第28話 どちらか、選べ

「なんじゃ、もう」


 姉御が、扇で口元を隠して目をすがめる。

 美月みつきはどきりとした。まさか、さっきの男たちのようにあさひを吹き飛ばすのではないか、と、おろおろしたのだが、姉御はつまらなそうな声を発しただけだ。


「遅い、旭よ。美月に無礼を働こうとした男どもなら、わらわが追い払ったわ」


「おひいさま、まだ、そこにひとり」


 いつの間にか、わらわが姉御の側に侍り、派手な羽織の男を指さす。相変わらず、微動だにしない。


「よいよい。もう動けぬだろうしの」


 扇で口元を隠し、ふふ、と姉御は笑った。それとは逆に、旭は視界の悪い中でも、はっきりとわかるほど青ざめている。


「無礼って……。み、美月さん、大丈夫でしたかっ」


 駆けてくる旭は、その勢いのまま美月に抱き着きそうな勢いだったが、ぴたり、と姉御が畳んだ扇の先端を額に向け、間合いを取った。


「旭よ。そなた、そんなことより、美月に言うべきことがあるじゃろう」


 口紅がひかれた艶やかな唇が、真一文字に引き絞られる。明らかに、姉御は不機嫌だ。


「ほう、なんじゃ」

 姉御が、片方の口端だけ釣り上げて笑う。


「お前、信田しのだに殴られたか」

 言われて、美月は旭の顔を見た。


「え……。本当に?」


 暗がりの中、目を凝らす。向かって右頬が、頬骨のところから赤く腫れあがっていた。


「はい……」


 旭が項垂れる。姉御が爆ぜたように笑った。


「ならば、妾は何も言うまい。機会をやろうではないか、旭よ」

「機会?」


 旭が繰り返す。姉御は、くくく、と笑い、扇で口元を隠した。


「美月、旭がお前に話があるのだそうだ。妾に免じて、話を聞いてやれ」

 なんとなくたじろいでいると、旭が深々と頭を下げるので仰天する。


「いや、あの……、その」

「話しを、したいんです」


 頭を下げたまま、旭が言う。


「話しを聞き、選ぶがよい、美月」


 姉御が、ふふ、と含み笑いをした。


「この男を捨てるか、連れて帰るか」


「捨てるって……」

 愕然としていると、姉御が愉快そうに目を細めた。


「なあに、非力なお前のことだ。捨てる時は、妾が豪快に放り投げてやるから安心せよ。で、酒を飲んで忘れることだ。次のよい男を探せ」


 美月は、顎を引いたまま、姉御と旭を交互に見つめた。


「部屋をしばらく貸してやろう。拝殿はいでんを使うがよい。決断をしたら、美月よ。妾に話せ。あとは、こちらで処分してやる」


 姉御が言うと、女の童たちは、手に手に燭台を掲げ、美月と旭を拝殿の方にいざなった。


「さあさあ、おふたかた」

「中へ参られよ」


 ふたりの女の童はそう言い、三人目の女の童は、「いきはよいよい、帰りはこわい」と、歌っていて、ぞっとした。


「さあ、どうぞ」


 ふたりの女の童が、御簾を上げる。

 美月が先に草履を脱いで入り、旭がその後をついてきた。


「……すごい……」


 呆気にとられる。

 中は、思っているよりも豪華だ。


 几帳きちょうにかけられたのは、絢爛豪華な絹織物であるし、窓枠にかけられた薄物は、綸子りんずだろうか。室内には良い香りの香が焚かれていて、畳はまだ新品だ。金粉をまぶした朱塗りの屠蘇器とそきや、脇息きょうそく、見事な細工がしてある煙草盆たばこぼんも並べられている。いずれもが一級品だ。


「あの……、とりあえず座りませんか?」

 旭に声をかけられ、振り返る。


「うわあ! 大丈夫ですか、それ!」


 はい、と返事をするつもりだったのに、明るいところで見たら、旭の顔がとんでもないことになっている。


 右の頬骨が腫れあがり、赤と言うか紫というか、青というか。


 とにかく、痛そうで仕方ない。


「これ、信田がやったんですか?」


 へらへらと笑う関西弁の彼が暴力を振るう姿、というのがどうも想像できない。

 だが、もし狐が加害したのだとしたら……。


(随分と、本気で腕を振り抜いたんだなぁ)


 遠慮なく拳を叩き込まなければ、こうはならない気がする。


「この辺りにどうぞ」


 旭は座布団を引き寄せると、美月にすすめる。それなのに、自分は畳に直に座るから、美月もなんとなく、その座布団の隣に座り、旭と向かい合った。


「わたしの話をしてもよろしいですか?」 

 まっ直ぐに目を見て言われ、美月は戸惑う。


「あの……、喋りたくないんなら、無理しなくていいんですよ」

「いいえ」

 きっぱりと彼は首を横に振った。


「聞いてほしいんです」

「誰だって、人に言いたくないことはあるでしょう?」

 眉を下げると、旭は唇を噛んだ。


「だからと言って、わたしに居場所を与えてくれた人に、いつまでも都合の悪いことだけ隠し続けるのは、卑怯者のすることです。というか、わたしは卑怯者なんです」


 美月は居心地悪く座りなおす。


「私には……、そうは見えませんが。言えないのは、言えない理由があり、私には、その資格がない、と判断されたからでしょう」


「ちがいます」

 旭は身を乗り出す。


「判断されるのは、わたしの方だ。あなたから見限られるのが、ただただ怖くて……」

 広い背中を丸め、苦し気に旭は呻いた。


「わたしが今から話すことを聞いて……、それで、あの姉御さんが言う通り、わたしを捨てるかどうするか、決めていただければ結構です」


 旭は顔を上げ、どこか吹っ切れたような顔で、口の端に笑みを浮かべた。


「それで、あなたのことをどうこうとは、思いません。むしろ、あなたと出会えて……、数か月ですが、夫として、一緒に暮らせてよかった」


 綺麗な笑みに、どきりとする。


「わたしは、梅園旭うめぞのあさひと名乗っていますが、一年前までは、伽賀かが姓を名乗っていました。人偏に加える、の伽に、賀正の賀です」


 空書くうしょしてみせる旭に、美月は瞬きをする。


「それ、変わった苗字ですね。あの、海運王の……」

 海運王と呼ばれ、財閥を成す伽賀芳雅かがよしまさと、同じ苗字。


「そうです。海運王の伽賀芳雅は、わたしの実父です」

 穏やかに言われ、美月はぽかん、と口を開いた。

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