第9話 変な悪魔

 エルは一回来ただけで、しばらく来ない日が続いているけれど、贈り物は毎日欠かさず届けてくれていた。贈り物を持って来てくれるのなら顔を出せばいいのに、と思うけれど、色々悪魔にも事情があるのかもしれない。


 エルからの贈り物は子供達の服から始まって、絵本の次はお菓子でも作れと言うのか、バターに小麦粉、砂糖のセットが贈られ、その次は人数分のタオルや毛布など、生活するのにとても助かる品々だった。


(それにしても随分家庭的な悪魔だなぁ……)


 贈られたのもはどれも高級品なのか、質が高そうなのが窺える。下世話な話だけれど、注文とか支払いとかどうしているのかとても気になる。


(まさか本人が作って……るわけないよね。まさか盗んでたらどうしよう)


 エルは悪魔だから悪事には抵抗がないかもしれない。それに子供達に盗品を使わせるのは嫌だし、盗まれた先の持ち主が困っていたら申し訳ない。

 次エルと会った時にその辺りの事を聞いてみようと心のメモに示す。





 * * * * * *





「贈り物? 勿論購入していますよ? まあ、僕が品を決めていますけどね」


 エルに質問しようと思っていたその日の夜に本人がやって来たので、私の疑問は早々に解けた。


「でも、エルが店で買い物している姿が想像できないんだけれど……」


 黒尽くめの美形がバターや砂糖を大量に買い求めに来たら、お店の人が驚きそう。


「買い物は僕の部下にお願いしていますよ。僕が直接買いに行く訳にはいきませんので」


(悪魔の部下……使い魔か何かだろうか?)


「じゃあ、もしかして毎日贈り物を届けてくれているのも……」


「僕の部下ですね。子供達には気付かれないようにお願いしているんですよ」


「なーんだ。エル自身が届けている訳じゃなかったんだ。来たのなら顔を見せていけばいいのにって思ってたよ」


 思っていた事をそのまま伝えただけだったけれど、私の言葉にエルの綺麗な紅玉の瞳が瞬いた。なんだか不思議そうな顔をしているけど。


「? どうしたの?」


「……いえ、その、貴女は僕を恐ろしい奴だと思っているのだとばかり……それなのに、会いに行っても良いなんて仰るので……。つい、驚いてしまって」


 エルは顔半分を手で覆ってそう呟いた。何となく顔が赤い気がする。もしかして照れているのかな?


 ……まあ、エルからしたらそりゃそうだよね。聖職者が悪魔に会うことに抵抗ないなんておかしいよね。


「自分でも不思議なんだけど、エルの事全然怖くないんだよね。生活用品を贈ってくれるからかな? それって凄く人間臭いよね……って、あ! それ良い意味だから!」


 悪魔に人間臭いだなんて言ったら失礼な事かもしれないので慌てて言い訳する。侮辱されたと言ってキレられたらたまったもんじゃないし。


「ふふっ、そんな事を言われたのは初めてです。誰しも僕を怖がっていると思っていたので」


 エルが嬉しそうに、柔らかく微笑んだ。その顔はとても綺麗で、見たもの全てを虜にしてしまいそうだ。


「みんなの前でそんな風に笑ったらきっとイチコロだと思うけどな。普段あまり笑わないんじゃない?」


 ここにいる時のエルはよく笑っているように思うけれど、もしエルが無表情だったらと想像して……うん、冷たい美貌の悪魔になるわ。そりゃ怖いかも。


「……ああ、そう言えばそうですね。普段は舐められないように気を張っているのかもしれません」


 悪魔の中でも序列があるんだな。確かに下位の者に舐められるのは嫌だよねぇ。うーん世知辛い。


「よく分からないけど、頑張ってね」


 聖職者が悪魔に頑張れって、罰が当たりそうだと、言ってから気が付いた。でもエルが「有難うございます、頑張ります」と笑顔で言ったものだから……。


 ──この笑顔が見られるのなら、ちょっとぐらい罰が当たってもいっか、なんて思ってしまった。


「……あ、そう言えば……」


 エルが何かを思い出したように呟くので、何だろうと思って言葉の続きを待っていると、段々エルの顔が不機嫌になっていった。


(あれ? 何だか怒ってる? 何でだろう?)


 エルに怒られるような心当たりが無い私は、不機嫌な顔でも綺麗だな、なんて呑気に考えていた。


「先日孤児院に訪ねてきた男は誰ですか? 随分親密だったようですが」


 ……んん? 親密な男? そんな人物思い当たらないんだけど。私と親密な男の人ってお爺ちゃ……じゃない、司祭様しかいないよね。


「そんな人いるの? 誰?」


 自分の事なのに思わず他人事みたいな事を言ってしまった。

 そんな私にエルは呆れたような顔をすると、「……はあ」と大きくため息を漏らす。


「貴女が全く意識していらっしゃらないという事はよく分かりました。どうやら相手の独りよがりみたいですね……」


 何の事か分からないけれど、エルは納得出来たみたい。……って、いやいや。一人で納得していないで私にも教えて欲しい。


「領主の子息であるテオバルト殿ですよ」


 エルの形の良い口から出た名前に「ああ! そう言えば!」と思い出す。そう言えば来たね。すっかり忘れていたよ。


「……本当に全く意識していらっしゃらないようですね」


 忘れっぽい私に呆れたのか、エルがジト目で見て来る。……何だか視線が痛い。


「ごめんごめん、すっかり忘れてたよ。あ、でも今度会う約束しているから! その時色々話を──……」


 ──聞いてくるから、と続きを言えないまま、私はその言葉を飲み込んだ。

 何故なら、私の目の前には凄く綺麗な瞳をしたエルの顔が、視界いっぱいに広がっていたからだ。


(えっ!? う、うわっ……!! 顔! 近い近い!! 美形のドアップ怖い!!)


 気がつけば、いつの間にやら私は部屋の隅へと追いやられていて、しかもエルが両手を私の顔の横に付いているから、まるで囲われているみたいで逃げ場がない。

 これはどういう事だと思っていると、エルから得も言われぬ良い香りが。


(……あれ? 何だか凄く良い香りがするぞ……? さてはエルの奴、高い香水を付けているな?)


 良い匂いに気を取られてされるがままでいると、エルががっくりと項垂れて盛大に溜息をついた。


「………………はぁ。全く……貴女には危機感がないのですか? あまりにも貴女が無防備だからこうして簡単に捕まるんですよ。僕が言うのもおかしいとは思いますが、お願いですからもっと男に対して警戒して下さい」


「……はい、すみません」


 余りにも真剣なエルの表情に思わず謝罪してしまう。そう言えば私も年頃の娘だったのだと今になって自覚した。

 そんな言葉を今まで言われた事が無かったからすっかり忘れていた……まあ、こんなくたびれた女を襲うような特殊性癖の人間はテオぐらいしかいないと思うけれど。


 私がちゃんと返事したのを確認したエルが、私を捕らえていた腕を下ろしてそっと身体を離す。すると、エルの温もりも香りも一緒に離れてしまって少し寂しく感じてしまう。


(……何だろう、この感じ。もしかしてこれが人肌が恋しいというものなのかな?)


 エルは人じゃなくて悪魔だけれど、人間と同じように体温があるみたいだし。


「どうかしましたか?」


 悪魔でも温かいのかと不思議に思って、ついついエルの身体をジロジロ見てしまった私に、エルが怪訝そうにその柳眉をひそめる。


「ごめんごめん。いや、エルの体温が心地よくてさ。人肌も良いもんだなーって」


 私がそう言うと、エルは片手で顔を覆って天を仰ぐ。そして何か呟いていたけれど、声が小さすぎて全く聞こえない。


(それにしても悪魔が天を仰ぐ姿というのもこれまた珍しいのでは? 今日は色んな発見をする日だなぁ)


 私がエルの珍しい姿を眺めながらそんな事を考えていると、ようやくエルが再起動した。


「……本当に貴女という人は……! 天然ですか!? そういう事は他の男に言ったら駄目ですよ! 絶対ですよ!」


「お、おおぅ、気をつけます……?」


 何故かまたエルに怒られてしまった……うーん、悪魔の考えはよくわかんないや。

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