第4話 興味

「気を失ってしまったか」

 ウィンチェスタ侯爵はリリアーナが落ちないように抱え込んだ。

 ふわふわな黒髪が流れ、ウィンチェスタ侯爵の首元をくすぐる。


「魔術にしか興味を示さなかったノアールが初めて興味を持った子……か」

 男女の好意とかそういうものではないと感じていたが、それでもノアールが何かしてあげたいと思ったのなら好きなだけやらせたいと思った。


「まさか7歳も離れているとは思わなかったけれどね」

 昨日初めて会ったこの少女の6歳だと思えない仕草、雰囲気、話し方に違和感を覚えた。

 少女の黒い瞳を覗き込むと、何か見知らぬものが映った。


「ノアールもとんでもないものを引き当てたものだ。こんな面白そうな子、自分の方が先に見つけたかった」

 我慢できずに今日ちょっかいをかけてしまったが。


 落ち着いた話し方。

 まるで大人の女性と話しているかのような不思議な感覚。

 自分の身が危険でも周りを冷静に観察するような態度。


 今日会って確信した。

 ただの6歳児ではない。


「この国の菓子ではないショコラを手に取るとは」

 新作の魔道具と引き換えに国王陛下へ頼み、王宮の料理人に作らせた貴重な菓子。

 この国以外の菓子をあれこれ箱に詰め込み、リリアーナの反応を伺った。


 フォード侯爵の実の娘ではないという予想はどうやら当たっていそうだ。

 フォード侯爵は金髪・青眼。

 息子エドワードもフォード侯爵によく似ている。

『水の一族』であり、それは青眼にしっかりと表れている。


 我がウィンチェスタ家もそうだ。

『風の一族』のため息子は全員緑眼。

 隔世遺伝などいろいろな条件はあるものの、黒髪・黒眼はあまりに容姿が違いすぎる。


「この子は珍しい闇属性を持っているかもしれないと思い、魔力測定器を持ってきたが……」

 ウィンチェスタ侯爵はリリアーナをゆっくりとベッドへ寝かせた。

 眠ったままのリリアーナの両手を魔力測定器に触れさせる。


「ははっ、ますますノアールには勿体ないな」

 ウィンチェスタ侯爵は嬉しそうに緑の髪をかき上げた。


 魔力測定器をしばらく見つめテーブルに戻す。

 倒された赤い魔道具を元に戻し、解除ボタンを押した。

 同時に白い防音の魔道具も解除する。


 小さな少女を気絶させてしまった。

 つい夢中で見知らぬ魔法陣に魅入ってしまったせいだ。


「この赤い魔道具は『忘れさせる魔道具』だよ。ごめんね、リリアーナ」

 赤い魔道具のボタンを押した瞬間から解除ボタンを押すまでの事を相手は覚えていない。


 これは国王陛下に提供したばかりの新作の魔道具だ。

 多少羽目をはずしても「宰相にバレない!」と国王陛下は喜んでいたが、果たしてどんな悪戯をする気なのか。


 酸欠で苦しんでいた強風は赤の魔道具とは一切関係なく、自分が放った普通の魔術。

 どうせ赤の魔道具の効果で何も覚えていない。

 説得は面倒。

 強風で動きを拘束し、魔力測定器に触るよう脅そうと思ったが。


 思わぬ物が見られた。

 6歳ではないリリアーナの姿、知らない魔法陣。


「さて次はどんな魔道具を作ろうか。リリアーナに必要な魔道具をノアールにも作らせないと」

 ウィンチェスタ侯爵は魔道具をポケットにしまうと、リリアーナのおでこに優しく口づけを落とす。


「おやすみ、リリアーナ」

 ウィンチェスタ侯爵はリリアーナの頭をそっと撫でると、静かに部屋から出ていった。



「……リリー?」

 リリアーナは自分を呼ぶ優しい声で目が覚めた。

 目の前には眼鏡をかけた緑髪の美少年。


「ほわっ!」

 驚きすぎて心臓が止まるかと思った。


「具合が悪いですか?」

「だ、だ、だ、だいじょうぶ……です」

 たぶん今、顔は真っ赤だろう。

 リリアーナは慌てて飛び起きた。


 サイドテーブルには蓋がきちんと閉まったお菓子の白い箱。

 ウィンチェスタ侯爵がお菓子を持ってきてくれて、魔道具を見せてもらって?

 あれ?

 それから何で寝てしまったのだろう?


「今日はこれを買ってきました」

「ノート? 使っていいの?」

「何でも自由に書いてください」

 リリアーナはノートとノアールを交互に見つめた後、ゆっくりと両手を伸ばした。

 

 この世界のノートは結構表紙が分厚い。

 中の紙も厚めで黄色っぽいので、紙を薄くする技術や白くする技術はないのかもしれない。


「あとはこれ」

 ノアールは鞄から新品の羽ペンとインクを取り出し、テーブルに置いた。


「緑のふさふさの羽根?」

 別邸の庭で時々見かける鳥は小さいけれどカラフル。

 この緑の羽根も孔雀のような光沢がある。

 この世界の鳥は全体的に派手なのかもしれない。


 インクは黒っぽい茶色。

 黄色の紙に茶色のインクだ。


 ……天才に見えるかも。

 リリアーナは海外の筆記体で書かれたおしゃれな黄色っぽいノートを勝手に想像した。


 羽ペンとインクは憧れるけれど難易度が高そうだ。


「まずは名前を書いてみましょうか。リリアーナというのは百合の花です。白くて綺麗な花ですよ」

 慣れた手つきで羽ペンにインクをつけ、すらすらとノートに書く。


『Liliana』

 綺麗な文字でお手本が描かれ「はい」と渡される羽ペン。

 恐る恐るインクをつけると、軸のあたりにインクがジュワっと広がった。


「つけすぎ?」

 Lの上の方にインクが溜まって音符みたいに。


「少なすぎ?」

 今度は途中でかすれてしまう。


「難しい! でもおもしろい!」

 リリアーナは夢中で書いた。


 字はあまりうまくない。

 でも羽ペンだし子供の手は小さいし、こんなものだろう。

 勝手に納得し、どんどん書き続ける。

 書いて、ノートを眺めて、また書いて。


「よかった」

 夢中なリリアーナにノアールはほっとした。


 何も持たないリリアーナに何を贈ったらよいのか。

 女性に贈り物などしたことがないノアールにはわからなかった。


 クラスメイトに相談してみたが、婚約者には装飾品を贈ると言われ、相手がまだ6歳だというとドン引きされた。

 いくら政略結婚でも5歳以上年下は無理だと。


 そういうものなのだろうか。

 三男ということもあり、継ぐような爵位も領地も何もない。

 一生独身で良いので今まで婚約者などいなかったが、いざ婚約してみるとどう接したらよいのかわからなかった。


「他に欲しいものはありますか?」

 リリアーナは首を横に振る。


「学園に動かせない作りかけの魔道具があり、荷物の都合もあるので土日しかここにいられませんが良いですか?」

 申し訳なさそうな顔で尋ねるノアール。


 大丈夫です!

 お気になさらずに!

 そう言ってしまいたいが5歳だしなと少し回答を考える。


「ノア先生の都合のいい日で」

 考えた結果、結局6歳っぽくない回答になった。


「土日は食事を一緒に取りましょう」

 しばらくノアールは金曜の帰りにここへ来て、月曜日の朝ここから学園へ通うことに。

 同棲というよりルームシェアだ。

 良かった。

 

「よろしくリリー」

「はい。よろしくお願いします、ノア先生」

 13歳と6歳の二人は照れながら微笑み合った。



「ノアール、リリアーナの所へ行ったのかい?」

 家に戻ったノアールは廊下で父に呼び止められた。


「はい。しばらく土日のみ行くことにしました」

「油断していると誰かに攫われてしまうよ? 私なら腕の中に閉じ込めて誰にも見せないけどね」

「まだ6歳ですよ」

「子供はあっという間に成長してしまうのだよ」

 肩をすくめながら軽い口調で揶揄う父。

 

 その姿はいつもの父の姿だったのに。


「……ノアール」

 冷たい空気に圧倒されたノアールの背筋に寒気が走った。


「魔力を抑え込む魔道具を作りなさい」

 聞いた事がない低い声色が廊下に響く。


「できれば魔力をゼロに。ゼロが無理なら魔力を限りなくゼロに近づけるもの」

 リリアーナが7歳の神託を受けるまでに完成させる事。

 ずっと身につけられるもの、例えば指輪など寝ている時も入浴中も着けていられるものにする事。

 

 父から最低限の条件が告げられる。

 見下ろす様な冷たい視線からノアールは目を逸らす事ができなかった。


「……は……い」

 返事をしなくてはいけないのに身体の底からの震えが止まらず、うまく声が出ない。

 こんな感覚は初めてだ。


 優しい父が魔道具大臣として他国を相手にしているのはずっと疑問だったが、これが普段仕事中の父の姿なのか。

 初めて見る姿に驚きと恐怖が広がる。


「わからない事は聞きに来るといい」

 ふっと父の雰囲気がいつもの優しい父に。

 ノアールの肩をポンと叩くと何事もなかったかのように書斎へ歩いて行く。


「魔力を、抑え込む魔道具……?」

 廊下に取り残されたノアールはしばらくその場から動けず佇んだ。

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