第4話 持影制御

 暗くてだだっ広くてほとんど何も無い部屋。あるのは折りたたまれた布団の束と、常温で保存できる食料がほんの少し。

 教会の奥にあるその部屋は通称、物置小屋と呼ばれている。そしてダクがこの部屋を使うようになって、はや三日が過ぎようとしていた。

 ダクは座禅を組みながら手のひらの上に乗せた紙に意識を集中させる。紙の端がチリチリと黒く変色する。手のひらに力を入れて呪いをまとわせようとするが少しでも力加減を間違えると――


「あっ!」


 紙が完全に炭化し、細かい破片になって隙間風にさらわれてゆく。

 どっと体中から力が抜けて冷えた石の床に四肢を投げ出す。


「またダメか......」


 三日もこんなことを続けている。焦燥感がダクの胸を満たす。

 無機質な暗い天井を見ながらダクはここに最初に入った時に言われたハタヤの言葉を思い出していた。



「君にはここでアーマーとエミットの修業をしてもらうよ」


 そう言いながらハタヤが取り出したのはもう使い古された手のひらサイズの紙きれの束だった。そしてもう一つポケットから黄金色こがねいろに淡く光る石のようなものを取り出した。


「アーマーは紙で特訓してもらう。上手く呪いをまとわせることが出来れば今さっきみたいに紙の裏だけが黒くなるはずだ。そしてエミットはこの石で特訓してもらう」


 石は淡く優しい光を放っていた。ダクはその光に既視感を覚えた。セイがあの燃える王城で手を握ってくれた時の光によく似ていた。


「この石はとある地方では『石神いしがみ』と呼ばれていてその地方で産出される特産品なんだけど、この石には祝福の力が宿っているんだ。普通、祝福や呪いを物にまとわせても時間が経てば元に戻る。けど、これはずっと祝福を宿したままなんだ。だからこうしても――」


 ハタヤは石をぎゅっと握りしめる。手から漏れ出る光が一瞬、風前の灯火のように限りなく小さくなった。しかしハタヤが拳を開くと徐々に明るさがよみがえり――


「元に戻る」


 柔らかな光は元の暖かさを取り戻していた。

 ハタヤはそう言ってダクの手のひらに石神と紙の束を預けた。


「その石神の光を完全に打ち消すためには少なくとも持影係数じえいけいすう-6より強い呪いを当てる必要がある。別に一時的に完全に消えたところでまた元に戻るんだけどね」


「持影係数?」


「発される持影じえいの量を定量的に表したものだよ。祝福ならプラスの値、呪いならマイナスの値を持つ。持影の量は意識的に抑えることは出来ても、際限なく出せるわけじゃない。出せる持影の最大値は呪いの種類をどれだけ持っているかによって決まる。仮に君が本当に十種全ての呪いを持ってるなら持影係数は-10まで出せるということになる」


 ハタヤは頑張って、と軽く肩を叩いて踵を返し、ひらひらと手を振りながら部屋から出ていく。

 ぽつりと一人残された質素な部屋の中でダクはその煌めく石を握りしめていた。あの日、手に渡された光を思い出すように。



 そして光を手に携えたまま3日が経過した。いまだに紙の裏だけを黒く染めることは出来ず、光は一度も途絶えたことが無い。

 エミットで発する持影を強くするごとにまたあの岩の中へと戻ってしまいそうな感覚がある。光を消さなければならないと思うと同時に、岩の中の唯一の希望だったあの光を消したくないと思ってしまう。


 不意に扉が開いた。寝転んでいた体を起こしその方向を見る。


「ドレイク団長......」


 ドレイクはダクを一瞥すると、腕まくりをし始めた。丸太のような太い腕が露わになる。何を始めるのだろうと思いながら、ダクは石を服のポケットにしまう。


「3時間だ。付き合ってやる」


 ドレイクは腰を落とし拳を握って肩口まで上げた。何かしらの格闘技を思わせるような構えだ。そして彼の瞳孔が開く。

 瞬間、凄まじく濃厚な呪いの持影が広い部屋を支配した。びりりと震えるようなプレッシャーにダクは跳ね起きて見様見真似で拳を構える。


「受けてみろ」


 低いトーンの声が耳に入り、気が付けば目の前に拳が迫っていた。警戒もむなしく避けられない。咄嗟に顔面を右腕でカバーする。

 拳が触れてやってきたのは、衝撃ではなく重い岩の枷。ドレイクは触れた瞬間に意図的に拳の勢いを殺していた。だから殴られる痛みこそないが、代わりにやってきた全身が動かなくなるような感覚にあの岩の棺桶を思い出す。立て続けに腹に拳が入るが動きが止まった体では守ることすら叶わない。完全に動きを止められたところに回し蹴りが入る。痛みと同時に床に倒れてしまう。


「呪いの攻撃は己が持つ持影を相手に移すのが要点だ。痛みで相手には勝てない」


 体が再び動くようになるまでに数秒。ドレイクはダクを見下ろしながら拳を握り直して起き上がるのを待っている。


「アーマーを使いこなせ。俺とお前の持影を繋げろ」


 その言葉の意味が分からぬままダクが起き上がる。それと同時に頭に回し蹴りが迫っていた。咄嗟に腕を跳ね上げ顔を守り、腕に呪いをまとわせる。今度は先ほどの痛みを伴う回し蹴りと違い、腕に当たった瞬間にドレイクが蹴りをピタリと止める。触れた瞬間に感じた響くような重さは岩の棺桶を想起させた。すかさず回し蹴りした足をダクの胸元に当て、足の裏でゆっくりと押し倒す。ダクはなすすべもなく背中から転がってしまう。

 ドレイクはズボンの裾をまくりながら、話し始める。


「お前の呪いは油だ。呪いは形を変えられることをお前はまだ理解できていない。呪いは油であり、布であり、岩であり、空気である。アーマーは服だ。お前の鎧だ」


 起き上がりながら言われたことを反芻する。呪いは服であり鎧。

 体に呪いを流しガードする腕に強くまとわせて再度やって来た拳を呪いの鎧で受け止める。

 予想に反して鎧はドレイクのエミットを受け止めなかった。まとわせた呪いに波紋がなびいてダクの芯まで届く。体が重くなり、また床に転がされる。


「違う。呪いを流すな。鎧は叩かれて形を変えたりしない」


 両手を顔の前でクロスさせて拳を握り、体の内から外へと呪いを生み出す。ダクは言われた言葉の意味を噛み砕く。


 呪いを流さず、呪いを腕にまとわりつかせる。

 違う。

 鎧は着るものだ。鎧は体から生えるものでも、体に塗るものでもない。液体にはならないし体にこびりつかない。きちんと決まった形がある。

 カチッと、ダクの頭の中で、何かがはまる音がした。


 ぐっと拳を握り、腕の表面に呪いを形作る。それは鎧の籠手こてのように硬くて強い呪い。これまでのうねってまとわりつく油のような呪いではない。

 呪いを着る。


 ドレイクから放たれた拳を両腕で受け止める。ミシッと肌が軋むような感覚と共に、やって来るドレイクの呪いが肌の表面を伝って背中に逸れる。体は重たくならなかった。そのまま二撃、三撃と立て続けに受け流す。


「少し、つかめたような気がします」


「意外に早かったな」


 ドレイクはニヤリと笑った。


 そこからは飛ぶように時間が過ぎた。

 終始無言の世界。拳を交わすだけでお互いに考えていることが分かるからこその無言。バチィッと弾ける打撃の音だけが部屋に木霊する。

 社交ダンスのように足取りを合わせ、ジャズのスキャットのように拳の音を重ねる。思考よりも速く呪いの波動が意図を伝え、筋肉が収縮と弛緩を繰り返す。

 ドレイクとダクの呪いが一つになり、互いの体を行き来する。

 呪いと呪いをつなげる。ドレイクが言ったその言葉の意味を理解する。


 一体どれほどの時間が経っただろうか。持影から漏れ出る呪いの波動を無意識に感じられるようになったころだった。

 ゆらり、とドレイクの呪いの動きに一匙の違和感が生じた。頭と勘の指し示す方向が食い違い、数瞬の淀みが生まれた。


「まだまだだな」


 咄嗟にドレイクの手刀を腕で受け流す。あまりにも軽い衝撃にこの攻撃がフェイクであることを感じ取り、同時に腹部で衝撃を感じた。もう一つの拳が腹に当たっていた。しかしその腕は呪いはまとっていなかった。純粋な痛みにダクは自分がすっかり思い上がっていたことに気づかされる。

 地面に膝を突きながら腹部に当てられた拳を見ると、その指には紙切れが挟まれていた。


「3時間だ」


 そう言いながら紙を手渡される。その紙はダクに押し当てられた側だけが黒く炭化していた。


「アーマーの方は及第点だが、エミットの方はまだまだだな」


 ダクはポケットに入れていた石を取り出した。石は煌々と輝いており、その揺らめきは戦う以前のそれとほぼ同じであった。ダクはもしかしたらという儚い希望が崩れ去ったことに落胆する。


「まだ弟と戦うことをためらっているのか」


 その言葉にドキリと心臓が跳ねた。


「自分が何をしたいのか、今一度考えておくことだな」


 そう言ってドレイクは部屋を出て行った。ダクはまたもその部屋に一人残され、かつて希望をくれたその光を見つめ続けるのだった。

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