第22話 エルの正体
突然やって来たこの孤児院の管轄らしいラキトフ神殿の人間に、私は拉致同然に馬車へ押し込まれてしまう。何とか逃げ出す方法はないかと考えるけれど、両脇を固められているので身動きが取れない。
そんな中、司祭から『紅眼の悪魔』との関係について聞かれたけれど、それが本当にエルの事なのか分からない私は返事を躊躇ってしまう。
とりあえずエルを知っているであろうこの司祭から、何かしらの情報を引き出せないかと考えた私は質問をぶつけてみる事にする。
「……あの、『紅眼の悪魔』って、どんな悪魔なんですか? 縁結びの神様じゃないんですか?」
もしかしたら神様のあだ名的な感じで悪魔って表現をするのかも……と思った私の質問に司祭は怪訝そうな顔をする。まるで「何いってんだコイツ?」とでも言いたげだ。
「……お前は何を言っている? あの悪魔が縁結び? ましてや神とは正気か?」
──ぐぅ。質問しただけなのに、まさか正気を疑われるとは……! でも予想通りの返答にエルはやはり悪魔なのだと確信する。
(じゃあ、あの廃神殿はエルの神殿じゃなかったんだ……)
エリーさんの話でも入り口は塞がっていなかったらしいから、エルが閉じ込められてた神殿は別の神殿だったのだと理解する。
(でも、そうなるとエルがいた神殿ってどこだろう?)
頭の中で色々推理していた私を見た司祭は、本当に私が「紅眼の悪魔」を知らないのかもしれないと思い始めたようだ。
「我々は奴の動向をずっと探っていたのだが、ある時から奴がお前の孤児院を支援し始めたと報告を受けた。それはお前も自覚しているな?」
「……はい」
エルの事を探っていたのはきっと福音聖省が管轄する暗部だろう。<使徒>は戦闘部隊だから、異形の者を見つけたら即殲滅だ。調査なんてのんびりする訳がない。
「奴がなぜ孤児院に便宜を図るのか理由が分からん……それも辺境の小さな街の孤児院に、だ。しかもお前や孤児達を盗賊から助けるために本人自ら動いたらしいではないか。奴とお前はどういう関係だ? どこで知り合った? まさかとは思うが、恋仲ではないだろうな?」
「こ……恋仲!? ち、違います! そんなんじゃありません……!」
私はエルを好きだけど、エルは私の事なんて精々良い情報源ぐらいにしか思っていないだろう。……とても悲しい事だけれど。
「まあ、そうだろうな。いくら何でも身分が違い過ぎるからな。流石の奴もその辺は弁えているだろうが……しかし分からん」
司祭はエルの行動が心底理解出来ないらしく、ため息をつくと考え込むように腕を組んだ。
(それにしても身分って……。確かに上級悪魔と普通の人間では釣り合わないけどさ)
司祭の言い回しに何か違和感を感じたけれど、そう言えば何故このような状況になったのか未だに私は説明を受けていないと気が付いた。
「あの、私を司教様に会わせてどうするんですか? そのエ……悪魔と懇意にしているから裁かれるのですか?」
アルムストレイム教は異形の存在を認めていない。今はマシになったとはいえ、亜人達すら排斥しようとしていた時代があったのだ。
だから巫女見習いである私が悪魔と繋がっているなんて知られたら……無事に生きていられないだろう。おそらく形だけの宗教裁判が行われた後、確実に処刑されるはず。
「それは儂の口からは言えんな。ただお前の事は司教様を通してオーケリエルム大神殿の大司教様に伝わる。お前の処遇はそこで決められるだろう」
オーケリエルム大神殿とはアルムストレイム神聖王国にあるアルムストレイム教の総本山殿だ。そこにはアルムストレイム教のトップである教皇を始め、世界中にいる教徒を管理するための中央行政機関が存在する。
今から会うという司教次第で、私はオーケリエルム大神殿に連れて行かれる可能性があるのだ。
(司教に会うぐらいならまだ我慢できるけど、大神殿に連れて行かれたらどうしよう……! それに子供達だってどうなるか……!)
異形の者と懇意にしていた人間が面倒を見ていた子供達を、神殿が保護してくれるだろうか……いや、多分しないな、うん。
それにきっと私はもうエルに会えないだろう……大神殿に連れて行かれなかったとしても、今から行くラキトフ神殿で幽閉か処刑になるはずだ。
(今日会った時、エルの事をたくさん聞こうと思っていたのに……。もう二度と会えないとなると、エルの正体についてモヤモヤしそうだよなぁ)
だから私は最後に、司祭からもう一度エルの話を聞いてみる事にする。本当はエルの口から直接聞きたかったけれど、そんな事を言っている場合じゃなさそうだ。
「あの、司祭様はエ……あの悪魔の正体をご存知なのですか?」
私の質問を聞いた司祭は目を見開き、驚きの表情を浮かべている。そして私の顔をまじまじと見た。
司祭の珍しいものでも見たようなその視線に、何だかバカにされているような気がしてこんな時なのにイラッとする。
「お前は本当に奴の事を知らんのか……いや、奴が自身の素性を隠していたのか……? 何故そのような真似を……?」
司祭が一人でブツブツと呟いているけれど、一人で納得していないで、いい加減私に説明してくれないだろうか。
……そんな気持ちが伝わったのか、私の無言の訴えに気付いたのか、司祭は「……うむ、仕方がないから教えてやろう」と言って姿勢を正すと、私に向かって告げた。
「お前と懇意にしている、我々が『紅眼の悪魔』と呼んでいた人物は、この──……」
司祭の口からいよいよエルに関する情報が手に入る、と思ったその時、馬達の激しい嘶きが聞こえると同時に馬車がガコンガコンと激しく揺れる。
「な、何事だ!?」
突然の事に司祭と修道士達が慌てふためいている。そして修道士の一人が馬車の窓を開けて外を確認すると、馬達が酷く怯えて暴れているらしく、御者が馬達を落ち着かせようとする声が聞こえてくる。
「おいお前、御者に状況を聞いて来い!」
司祭の命令を受けた修道士の片割れが「はい」と頷き、馬車の扉を開けて外に出ようとする。私はその隙を見計らい、扉が空いた瞬間、修道士目掛けて体当たりをした。
「ぐえっ!」
私が体当りした修道士からカエルが潰れたような声がしたけれど、内臓は損傷していないだろうから、ちょっとの間だけ痛みを我慢して欲しい。
修道士を押しのけて開いた扉から外に出ると、見覚えがある風景が広がっていた。ここなら自力でも帰れるから、森の中に身を潜めて司祭達を巻いてやろうと考える。
(エルはもう孤児院に来てるかも……! せめてエルにお別れの言葉を言いたい……!)
──今の私を突き動かすのは、一目だけでもエルに会いたいという衝動で。
「な……! お、お前!! 戻れ!! 戻らんか!!」
馬車の中から司祭の叫び声が聞こえるけれど、もちろん私が言う事を聞く訳がなく。
だけど月明かりに照らされた道を横切り、闇が広がる森の中へ入ろうという一歩手前で、私の腕がもう一人の修道士に掴まれてしまう。
「ちょ……っ! 離して!!」
「離す訳無いだろう! 大人しく馬車へ戻れ!!」
「戻る訳ないじゃない!! エルに会えず子供達も置いたままなんだから!!」
未だに聞こえてくる馬の嘶きに御者の声、私達の言い合う声が周りに響き渡り、いつも静寂な森が騒然たる有様だ。
(くっそーっ!! あとちょっとだったのに!!)
私は修道士の腕を振り払おうとするけれど、男の人の力に勝てる訳がなく、腕を掴んでいる手はがっちりとして外せない。
修道士が再び馬車に連れ戻そうとするので、必死に抵抗しながら心の中でエルの名前を呼ぶ。名前を呼んだからって私に気付いてくれる保証はないけれど。
「──エル……! 助けて!!」
修道士と揉み合っている内に、思わず口からエルの名前が溢れてしまう。
盗賊に拐われた時、エルはまるで物語のヒーローのようにタイミングよく現れて私を助けてくれた。そんな都合の良い事が何度も起こる訳が無いと分かっていても、私は必死にエルの名前を叫ぶ。
「エル! エル……っ!!」
「────サラ!!」
夜の闇を引き裂いて私の声に応えてくれたのは、いつも私を助けてくれる人の声だった。
私は逸る気持ちを抑えながらエルの姿を探すけれど、ぐるっと見渡してもエルの姿は見当たらない。
その時、月明かりに照らされた道がふっと陰ったので反射的に月を見上げると、そこには大きな翼を広げた巨大な生物──飛竜が月を背にして夜の空に浮かんでいた。
「なっ!? 何故こんなところに飛竜が!?」
「早くっ! 早く中に隠れろっ!!」
私の腕を掴んでいた修道士と、馬を宥めていた御者と私に突き飛ばされたもう一人の修道士達が慌ててその身を隠そうとする中、私は逃げる事も忘れて呆気にとられながら、その場に立ち尽くしていた。
初めて見る飛竜は黒曜石のような鱗を持ち、燃えるような赤い眼をしていて、その美しさはつい見惚れてしまうほどだった。
「……エル……?」
だけど私が見惚れていたのは飛竜ではなく、その飛竜の上に乗っている人物──法国の人間には「紅眼の悪魔」と呼ばれているけれど、美しくて優しくて、私が初めて好きになった人で。
その人は宝石のような紅い瞳で私を見ると、ふわっと綺麗な微笑みを浮かべるけれど……風になびく髪はいつもの黒髪ではなく、月明かりを反射して輝く、見事な金髪だった──。
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