第29話 それぞれの思惑
「ただ……、わたしは、父の正式な子ではありません」
「
「さいあく」
言い切ってから、慌てた。
旭の実父であるし、話の流れから考えると、その囲われた女のひとりが旭の母ではないのか。「ごめんなさい」と詫びたが、旭は小さく笑っただけだ。
「いえ、わたしも同じ気持ちです。‶さいあく親父〟ですから。母は、そんな囲われた女のひとりで、家柄を買われたようなものでした」
旭は小さく首を右に傾けた。
「こちらの……。東国では、父の苗字の方が通りがいいですが、母の実家に行けば、かなりの名家です。まあ、元名家、というべきでしょうが」
なるほど、旭の品の良い佇まいは、母親の影響があるのかもしれない。
「父は、そうやって……、さあ、何人の女性に子を産ませたでしょうか。わたしには、姉が五人、妹が八人はいるそうですが、どこまで本当かわかりません。ただ、わたし以外、いずれもが、女児で、それは正妻の呪いだ、とまで言われたとか」
ふと、
どこまで彼が自覚しているのかは知らないし、正妻の呪いというか、悪意が本当に影響したのかどうかはわからないが、とにかく彼は、男児としてこの世に生を受けた。
「乳幼児の頃は、母と共に暮らしていましたが……。六歳になった時、わたしは本家に引き取られました。異母兄の
旭は、淡く微笑んだ。
「そのころには、異母兄も、そうそう寝込むことはなかったようですが、それでも病弱なことには変わりがありません。父は、健康なわたしを非常に可愛がってくれました」
旭の瞳は、とおく、過去を眺めているようにぼんやりとしていた。
「そのほかの人が、どう思っていたのかは知りませんし、本家には、心の底から家族と呼べる人間はいませんでした。
母はわたしの身を案じ、何度か『会わせてほしい』と申し出たようですが、すべて断られた、と手紙に書かれていました。ただ、『正式な養子にしてもらっている。旭は非嫡出子ではない。胸を張りなさい』と。
母の願いは、それだけでした。実際、別宅に住む母とは、死の間際にしか会うことが許されませんでしたが、母は、『胸を張れ』と、何度も言いながら亡くなりました」
美月のところに来た直後、「誰かと朝ごはんを食べるのは久しぶりだ」と言っていた旭。
実母も伴わず、本家にたったひとりで連れて来られた彼が、どのように育てられたかは、美月にもなんとなく想像がつく。
「父は茶道が趣味でしたから、和菓子屋というのは頻繁に出入りしていました。わたしは、茶道に興味が無かったのですが、和菓子は好きでした。子どものころは、堂々と甘いものが食べられるわけですから。非常に嬉しかったのです」
当時のことを思い浮かべ、旭はわずかに嬉し気に口元をほころばせた。
「その時、知り合ってよくしてくださったのが、
「それで……」
おもわず呟くと、旭は穏やかに頷いた。
「離れには、使用人も滅多に来ませんから。先代は、時間が許す限り、材料を持ち込んでいろんな菓子をわたしに教えて下さいました」
旭が家事に有能なのは、そういった背景のためだった。
美月は、何とも言えず、拳を握りしめた。
「父は、自身が外国語に堪能ではなかったため、悔しい思いもしたようです。ですから、わたしに外国語を学ぶように命じ、高等学校まで進学させました。
幸いなことに、外国語は興味深く、わたしにはそちら方面の才があったのか、学業はそこそこ優秀で……。外国人教師から、『大学は留学しないか』とお声掛けいただき、父からも『高等学校を卒業したら留学せよ』と言われておりました」
脳裏に浮かぶのは、赤橋の近くで見た異国人。
なぜ、戻らないのか、と食らいついていた。
あれは、元の生活に、なぜ戻らないか、ということだったのだろう。
「その高等学校で、出会ったのが
燃え立つような夕陽の中、自分を睨みつける女性。
美月はとっさに、右手首を撫でた。ぞわり、と冷感がまた走る。
「彼女はわたしが通う高等学校の……、別棟の女学校に在籍していましたが、体育大会や文化祭など学校同士、交流があるので……」
旭は小さく肩を竦めた。
「わたしたちは、出会ってほどなく交際をすることになり、お互い手紙を交わしたり、放課後に甘味処で一緒に過ごしたりするような……、そんな他愛無いことを続けていました。ですが」
旭は苦く笑う。
「彼女とは手も握ったことがありません。交際の始まったころは、わたしも浮かれて、嬉しかったのですが……。だんだんと、怖くなってきたんです」
「怖い?」
おうむ返しに問うと、旭は口元に浮かべていた笑みを消した。
「彼女は、わたしに惚れたのではなく、わたしの当時の苗字に惚れたのではないか、と気づいたからです」
伽賀。
海運王の子。
「交際がはじまり、半年が過ぎたころ、わたしから、別れを告げようと思っていました。もともと、彩女から申し出られて始まった交際ですから、わたしから別れ話を切り出したところで、素直に引き下がるとは思わなかったのですが……」
しりすぼみになった声だが、旭は、ごくり、とひとつ息を呑み、顔を上げる。
「ある日、父と異母兄が、離れにやってきました。こんなことは、わたしが本家にやって来て初めてのことでした」
硬い表情と硬い声。
おもわず美月は手を伸ばし、彼の右手を握る。
旭は驚いたようにわずかに目を見開いたが、柔らかく微笑んで「大丈夫ですよ。ありがとう」と言う。
「父と異母兄は、ひとりの紳士を連れていました。彼は激高していて……」
旭が、自分の手を握る美月の手に、そっと触れた。
「彩女の父親でした。彼は鉱山で財を成した人物です。彩女のことを目に入れても痛くないほど可愛がっており、彼女の意見をうのみにしていました」
「なんて、言ったんですか、彩女さんは」
「わたしが、たばかった、と。伽賀の嫡男だと名乗り、将来は家を継ぐからと、交際を迫り、意のままにしたのだ、と。だが、調べてみれば、囲い者の息子。自分は騙されたのだ、と」
声がかすれ、旭は一度咳ばらいをした。
「もちろん、弁明しましたが受け入れてもらえず、三倉氏は、父に『どう責任を取るつもりだ』と、『うちの娘を傷者にして』と」
言ってから、旭は慌てる。
「神仏に誓って言いますが、本当にわたしと彩女はなにもありません。触れてもいないのです」
旭はうなだれる。
「父は、わたしを勘当し、彩女を異母兄の婚約者とすることを三倉氏に申し出ました。三倉氏は納得し、彩女は……、これは想像ですが、うまくやったと、ほくそ笑んでいた事でしょう。ですが、父の方が上手でした」
「うわて?」
「三倉氏は成金です。上流階級には、なかなかなじめません。ですので、その
「どうして、敬遠されているのですか」
ちょっと、驚いた。誰もが憧れる玉の輿ではないのか。
「成人してもなお、身体が弱いままだったからです。その異母兄に執着している義母も、わたしの目から見てなお、異常でした。あんな男の妻になり、姑に苦労するのなら、もっと小金持ちで、楽なところがいい、と、噂になっていましたから……」
つまり、伽賀は伽賀で、これ幸いと嫡男の嫁をめとり、かつ、虎視眈々と嫁の実家の財産まで狙っていた、と言うわけだ。
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