エピソード11『登場! 地獄の猟犬』

第31話 お母さんがおかしい


「ただいまー」

 池波桃李が小学校から帰ると、お母さんがまた、ぼうっとキッチンに立っていた。

「おかえり」

 寝ぼけたような声で返事される。

 さいきんお母さんの様子が変だ。まるでロボットのようで、言われたことに返事するだけ。いつも通っていたカルチャーセンターもやめてしまったらしいし、大好きなお笑い番組も見なくなった。

 桃李は違和感を感じつつも、ランドセルを部屋に置いて、外に遊びに行くことにする。

「ちょっと出掛けてくる」

 そういって靴をはいても、お母さんは注意しない。いつもは、「何時に帰ってくるの?」とか「宿題を終わらせてから遊びに行きなさい」とかうるさいのに、最近はぼうっとキッチンに立ったまま動こうとしない。まるでマネキンみたい。きっとまた晩御飯を作る時間まで、あそこで待機しているんだ。


 まるでなにかの機械。いや、ロボットのようだ。この人は本当にぼくのお母さんなんだろうか? もしかしたら、お母さんそっくりに造られた偽物なのではないか?

 桃李が様子をうかがうように狭い玄関に立っていると、きゅうにブザーが鳴った。

「こんにちは。池波さん、いらっしゃいますか?」

 たぶん隣の柴田さんだ。

 桃李が「はい」といってドアをあけると、無表情に立つ隣のおばさんがそこにいた。

 いつも元気に笑っている柴田のおばさんとは思えない無表情。

 おかしい。この人も変だ。

「これ、署名してください」

 柴田のおばさんは、回覧板を桃李に渡す。

 お隣のおばさんが来たというのに、お母さんは無言でキッチンに立ったまま、動こうともしない。仕方ないので、「団地内施設工事」と書かれた書類がはさまったバインダーを受け取る。

「じゃ、署名、してね」

 それだけ言って、柴田のおばさんはドアを閉めた。


 おかしい。やっぱりおかしい。お母さんも柴田のおばさんも、まるでロボットみたいだ。いつからこうなったのだろう?

 なにか最近、団地の大人全員が、無表情なロボットになってしまっている気がする。

 どうしよう。宇宙人の侵略なのだろうか? もしかしたら、警察に相談すべきじゃないのか……。








 赤穂士郎と水戸黄粉キナ子は、同じ3年A組である。その日の朝のホームルームのとき、A組に転校生がやってきたのだった。


 担任の河合先生が教室に入ってくるとき、ひとりの生徒をあとに従えていた。

「え?」「おっ」といった声が教室内からあがる。無理もない。先生がつれて入っ来た生徒は、思わず目で追ってしまうような美少女だったからだ。


 すらりと細い身体。明るい色に染めた長い髪は、耳の上で結ばれたハーフツイン。青い髪飾りがきらきら光っている。人形のように整った顔に、愛らしい笑顔を浮かべた少女は、あきらかに緊張しているものの、それでも嬉しそうに微笑んで、クラスのみんなのことを照れながら見回している。


 しかも、制服が大江戸高校のものとはちがう。グレーのワンピースに、丈の短いジャケット、鮮やかな臙脂のネクタイは、おとなり鬼百合女子学園のものだった。


「おおーっ」

 クラス中の男子から、感嘆のため息がもれる。それは赤穂士郎も例外ではなかった。

 なんか教室に突然、花が咲いたようだ。まるでアイドルがよくやる「一日署長」みたいに、「一日転校生」が来たみたいだった。


 うわー、可愛いな、と士郎は正直に思う。こんな可愛い女の子がこの世にはいるのか。まるで天使のよう。ああ、これはこのあと、ちょっとした騒ぎになりそうだぞ。


 とちょっと変な心配までしてしまった。

「あー、みんな、ちょっと変則的な時期だが、転校生を紹介する。みんな仲良くしてやってくれ」

 河合先生のテンプレな紹介に対し、「もちろんです!」とだれかが大声で返している。

 まあ、転校生がこんな美少女だったら、盛り上がるのも無理はない。


 先生はチョークを取ると、黒板に転校生の名前を書き出す。

『三津葉 葵』

 と書きながら、説明する。

「三津葉くんはすこし事情があって急遽うちに転校してきたんだ。校長先生の親友のお孫さんにあたるから生徒だから、失礼のないようにな」

 そしてその下にさらに二文字書き加えた。『一朗』と。


『三津葉 葵一朗』


 クラス中に、水を売ったような沈黙が流れる。

「では、三津葉くん。自己紹介を」

「はい」美少女はひとつうなずいき、自分に勢いをつけるように一歩前に出て、鈴がころがるような愛らしい声で自己紹介した。


「はじめまして、三津葉みつばあおいです。本名は三津葉葵一朗きいちろうっていいます。身体は男子ですが、心は女子です。性的マイノリティは女子になるので、男子に恋します。身体は男子なんですけど、女の子として扱ってくれると、嬉しいです」

 三津葉葵、いや三津葉葵一朗はちょこんとお辞儀した。

 が、それにたいするクラス中のリアクションは、ぽかんと口をあけるというものだった。

 まあ、無理はない。ちょっと変わった転校生だったからだ。



 だがひとり、このちょっと変わった転校生に対して、まったく変な偏見を持っていない女子生徒が一人いた。彼女は前の席から振り返り、黒縁眼鏡のレンズをきらりと光らせて、黒板を指さす。言わずと知れた、水戸キナ子である。

 士郎が「?」という顔をすると、イラついたように、さらに力強く黒板を指さした。


 ──転校生の名前か?

 ちょいと小首を傾げつつ、三津葉くんの名前を見る。

 葵一朗。

 ……わからん。


 士郎は問うような視線をキナ子に向けると、キナ子は声に出さず、つよい調子で口の形で言葉を放つ。

 あ・お・い。


「アオイ?」

 士郎が小声でつぶやくと、意を得たりとばかりにキナ子が大きくうなずいた。

 アオイ? 葵?


「あっ、アオイだから、ブルーか!」

 士郎は思わず叫んでしまい、あわてて口を押える。周囲の生徒何人かが振り返り、生徒会長の井出ちゃんなんか、ものすごい胡散臭げな視線で睨んできた。


 が、前の方の席のキナ子ばかりは嬉しそうにうなずいている。

 つまり、三津葉くんの名前が葵一朗だから、剣豪戦隊のブルーとして勧誘しろといいたいのだ。


「したきゃ、自分でしろよ」

 呆れかえった士郎は小声でつぶやく。

「よし」教壇のうえの河合先生が士郎の方を見て、声を投げた。「じゃあ、三津葉くんの席は、赤穂の隣な。おい、赤穂。彼にいろいろ教えてやってくれ。お前を案内役に任命する。いいな」

「え? 俺っすか?」

 士郎は抗議の声をあげるが、だれも聴く耳もたない。そればかりか、前の方の席でキナ子と井出ちゃんが、適任だとばかりに大きくうなずいている。


 なんで、あの二人。変なところでシンクロするんだよ。ため息をつく士郎のとなりの席に、転校生がきた。


「赤穂くん、よろしくね。三津葉葵と申します」

 美しくも可愛らしい天使のような顔貌が、少しだけ悲し気に歪んでいることに、士郎は気づいてはっとなった。



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