第18話 パンツ、見た?


 着替えて教室にもどると、士郎は席についてぼうっとしていた。

 まだ朝早い時間帯なので、登校してきている生徒の数は少ない。

 ぼうっとした士郎は、さきほど武道場で、杏さんに床に這いつくばらされた場面を反芻していた。士郎はあの時、てっきりあれは、幽霊である杏さんが使った一種の霊力とか魔力とかそういう超常的なパワーだと思った。

 でも、あれと同じものを士郎は昨日、目の当たりにしている。

 蟹坊主の大剣を受け止めたときの、キナ子の太刀筋だった。

 あれを喰らったとき、蟹坊主の腰は砕け、膝は折れていた。さきほどの士郎とおんなじ状態である。崩れたたいでは踏ん張れない。蟹坊主も士郎も、あれを喰らっていいようにやられた。

 力じゃない。よく知らない人は、簡単に言う。

 だが、あの蟹坊主の大剣は、士郎が身体ごと当たっていっても、あっという間に吹き飛ばされるほどのパワーがあった。あれを難なく受け止めたキナ子は、決してパワーがあるわけではない。あれは武術なのだ。霊力や魔力に見えるかも知れないけど、あれは武術だったのだ。

「ねえ、さっきお母さんと何、話してたのよ?」

 やっと着かえて教室にきたキナ子が士郎の机の横に立った。

 キナ子は、抜刀は速いが、それ以外は案外もたもたしている。着替えとか、片付けとか、準備とかは、おっそろしく時間がかかる。

「ん? いや、大したこと話してないよ。武術の話ばかりさ。新陰流の極意とかの」

「ふうん」

 キナ子は口をとんがらせた。士郎の返答に満足していない。そういう時の仕草だ。

 さらに何か言おうとしたとき、キナ子の後ろから別の女子が姿を現した。

「赤穂くん、これ」片手でぞんざいにA4の紙を渡してくる。古武道研究会の活動許可と、部室の使用許可に関する正式な書類だった。

「お、ありがと」渡りに船と、オーバーアクションで受け取ってしまう。

 井出ちゃん登場で、キナ子はあっさり引き下がり、自分の席にもどってしまう。

 が、一難去ってまた一難。井出ちゃんが辛辣な口調で問い質してきた。

「赤穂くん、きのう、外環沿いのゲームセンターにいた?」

「ああ、あそこならよく……、行くけど、最近は行ってないな」

「そっか」井出ちゃんは肩をすくめる。「てっきり赤穂くんが助けてくれたのかと思っちゃった。あたしの勘違いね」

 どきりとした。もしかして自分がレッドムサシであることに、井出ちゃんはきづいたのか? あるいは、クイズゲームのときも、実は意識があったとか?

 が、士郎はとぼけて先を続ける。

「なんかあそこのゲーセン、きのう、もの凄いガス爆発起こしたんだろ? 行ってなくて良かったよ。で、なんでそんなこと聞くの?」

 士郎はカマをかけてみたが、井出ちゃんは曖昧な笑顔で聞き流す。

「これ」井出ちゃんは、きのうの蟹坊主みたいにずっと背中に回していた左手を身体の前に出す。背中に隠して、左手に持っていた、長い布の包みを前に出し、士郎の机の上に置く。「落ちてたよ」

 士郎はそれを一目見て、きのうゲーセンで失くした木刀だとすぐに分かった。

 やばい、なんで井出ちゃんがこんなもの持っているんだ? たしかに柄頭にマジックで名前、書いてあるけど。

「おおっ、ありがとう!」士郎はわざと大声でお礼をいった。「探してたんだ、これ。一体どこにあった?」

「うん。ゲームセンターの駐車場に落ちてた」

「へえ、そんなところに。きっと誰かが拾って、やっぱ要らなくなって捨てたんだろうな」

「かもね」井出ちゃんは、すこし寂し気に笑った。「……助けてくれたとき、あたしのパンツ、見た?」

「いや、パンツって、下に短パン履いてるだろ──」

 言ってしまってから、しまったと思ったが、遅かった。

 井出ちゃんは、安堵したような笑顔で、きっちりと腰を折って、頭を下げた。

「ありがとう、赤穂くん」

「あ、いや……」

 くるりと踵を返して教室を出ていく井出ちゃんの背中を、赤穂士郎は茫然と見つめた。

 やばい。どこまで、バレてるんだ?

 血の気の引いた冷たい頬で、キナ子の席を見ると、上半身だけ振り返った水戸キナ子がオーバーアクションで肩をすくめ、手のひらを上に上げて見せる。

 いや、おめー、他人事じゃねえだろ。

 士郎は大きく嘆息した。


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