第293話 小説とエッセイや創作論を読む時の、作品への距離感って違いますか?
小説とエッセイや創作論を読む時の、作品への距離感って違いますか?
私、コメント欄で『エッセイや創作論で書き手が自分の心情を吐露するのと、小説本編の後書きで書き手が自分の心情を吐露することの違いがわからない』的な記載を読ませていただき、ちょっと考えてみました。(コメントの意図と違っていたらごめんなさい!!)
私は小説を読む時は、作品との距離感がものすごく近いのです。
大好きな小説は『自分が主人公になったような気持ちで』小説の世界観に入り、それなりに面白い小説は『自分が主人公を見ている神的な視線』か『自分が主人公の友達』のように感じて、楽しく読んでいます。
エッセイや創作論は、書き手の方の思想や心情に触れる目的で、自分が知りたいことを知れたらいいなあと思いながら読みます。
エッセイや創作論の場合、私と作品の距離は、小説よりも遠いです。
著作権の問題はさておき(小説の著作権は書き手の方にあると理解しています)心情として、小説を読む時、夢中になって読んでいる場合は『これは私が読むためにある物語だ』という感じがします。
ものすごく面白いフリーゲームや同人ゲームをプレイしている時もそうなんですけど。
エッセイや創作論が、書き手の方の都合で取り下げられても、私は『読んでいたのに残念だなあ』程度にしか思わないし、もしかしたら取り下げ自体に気づかないかもしれないんですけど、今自分が読んでいる小説については違うのです!!
「私、今、小説を読んでたのにー!! 続きはー!?」と思います。
そして、私は小説本編には、物語だけしかいらない派なのです。
ストーリーの途中で、後書きに書き手の方の『ポイントクレクレ』等が入っているのは、たとえば紙の本を読んでいて、ページをめくったら容赦なく『ファンレターください!!』的な言葉が目に入るようなものなのです。
SNS等で『ポイントクレクレ』をされても応援を要求していても全然気にならないのは『物語本編』と切り離されたところで行われていることだからだと思います。
カクヨム様でいえば『近況ノート』ですね。
私は、もう二度とカクヨムサイトで『続きは書籍で!!』をやられたくないので、以前よりいっそう注意して、近況ノート等でその書き手の方の傾向を見るようにしてるんですけど、小説本編で『ポイントクレクレ』をしないとか『続きは書籍で!!』をやらなさそうだと判断したら、あとはひたすら小説を読みます。
小説の更新が停滞したら、理由が気になって『近況ノート』をチェックすることはありますけど。
私、以前、カクヨム運営様に『近況ノート』のPV数もカクヨムリワードに反映させてほしいって要望を送ったんですけど、早く実装されないかなあ。
『近況ノート』だけ読んでいるというユーザーの方もいらっしゃるのでPV数がもったいないと思うのですー!!
異論は……認めます……!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます