第15話 大宴会

「ご、ごめんなさいっ。ぼんやりしてて……っ」


 目が合った瞬間、かちり、と心の中で音がした気がした。

 それが、こそばゆい。

 美月みつきはもがき出るように、彼から離れ、そのまま数段駆け上がる。


「危ないですよ、美月さんっ」

 あさひの声が追いかけて来るより先に、石階段の先、境内付近が急に明るくなった。


「待ってたで、美月。旭」


 石階段から下を見下ろし、手を振っているのは狐だ。

 相変わらず書生姿で、背後からは賑やかな音楽やさんざめく声が聞こえてくる。


「宴会でもしているのでしょうか」

 おもわず立ち止まった美月に並び、旭が尋ねる。


「どう……、なんでしょうね」

 美月も首を傾げるが、石灯ろうには火が入り、並ぶ銀杏並木には、祭り提灯がぶら下がっていた。


「はよう、はよう」


 狐に急かされ、美月は階段に足をかける。

 同時に、ぎゅ、と手を握られた。


 驚いて隣を見る。

 旭だ。


「危ないので」

 真面目な顔でそう言い切られ、嫌ですとは言えなかった。


 旭は、左手に重箱。右手に美月を大事に持ったまま、慎重に石階段を昇って行く。

 境内に近づくにつれ、明度と音が大きくなっていった。


 三味線、笑い声、唄、太鼓。


 いったい、今日はなんの騒ぎだと訝しく思うと同時に、晴れやかなその音に、自然に顔は綻んでいった。


「宴会、ではなく、大宴会、でしたね」


 旭に言われ、頷く。ついでに、邪魔にならないよう石柱と石柱の間に、提灯を挟んで置いておいた。


 境内のそこかしこでは、車座になった男女が酒を飲んだり楽器をつま弾いたりしている。


 いくつもの釣り提灯に照らされ、参加者の顔ははっきりとわかるのだが、美月の知った顔はない。


「姉御。お待ちかねの柏餅やで」


 きょろきょろしていた美月だが、すぐ近くで狐の声がして、我に返る。

 いつの間にか、目の前に書生姿の狐が、牡丹柄の振袖を着た女性と共に立っていた。


 随分と派手な化粧と顔立ちの女性だが、目を引くのは、白銀の髪だ。


 白い肌に、鳶色の瞳。全体的に、色素が薄い。アルビノなのかもしれない。骨は香木で仕上げたと思しき扇子を持ち、つん、と顎を上げた。


「その方が、美月か」

 びしり、と畳んだ扇子で旭を指す。


「いや、そっち男やし。姉御。うちの美月は、こっち」


 狐が女性の袂を持ち、ぐい、と横に引いた。おかげで、扇子の先端が美月に向く。


「おお、そうか。済まぬな。どうも、ふたり、匂いが似ておる」


 ふくふく、と女性は顔を上げて宙の匂いを嗅ぐ仕草をした。

 そういえば、出会った当初は伽羅きゃらが香っていた旭も、最近では間近に寄ってもあまり匂いがしなくなっている。


「このふたり、一緒に生活してるからなぁ」


 狐が言う。

 なんだか気恥ずかしい。


「美月。信田しのだが世話になっておるの」

 女性は少しだけ、目を伏せる。睫毛まで白い。


「いえ。こちらこそ……」


 狐とこの女性の関係性がいまいちわからないが、美月はとりあえず頭を下げて見せた。多分、だがこの女性ももののけの類なのだろう。


「うん? なんじゃ。変なものをつけておるな」


 女性は鳶色の瞳を細めると、持っていた扇子を広げて美月に風を送った。やはり、香木を使用してるらしい。沈香じんこうが美月の身体を包み、通り過ぎると同時に、なんだか右腕から首筋にかけて寒気が走った。


「信田、気を付けておやり。なにやら変じゃ」

 女性はそう言うと、旭に瞳を移す。


「では、その方が旭か。ご苦労であった。柏餅を」


 促され、旭は一礼して風呂敷に包んだ重箱を差し出す。

 受け取ったのは狐だ。


 その場で風呂敷を広げ、重箱の蓋を開ける。

 途端に歓声が上がって、ぎょっとした。


 気づけば、たくさんの人だかりに囲まれている。男もいれば女もおり、年齢も様々だ。


 だが。

 目を輝かせて重箱を覗き込む子どもたちの着物の裾からは、どう考えても狐の尻尾らしきものが、ふこふこと動いている。


(……旭さん……っ)


 気づいてるだろうか、と狼狽したが、見ず知らずの男性に話しかけられ、旭はそちらに対応中だった。


「待て待て待てぇい! まずは、姉御が食べてからやっ」

 勝手にいくつもの手が伸びて重箱から柏餅を取ろうとしたが、狐が一喝して止める。


「まったくもう」

 ぶつくさ言いながら狐はひとつ柏餅を取り上げ、柏の葉を剥いて女性に差し出す。


「うむ」


 女性は扇を広げて顔の下部分を隠した。

 どうやら、「あーん」としているらしい。狐は苦笑して、食べさせる。


「……ふむ。餡も、餅も。わらわごのみ。美味かな」


 固唾を飲んで女性の様子を眺めていた観衆は、その一言で、わっ、と沸き立った。

 同時に、重箱に群がる。


「うひゃあ!」

 一斉に人だかりが動いたせいで、美月は飲まれかかった。前のめりに倒れ掛かり、たたらを踏む。


「美月さんっ」

 その手を取って、自分の方に引っ張り寄せてくれたのは、旭だ。


「大丈夫ですか? 転ばなくてよかった」

 美月を前に抱え、にっこりと微笑む。


「今日はなんだか、旭さんに助けられてばかりですね」

 両腕に囲われたまま、美月は顔を上げて苦笑する。すぐ間近に見えるのは、彼のおとがい


「いつも、わたしが美月さんに助けられているんですから。これぐらいさせてください」 


 顔を寄せ、ふわりと微笑まれる。

 見ていると、どんどん顔が熱くなってきて、美月は身じろぎして腕の中から出ようと思うのに、旭は解いてはくれない。


「あ、あの……」

 困って眉を下げた時、狐の声が聞こえた。


「美月―、旭―」


 名前を呼ばれ、強引かなと思う力で美月は振り返る。旭も、そこまで強要するつもりはないらしく、腕の囲いはゆるり、とほどける。


「これ、代金」


 人だかりは、もしゃもしゃと嬉しそうに柏餅を食べており、狐はその中央にいるらしい。

 声が聞こえたあたりから、絣の巾着袋が飛んできた。


「あぶな……っ」


 頭に当たりそうで、思わず身を竦めたが、旭が腕を伸ばして空中でつかみ取る。

 じゃり、とかなり重たそうな音がした。

 旭は巾着袋の紐を緩め、中を美月に見せる。


「これ、多いよ!」

 思わず目を丸めて、狐が居そうな辺りに声を投げる。旭も困惑顔だ。


「ええねん! 出張代も含まれてるし、みんな、喜んでるから!」

 狐の大声に、境内中から「ごちそうさん!」と、声が上がる。


「気ぃつけて帰りや!」

 狐が振る手だけが見える。


「ありがとう!」

 美月は手を振り返し、旭と並んで石段へと向かった。


「提灯、持って帰らなきゃね」

 きょろきょろと、石柱を探していると、不意に旭が手を握ってきた。


「こっちですよ」

 そう言って、歩き出す。


「いや……、あの……」

 なんだか、手をつながれているのが気恥ずかしい。


「旭さん、手……」


「また、転びそうだから」

 旭は心配げに瞳を曇らせ、ぎゅ、と一度だけ強く手を握る。


「今日はこうやって帰らせてください」

 きゅうん、と鳴く子犬のような顔で言われては、無下にも出来ない。


「……じゃあ。はい」


 返事をすると、顔が一気に火照った。

 寒風が時折吹き、境内の銀杏の木を揺すったが、お風呂から上がった直後のように身体全体が熱い。


(……あれ、でも)


 旭につながれていない、右手。

 そこだけが、なんだか、冷たい。


(そういえば、あの女の人が扇で風を送った時も……)


 冷たかった気がする。


 なんだろう。

 美月は首を傾げながら、旭とともに、家路を急いだ。

 


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