荒く言い放つが、旭はまた、ぐい、と顔を近づけて来た。


「ねえ、美月さん」

 はい、と返事をしながらも、まだ視力が本調子じゃないのかな、と、鼻先が触れ合いそうな距離でじっとしている。


「今すぐ契約期間終了でいいですか?」

「なんの、ですか」


「結婚の、です」

 断言口調の旭に、「はあ」と、戸惑いながら返事をする。


「近いうちに、婚姻届けを出しましょう」

 旭が真面目な顔で詰め寄る。


「そう……、ですね」

 おずおずと頷くと、旭はにっこりと笑った。


「そののち、速やかに本当の夫婦になりましょう」

 そんなことを言いだすから、美月は顔から火が噴きだすかと思った。


「え……、いや、あ……」


 意味のない発声を繰り返し、火照ったままの頬を両手で包んで隠していたら、旭が悲しそうに眉を下げた。


「嫌なんですか、わたしと夫婦になるのが……」

「いや、そうじゃありません!」


 ひっくり返った声で、首を横に振るが、旭は長い睫毛を伏せたままだ。悲し気に吐息まで漏らしている。


「わ、わわわ私も、旭さんと夫婦になれたらいいと……」

「では、そうなりましょう」


 即座に笑顔で言葉を継がれ、しまった、この顔にだまされた、と愕然としていたら。


「美月さん」と、名を呼ばれた。

 振り返ると、早瀬はやせだ。


 提灯を持ってはいるが、火は入れてないらしい。早足で近づき、旭にも品よく礼をした。


 美月は顔を横に振って熱を放出させると、とりあえず背筋を伸ばして取り繕う。


「外に馬車を用意しています。ご案内いたしましょう」

 早瀬の申し出に、美月と旭が顔を見合わせた。


「え……。いいんですか?」

 代表して旭がおずおずと声をかけた。早瀬はにっこりと笑う。


「もちろんです。殿下からの指示です。もう、ここまで来たら、わざわざ旭さんを近衛兵にしてまぎれこませる、などまどろっこしいことは必要ないでしょう」


 そう言って、美月たちを促した。


「その代わりといってはなんですが」

 半歩前を歩く早瀬が、首だけねじって美月を見た。


「はい」

「これからも、殿下や来恩寺らいおんじ中尉がお店に行くことをお許しくださいね」


 悪戯っぽく笑うから、美月は慌てた。


「そんな! いつでも来てください! こちらこそ、その……、いつもありがとうございます」

 急いで言葉をつけたし、頭を下げる。


「殿下のような方が……、なぜ、その……、変装というか、お忍びで町に?」


 事ここに及び、ようやく旭も美月が「扇丸さんが皇太子」という言葉を理解したらしい。控えめに早瀬に尋ねた。


「この世界にいるのは、上流階級だけではない。むしろ、大半は市井に住んでいる民だ。その様子を知らずして、国を統治するなど不可能、と」


 早瀬はにこにこと笑う。その様は、まさに好々爺こうこうやだ。


「お忙しい時間の合間を縫っては、いろいろなところに顔を出しておられます。地方のご公務でも、それは変わりません」


 へえ、と美月と旭は顔を見合わせる。なんだか変なお貴族様だと思っていたが、ちゃんといろいろ考えているらしい。


「今、殿下が作っておられる法案をご存じですか?」

 話を向けられ、美月はきょとんとしたが、首を横に振る。


「女性にも、相続権を認めるように法を整えておられます」

 早瀬の言葉に、美月は思わず足を止めた。


「美月さんの奮闘をご覧になり、いろいろと考えを改められたようです」


 ゆっくりと振り返った早瀬は、提灯を持っていない方の手で、ぽりぽりと頬を掻く。


「ですが、これは……。政治家や、貴族たちに受け入れられるには、なかなか時間のかかることでしょう。殿下はおりにふれ、きっと迷い、疲れることもあると思います。その時」


 早瀬は、目じりの皺を深くして微笑む。


「睡蓮で働くあなたの姿をまた、見せてください。そうすれば、殿下の新たな力になるでしょう」


 深々と早瀬は頭を下げた。


「どうか、今後とも殿下と来恩寺中尉をよろしくお願いいたします」


 こちらこそ、と美月も頭を下げた。


「ありがとうございます、って……。殿下に伝えてください。きっと」

 美月はがばりと上半身を起こし、早瀬に言った。


「きっと、殿下が変える世界では、女性が笑っている、って」

「必ず、申し伝えましょう」


 早瀬も、笑顔で頷いた。

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