第26話 しっぺい太郎を探してきて


「あ、痛たたたたた」

 翌朝布団の中で身を起こした水戸黄粉は、脇腹に走った痛みに悶絶した。

 とりあえず肋骨は折れていないようなので、なんとか起きだし、襖を開けて客間から庫裡の方へスリッパを鳴らして廊下を渡った。

 小さいながらも清潔な厨房では、すでに炊飯の湯気が立ち、味噌汁の匂いがたち込めていた。

「おはようございます」借りた作務衣のだぶだふの袖を気にしながら、キナ子は住職に挨拶した。

「おはよう」住職は振り返って微笑み、板の間を指す。「食事の用意ができているから、早く顔を洗って来なさい。洗面所は、そっちの奥だから」

「はい」

 もどってくると、朱塗りの御膳の上に小さい碗がいくつものった、素敵な朝食が湯気を立てていた。思わずお腹がぐうっと鳴ってしまい、ちょっと恥ずかしかったが、とぼけて「ありがとうございます」とお礼をいい、御膳の前に正座し、住職と二人、用意してくれた朝食に箸をつけた。

「困ったことになったよ」住職がぽつりと言う。「山を降りられない。車で行ってみたんだが、霧が深くてね、仕方なく途中の路肩に車を止めて徒歩で歩いたんだけど、何度行っても、もとの場所にもどってしまう。これも、キナ子さんのいう妖怪の仕業なんだろうか?」

「今晩、明日香さんの霊が生贄にされるまでは、わたしたちを足止めするつもりかも知れません」キナ子は煮物、和え物、酢の物が並ぶ御膳を眺めながら言う。「美味しいですね。それに豪華だけど、ひとつひとつは案外質素。まるで精進料理みたいです」

「精進料理だよ」住職は苦笑した。「ここ、禅寺だから」

「ときに、ご住職さま。昨日わたしと一緒にきた少年、ご住職さまには見えましたか?」

「え? 少年? 少年なんて、いたかな?」

「はい。ただし、生きた人間ではないですね。中学二年生くらいの男の子で、十八年前の特撮番組を知っていましたから、亡霊だと思います。名前は草太郎くん。上野から新幹線に乗り込んできて、ここまであたしを案内してくれたんです。もしかしたら、この村と関係のあった人の霊かと思いまして」

「申し訳ない」住職は茫然とキナ子の顔を見つめる。「ぼくには霊感とかそういうのが皆無なので……。これでは妖怪退治の力になることもできないなぁ」

 ちょっと困ったように首をすくめる。

「でも、キナ子さんを案内してきたのなら、やはりこの村に住んでいた人だろうか? 中学生くらいの男の子は当時村にもいたけど、草太郎という名前だったかなぁ? ……ほんと、申し訳ない、なんの力にもなれなくて」

「いえ」キナ子は小さく首を振る。「あ、あと、しっぺい太郎という名前に心当たりは?」

「あの、猿神退治の伝説にある『しっぺい太郎』だろうか?」

「はあ、たぶん」

 猿神退治の伝説は日本各地に残されており、神を騙って生贄を要求してきた猿の化け物が怖れる『しっぺい太郎』という犬がいるのだ。それに心当たりはないかとキナ子は聞いたのだが……。

「犬はこの辺にはいないなぁ。飼っている家は、ヤマの向こうに一軒あるが、名前はフランソワーズだし、……なにより、どこかに居たとしても、ぼくたちは山を降りられない」

「ふぅむ」

 キナ子は口をへの字に歪めた。

 まずい。このまま戦っても、勝つことは難しい。まさに八方ふさがりである。どうしたものか? 

 とはいえ、夜までに出来ることはない。

 午前中は住職を手伝って寺の掃除をこなし、昼食のあとはせっかくの禅寺なので座禅体験をさせてもらった。

 板の間に足を組んで座し、指を合わせて瞑想するのだが、どうにも妄想ばかりしてしまい、挙句の果てに睡魔が襲ってきて、そのたびに住職の警策でばっしと叩かれる。

 びくっとなって目覚めると、住職が苦笑して、

「これは、わたしが叩いているのではないですよ。警策は文殊菩薩の手と言って、文殊菩薩が叩いているのです」

 と解説してくれた。

「ありがとうございます」

 とりあえず、お礼を言っておく。





 ぼくは朝起きると、自分の部屋を飛び出して、真っ先に明日香お姉ちゃんのところへ走って行った。

 でも、明日香お姉ちゃんは今晩生贄として天神社の妖怪に差し出されてしまう恐怖に怯え、畳に突っ伏して泣き続けており、ぼくどころではないようだった。

 仕方なく今度はお寺まで走って行って、ポンコツお姉さんの方の様子を窺う。が、こちらのお姉さんは座禅の真っ最中。和尚さんに木の棒で肩をぶっ叩かれていた。あの棒、昔は竹で出来てたんだよな。いまのは木だから、かなり痛そうだった。

 とりあえず、ポンコツお姉さんは修行中のようだから、また石段を駆け下りて明日香お姉ちゃんのところへ向かう。村ではすでに明日香お姉ちゃんを生贄として差し出す準備が始まっており、大きな長持が用意されていた。これに明日香お姉ちゃんを入れて、天神社の前に置いてくる。そんなことをしたらあの妖怪どもにお姉ちゃんは食べられてしまうというのに。

 ぼくは何とかしなければと焦って走り回ったが、いいアイディアは浮かばない。そうこうしているうちに村長さんたちが明日香お姉ちゃんの家に集まってきて、お姉ちゃんを長持の中に早く入れるよう催促しだした。

 ああ、もう駄目だ。どうしようもない。ぼくが絶望に拳を握りしめていると、

「ちょっと待ちなさーい!」

 という声が響いた。

 あっと振り返ると、そこにはポンコツお姉さんが立っている。そして、「わたしが代わりにその長持に入ります」と宣言していた。

 もう、なに無茶苦茶いってるんだろう、このポンコツお姉さんは!

 ぼくは慌てて止めようと前に飛びだす。

 でも、お姉さんの意志は固かった。ぼくに小さくうなずくと、長持の中に入って行く。そして、蓋が閉じられる寸前、ポンコツお姉さんはぼくにこう言った。

「草太郎、しっぺい太郎を探してきてくれ」

 は? なんだって?

 ぼくは首を傾げるしかない。しっぺい何とか? それ一体なんだよ。どんな物なんだ? どこを探せばいいんだ?

 長持の蓋がぴっちりと閉められ、村人たちの手で担ぎ上げられて、天神社のある方向へえっさえっさと運ばれてゆく。

 どうしよう。何とかしないと、明日香お姉ちゃんの代わりにポンコツお姉さんが食べられちゃうよぉ。

 ぼくはとにかく、長持を追い越して、お寺の方へ駆け出した。何にしろ、役に立つ物はすべてあそこにあるはずだから。


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