第10話 王の器

「お前が本当にやりたいことは何だ。お前はこの国をどうしたい?」


 その言葉を聞いた時、目の前の現実主義で合理的な男の表情がほんの少しだけ引き攣った。


「......そんなことを聞いて、どうなるっていうんです?」


「はっきり言ってこの国の現状はすこぶる悪い。だからこそ、お前がこれから何をしてどう変えて行きたいかが聞きたいんだ」


「......私が何かしたところで何も変わりませんよ」


「それでも、変えようとしなきゃならない。たとえ少しずつだとしても変えなきゃならないんだ。そうやってみんなが今よりも善く生きられる世界を作ろうとする人間が国を引っ張らなくちゃならないんだ」


 セイにふつりと苛立ちの色が見えた。それはここに来て彼が見せた初めての感情だった。空気がひりつくのを感じる。


「──500年です。500年、この国を治めてきた私が言うんです。この国は変わりませんよ。人というのは利己的で、余裕がある間は誰かの力になろうとするけれど、余裕が無くなるとどうにかして自分を生かそうと考える。そのためになら平気で人と争い、人を陥れる。人は争いたくなったら戦争だろうが虐殺だろうが行ってしまうんですよ。そしてこの国には余裕はない。だから変わることは無いんです」


「だったら余裕を作ってやればいい。生きるための資源を増やせるようにみんなで協力して働けば良い」


「協力することだって余裕から生まれるんです。何かをみんなで生み出したところで誰か一人でもそれを奪ったら水の泡になる。ならば、誰も協力なんてしないでしょう」


「協力することが一人一人が奪い合うよりも大きな価値を生むということを伝えてやればいい。そうすればその言葉を理解した人間が必ずついて来てくれるはずだ」


 セイの語気が少しずつ荒くなるのを感じていた。苛立ちはいつの間にか怒りに変わっていた。セイの口から漏れた言葉には長い年月をかけて積もりに積もった思いが込められていた。


「あなたは無責任だ」


 セイがキッとダクを睨む。ダクはその鋭い目つきを両眼で見つめ返す。


「あなたは自分で自分の行動の責任を取ったことが無いからそんなことが言えるんですよ。理想論を掲げて平気で人を振り回す。そんな身勝手さがどれだけの人を振り回してきたと思っているんですか?」


 矢継ぎ早に言葉を投げかける。

 ダクは自分が眠っていた500年に思いを馳せる。きっと、セイはその間に様々なことを経験したのだろう。沢山の人間に裏切られたのかもしれない。もしも死ぬ間際にセイに祝福を与えなかったら、彼はこんな苦労を背負わなくてもよかったのかもしれない。様々な苦労の中で彼は理想論ではなく現実しか見られなくなったのかもしれない。

 それでも――


「それでも、理想論を掲げ続けろ。人の行く先を示し続けろ。それが王様だ」


 ダクの目には理想が映っていた。セイの目からは失われてしまったそれが。

 あまりにも眩しすぎるそれがセイの目にどう映っていたかをダクは考えなかった。その考えなしで頑固で、あまりにも幼く見える考え方がセイにどう見えたか。

 セイはその眩しさから目を逸らすように顔をそむけた。


「その男を捕らえろ」


「セイ!」


 セイは顔も見ずに指近衛にそう告げる。槍を持った若い男はその声がかかるのを待っていたと言わんばかりにダクにとびかかる。指近衛の魔の手から逃れようとするも、彼の腕はダクが逃れようとしたその先にあった。ダクは羽交い絞めにされ、振りかぶった拳も男の体に届かない。


「あなたは昔からそうだ。いつでも僕の前に立って歩いてる。僕の顔なんて見もしないままそのまま前を行ってしまった。あなたが行った道から逸れても......それでもずっとあなたの影がどこか視線の先でちらついていて......」


 言葉にならないほどのか細い声。その姿はまるで昔の弱くて臆病な弟を見ているようだった。セイの体を纏っていた鎧のようなものが剥がれ落ち、僕という一人称と共に小さかった頃に戻っていく。


「あなたは――」


 ちらりとダクの方を向いた。その目は潤んでいた。


「僕に祝福を与えた時、一度でも僕を助けようと考えましたか?」


 ダクはハッとさせられた。あの時の光景がフラッシュバックする。


『良い王様になれ』


 そう言った時に、一度でもセイのことを考えただろうか。火の手が迫る中、セイのことを助けようとして祝福を授けたのだろうか。

 両手を背中の後ろで頭を地面に擦られながら自分がどれだけセイにたくさんのことを押し付けてきたのかを考える。逃げようともがく気力がなくなっていくのを感じていた。


「すまない」


 ダクの口から漏れたのは、ここに来てから一度も発されることのなかった謝罪の言葉だった。思えば、その言葉は一番最初に発されるべきものであった。そしてその言葉はセイの最後の王としての理性を決壊させた。


「だったら......あなたがやってよ、お兄ちゃん......」

 

 涙ながらに弟の口から発せられたそれを聞いて、ダクの脳内に稲妻が走る。ある人からここに来る前に言われた言葉が頭の中に浮かび上がる。


『お前がするべきことは二つ。俺たちが宝物庫を壊す間、指近衛と唯一王の注目を集めること。もう一つは俺たちのところまで戻ってくること』


 ここでダクが捕まれば、セイは王として裁くかどうか判断しなければならない。ダクを檻の中に閉じ込めて一生出られないようにしなければならない。他の反乱分子をそうしてきたように、彼もまた一人の反乱分子として裁かなければ、王という立場に立っていられなくなってしまうからである。そしてきっとセイはダクを裁くだろう。一時の気の迷いに惑わされることが出来るほど、セイは幼くあれないからである。

 ここで捕まれば何もすることが出来ない。その思考はダクの体を再び動かした。


「必ずまたここに戻ってくる」


 ダクは背筋に力を入れて頭を地面から数センチ離す。そして額に持影を集中させる。


「こいつ......まさかっ!?」


 若い男がダクの意図に気が付き、額と床の間に手を挟もうとするが、数瞬遅かった。


「おらぁぁぁぁぁアアアアアアアッ!!!!」


 ダクが額を勢いよく地面にぶつけた瞬間、持影が石畳の隙間をほとばしる。石から漏れる淡い黄金色を切り裂き、祝福によって形作られた床を粉々にした。粉々になった床は重力に逆らうことはできない。

 床に大穴が開き、体は空中に投げ出された。ダクと若い男は長い螺旋階段の吹き抜けを落ちる。ダクは混乱する若い男の腕を振りほどき、エミットの反動で薄れゆく意識の中、セイの顔を思い出す。強くあろうとした王の顔と、強くあれなかった弟の顔の両方が思い浮かんだ。


 地面に激突する寸前、太くたくましい腕に抱き留められた。その腕に助けられるのはこれで二回目だった。一度目は眼帯の男にエミットを放ったときである。


「よく戻って来たな」


 その声に安堵する。ちらりと出口の方を見ると、二人組の門番が倒れておりハタヤがこちらに向かってきていた。ダクの体がハタヤに引き渡される。

 若い男が地面に着地し体勢を立て直す。ドレイクは袖をまくりながら出口に立ち塞がるように仁王立ちした。


「三分間だ。どうにかして時間を稼ぐ。その間にダクを連れて宝物庫を破壊しろ」


「逃がすか! 今、ここで息の根を止める!」


 薄れる意識。遠ざかる距離。ダクは岩の棺桶に閉ざされようとしている中、その離れていく距離に不安を感じた。

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