第31話 家路へ

「はじく、体質ですって?」

 ゆるり、と拘束を解き、また向かい合って座る。だけど、あさひは、今度は足を崩し、胡座をした。


信田しのだがそう言ってたんですよ」

 美月みつきは、自分の右手を、ぐーぱーして、満足げに頷いた。


「わたし自身、自覚はないんですが……。実母がそのようなことを言っていたことがあります」


「そうなんですか」

 旭の言葉に、美月は目を丸くする。


「はじく、といった表現はしませんでしたが……。わたしを身ごもった時、母は太陽のような光の塊を飲み込む夢を見たそうです。父に伝えると、大層喜び、名前を芳光よしみつとしたかったようですが……。芳の字は、伽賀かがの正式な嫡男にしか認められぬ、と大層正妻さんが怒ったとか。正妻さんの実家は名家の上に、資産家で……。伽賀の大株主でもありましたから」

 旭は興味なげに続ける。


「女遊びは許すが、それ以上は許さない、というところだったのでしょう。わたしの名前は、その後、旭となったと聞きました。母は、わたしに、天下を救う相がある、と言っていましたが……。天下どころか、この有様です」


「天下を救うかどうかは知りませんが、少なくとも睡蓮は救いましたね」

 笑顔の美月に、つられるように、旭も笑顔になった。


「そうでした。そのことだけでも、お力になれてよかったです」

 旭の言葉に美月が頷いた時、御簾の向こうで声がかかった。


「もし、美月さま。おひい様が、どのようになったか、結果を聞きたい、と」


 わらわだ。

 美月と旭は顔を見合わせ、同時に立ち上がる。


 ふたり揃って御簾から外に出ると、境内の中央に姉御は立っていた。

 女の童たちに手燭を持たせ、夜空を見上げてなにやら話をしていたが、美月たちの気配に気づき、振り返る。


「さて、美月よ。旭を、いかがする」

 扇で口元を隠してなお、彼女が艶然と微笑んでいるのがわかる。


「彼と一緒に、睡蓮に帰ります」

 美月は旭の手を握り、きっぱりとそう言った。


「そうかえ」

 姉御は満足そうにうなずくと、ぱらりと扇を閉じた。やはり、そこには艶やかな笑顔があった。


「残念ではあるが、美月よ。そなたと酒を飲むのは、また今度、ということにしよう」

「はい。そのときはぜひ、お声掛けください」


「旭よ」

 名を呼ばれ、旭は背筋を伸ばす。しゅう、と姉御の瞳が縦に収斂しゅうれんした。口の端からのぞくのは、鋭利な犬歯。薄い色素も相まって、凄みが増す。


わらわは信田のようには優しくない。次、美月を危険な目に合わせようものなら、活きたままにして、食うてやるからの」


 美月などはその声音と表情にすくみ上ったのだが、旭はしっかりと姉御を見て首を縦に振った。


「はい」

「では、気を付けて帰るがいい。お前たちの家に」


 姉御は言うなり、女の童を連れて、拝殿の方に歩き去って行く。

 御簾の向こうにその姿が消えるのを確認し、旭は美月に声をかけた。


「帰りましょうか」

 はい、と返事をし、歩き出しながら美月は、そうだ、と改めて彼を見上げた。


「それ、信田がやったんでしょう? いくらなんでもひどいですね」

「いや、ひどいのは、わたしですから」


 鳥居をくぐり、手をつないだまま石段を下りる旭の顔には自嘲の笑みが浮かんでいる。


「美月さんが飛び出した時、信田さんが『追いかけていけ』とわたしにおっしゃったのですが……。実は、あなたがどこに行くのか、皆目かいもくわからない。友人関係とか、人間関係とか、ご縁があるところとか……」


 旭は、うつむき加減のまま、話し続ける。


「わたしは、わたしのことを語らないばかりか、あなたのことを知ろうともしなかった。わたしが思いつくところと言えば、あまねさんのところで……。美月さんがどこに行くつもりなのかわからない、周さんのところだろうか、と尋ねたら、呆れられて、叱られて、怒られて……」


 殴られた、ということだろうか。


「この数か月一緒に暮らしていて、お前はなにを見ていたんだ、と怒鳴りつけられました。わたしは、なにも見ていなかったんです。ただ、ぬるま湯につかっていただけだ」


 その後、狐は神通力じんつうりきで美月に危険が及ぶことを察したのかもしれない。

 早手回はやてまわしに姉御に連絡をして美月の安全を確保し、旭に『弥勒寺に行け。美月が危ない』と伝えたのだそうだ。


「美月さん」

「はい」


 見上げると、まだ腫れあがった顔で、旭は目元を赤くし、照れた様に笑う。


「わたしはさっき、長々と自分語りをしてしまいましたが……。今度は、あなたの話を聞きたいのです。何が好きなのか、とか。どんなものが苦手なのか、とか。小さなころはどんな子どもだったのか、とか」


 美月の頭上には半月が輝いているのだろうか。彼は眩しそうに目を細めた。


「あなたのことを、全部知りたい。誰も知らないことも」


「それは……」


 真剣で、まっすぐで。

 美月のことをなにも見逃すまいとする、彼の顔を見ているだけで、赤く火照りそうだ。

 咄嗟に顔をそむけた。


「話が、長くなりそうなので、また、ちょっとずつ」

「そうですね。時間はいくらでもあるし」


 ぎゅ、と握った手に力を籠められ、首筋まで熱がこもる。


「あ。そうだ」

「はい?」

 目をぱちぱちとさせると、旭は嬉しそうに笑った。


「わたしの身体に触れていると、美月さんにまとわりつく毒気が無くなるのでしょう?」

「そう、みたいですね」


「じゃあ、毎日あなたを抱きしめましょう」


 旭の提案に、うぐ、と口から妙な声が漏れ、思わず足が止まる。


「いや、その……。『あ、ちょっと体調悪いな』と思う時だけで結構です」

 しどろもどろになってそう言うが、旭は顔を曇らせた。


「怖がらせるつもりはありませんが……。彩女あやめがこのまま引き下がるとは思えません」


「彩女、さん?」

 思わぬ名前が出た。きょとんとしていると、旭は逡巡しながらも口を開く。


「彩女が……、そして父が、わたしを取り戻そうとしている、ということは、異母兄の体調が思わしくないのでしょう。

 彩女も、父も、わたしに乗り換えたいのです。だとしたら、彩女はなんとしてでも、わたしに近づこうとするでしょうし。……脅したくはないですが、あなたを邪魔だと思うでしょう。実際、こうやって、不埒な輩を使って、あなたに狼藉を働こうとしたのですから」


 ついさっきのことを思い出し、ぞくりと肩を震わせた。


「彼女は、確実に悪意を持って接して来るでしょう。そうしたら、またあなたはこの前のように、寝込むかもしれない。なので、わたしを安心させると思って、毎日、抱きしめてはいけませんか?」


 今度は控えめに提案され、美月は渋々と了承をした。


 確かにそうだ。

 あの男たちは、依頼されて美月のところに来た、と言っていた。嫁に行けないようにしてほしい、と頼まれたのだ、と。


(……これだけで、済むわけがない)


 その想いが、再び身体を震わせる。

 だがすぐに、天衣あまころものようなぬくもりに包まれ、美月が顔を上げた。


 すぐ間近に見えるのは、旭のおとがい

 彼は美月を抱きしめ、なだめるように背を撫でていた。


「大丈夫です。わたしがいます」


 囁かれ、大きく頷いた。

 旭の胸に顔を埋めるようにしていると、大きな翼で守られた雛のような気持ちになる。


「ねぇ、美月さん」

「はい」


「さっきの続きをしてもいいですか?」


 つづき、と首を傾げると、旭がわずかに腕を緩めた。

 する、と少しだけ、彼との距離が離れる。


 まばたきをした。

 そのわずかな間に。


 彼は顔を近づけてくる。


 呼気がとろけあう。

 気づけば。


 彼の唇が美月の唇と重なっていた。


 温かい、と、ふと思う。

 彼の唇を通じて、穏やかで優しい、そして澄んだ光のようなものが流れ込んでくる気がした。


 ふ、と。

 呼吸を継ごうと離した際、甘く唇を噛まれ、ん、と声が漏れる。


 なんだか足元がおぼつかない。

 ぐい、と腰と背を支えられ、ほ、としたのもつかの間。

 彼の舌が忍び込み、美月の舌を捕らえる。


「んー……」


 ぐい、と旭の胸を両手で押して距離を取る。

 真っ赤な顔で、むすっと頬を膨らませて見せた。


「さっきの、つづきがどうしてこんなことになるんですか」

「いや、でもそんな流れでしたよ」


「ぜんぜん、違います」

「そうでしたか?」


 しれっとした顔で返事をした旭は、美月の手をつないで、ゆっくりと階段を降りていく。


「そうでしたよ。私はぜんぜん、そんな風に感じていませんでした」

「おやおや。それでは、次から気をつけます」


「気を付けてください」

「はい」


 ふたりは、そうやって家路をたどる。

 手をつないで。

 

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