第283話 温泉パークへようこそ!(終盤)

 吸血鬼の妖精ラナンシーは水面に仰向けになって、背泳ぎの要領で漂っていた。


 ここは温泉パークにある『流れる温泉』こと渓流露天風呂――全長一キロにも及ぶウォータースライダーで、常時温水が流れている上に、お湯そのものに生活魔術がかかっていることもあって、流れに身を任せるだけできれいさっぱり卵肌になることが出来る施設だ。


 所々に岩山の渓谷を削った影響で激流になっている箇所があるものの、岩山のふもとのプールほどの人工湖が幾つか点在するので、その湖畔で上がってもいいし、あるいはそこでまったりと浸かっていてもいいしで、必ずしもずっと流れ続ける必要はない。


 だが、ラナンシーはさっきから止まることなく流れ続けていた……


 これでもう三周目である。同じく流れっぱなしのシュペル・ヴァンディス侯爵がすでに十周目に入ったというから上には上がいるわけだが……何にしてもラナンシーは「はあ」と息をついて、渓流に身を委ねながらずっと夜空だけを見つめていた。


「何だか……ひどく疲れたなあ」


 やけに実感のこもった言葉が漏れる――


 というのも、つい先ほどまで温泉パークの入口付近にある更衣室にいたわけだが、危うく新たな女豹大戦が勃発するところだった。


 真祖カミラ、海竜ラハブに有翼ハーピー族の女王オキュペテーが三つ巴となって向き合ったので、さすがにラナンシーでは如何ともし難く、「あわわ」と慌てふためくしかなかった――


「鳥が水浴びならともかく、温泉だなんて珍しいものね。もしかしたら凶兆なんじゃないかしら?」


 と、真祖カミラがオキュペテーにやや棘のある口調で言うと、


「珍しくはないですよ。それよりも其方そなたの着ているものはいったい何なのです? 恥ずかしいという概念を忘れたのかえ?」

「嫌だわあ。いつも真っ裸みたいな格好している貴女に言われたくない台詞よね。そう思わない、ラハブ?」


 急に話を振られた海竜ラハブだったが、あたふたと自身の姿に視線を落とすと、


「え? あ、はい。そうですね……もまあ似たような格好ですが……」

「そんなこと気にしなくていいのよ。ラハブは可愛いんだから。それよりもラハブって、『世界三大美女』の第二位だったかしら? たしか、そこにいるの親玉なんかよりも、人族の基準では美しいとされているのよね。ねえ?」


 そんな真祖カミラの挑発的な物言いのせいで、更衣室の気温はさらに十度くらい下がった。魔女のモタに負けず劣らず、カミラも大概にトラブルメーカーである。


 それはさておき、話を振られた海竜ラハブだったが、これまたいつもの傍若無人ぶりはどこへやら、「あ、ははは」と下手な愛想笑いを浮かべるしかなかった。再度、ラナンシーへと視線をやって、「どうにかしてくれ」とフォローを求める始末だ。


 実力的にはカミラやオキュペテーの方がラハブよりも強い上に、古くから女王・・然としてきたこともあって、あくまでもたるラハブにとって二人はいわゆる目の上のたんこぶだ。


「へえ。あてよりも、この海蜥蜴・・の方が美しいと。やはり人族は見る目がないのですなあ」


 すると、オキュペテーは口もとを緩めて、人族のカミラを見下すかのように言った。


 もちろん、言われっぱなしの海竜ラハブでもない。やっとスイッチが入ったのか、キっと険しい目つきになると、オキュペテーを睨みつけて言った。


「まあ、鳥は食べ方も、泳ぎ方も汚い生き物ですから仕方ありませんよね。正直なところ、さっさと大陸の果ての果ての最果ての森の奥の奥の最奥に帰ってもらいたいものです。ねえ、カミラ様?」

「本当よ。勝手に私の城にいついちゃって困るわ。鳥かごの中で囀っているぐらいがちょうどいいのよ」


 すでに第六魔王国はセロのものになっていることは棚に上げて、真祖カミラもさらに口撃した。


 これにはさすがにオキュペテーもかちんときたのか、頬をひくひくとさせたわけだが、さすがに二対一では分が悪い。


 そういえばもう二人ほどいたはずだが……と、オキュペテーが左右にちらりと視線をやると、女司祭のアネストがにこにこした様子で三人の口喧嘩を見守っていた――


 体格スタイル的にも、貫禄的にも、これまあかなりの大物だなと、オキュペテーですらわずかに後退あとずさったわけだが……さっきまで人族を散々蔑んでいたこともあって、こちらの援護は期待出来まい。


 もう一人はというと、よりにもよって真祖カミラの娘のラナンシーだ。これにはオキュペテーも「ちっ」とこれみよがしに舌打ちしてみせた。ラナンシーは可哀そうに、さらにばつの悪い顔つきになる。


 とはいえ、数的不利を打開する為にも、とりあえずオキュペテーは仕方なくアネストに話を振った。


人族という怪しげなやからの世迷言はともかく、本当の・・・人族から見てどうなのじゃ? あて、海蜥蜴、腐れ吸血鬼のいずれが美しいと感じるものどすえ?」


 ここで女司祭アネストが下手なことを言おうものなら、人族という括りで真祖カミラも口撃出来るし、そもそも人族は有翼ハーピー系に畏怖を持っていることをオキュペテーはよく知っていた。おそらく翼持ちの天族の影響なのだが……まあ、今のところはそんな些末なことはどうでもいい――


 何にしても、オキュペテーはカミラにちらりと視線をやって、不敵な笑みを浮かべてみせると、


「そら、答えてみせよ。人族の……聖職者よ」


 何やらけったいな後光がさっきからアネストに差していたので、これはきっと聖職者に違いないと看破したわけだが、そんな女司祭アネストはというと、両手を胸のあたりにやって組んで、天に誓ってから静かに語りだした。


「お三方にはそれぞれの美しさがございます。私にそれを審美することは出来かねます」


 いかにも優等生的な発言に、オキュペテーはこれまた「ちい」と舌打ちした。


 同様に、真祖カミラも「ふうん」と、また海竜ラハブもやれやれと、いかにもつまらなそうに見下した。ただ、ラナンシーは逆に「ほっ」と息をついた。聖職者にしてはまともな意見をいってくれて良かったと安堵したのだ。というのも、ラナンシーはまともじゃない聖職者をよくよく知っていたからだ。


 もっとも、そこはさすがにアネストにしても、伊達に王国の聖職者を務めていたわけではなかった――


「ただ、一番美しい人物……いえ、私にとって最も美しくも可愛らしいは、間違いなく、妹のクリーンです。これだけは譲れません!」


 流れるような音楽の旋律でもって、女司祭アネストはさらっと言い放った。


 当然、その場はしーんとなった。三つ巴になっていた真祖カミラも、海竜ラハブも、オキュペテーでさえも、この聖職者はそっち系のあれな人だったのか、とわずかに距離を置こうとしている……


 ちなみに、言うまでもないが、アネストはクリーンの実の姉ではない。


 大神殿の寄宿舎に入って神学校に通っていたときに、クリーンと姉妹スールの契りを結んだに過ぎない。


 姉が妹を導くように、先輩が後輩を厳しく育てるという環境だったので、それ以来、クリーンはアネストのことをお姉様と呼ぶし、逆にアネストも妹のように可愛がっている――


 つまり、二人はそんな関係なのであって、決してそっち系のあれなわけではない……多分。


 それはともかく、タイミングの悪い人というのはどこにでもいるわけで、そんな白々とした空気の中に、当のまともじゃない聖職者こと妹のクリーンがやって来た。女聖騎士キャトルも一緒だ。


 聖職者のくせしてカミラみたいなエロ下着を堂々と晒していたので、これまた大物が来たものだなと、オキュペテーはまたじりじりと後退ったわけだが、


「さて、そろそろ決着をつけるといたしましょうかえ?」

「あら、珍しく気が合うじゃない。私もいい加減、頃合いだと思っていたわ」

も退きません。ここはいざ尋常に勝負といきましょう!」


 すると、女司祭アネストがクリーンに話を振った――


「あらあら、うふふ。じゃあ、クリーンちゃん。審判をよろしくお願いするわね」

「え? いきなり何なのですか、アネストお姉様? 私は激流に落ちて、全身を打ちつける痛みを楽しみに来ただけなのですが……」


 そんなこんなで、これじゃあろくに審判なぞ出来やしないなと、真祖カミラも、海竜ラハブも、オキュペテーも、この場にていまだに一言も発していなかったラナンシーへと詰め寄った。


「「「さあ、誰が一番美しいの?」」」


 体のいい審判役を振られたわけだ……


「「「ねえ。どうなの、ラナンシー?」」」


 この圧にはさすがにラナンシーもぺたりと尻ごみしてしまったわけだが――


「さっきから入口付近で騒がしいと思ったら、いったい何なのだ、これは?」


 そこに颯爽とルーシー、夢魔サキュバスのリリンに人造人間フランケンシュタインエメスやドルイドのヌフまでやって来た。


 また、モタ、ドゥやディンに加えて、元エルフのシエンもいたので、入口広間が一気に華やいだ。


 そんなタイミングで、さらに反対側からもセロを始めたとした男性陣がやって来て、さっきまでの騒ぎがちょっとしたお祭りみたいになった。


 ラナンシーはというと、目ざとくセロの姿を見つけて、すぐさま言い放った――


「ここはセロ様に審美していただいては如何でしょうか? あたいではさすがに力不足です!」


 見事な責任転嫁だったが、効果は抜群だった。


「あら、私は構わないわよ」

「もちろん、も問題ありません」

「まあ、あてもいいわ。強い者が美しい者を定める。これこそ世の真理ですえ」

「ほら、クリーンちゃん。セロ様って元旦那様でしょう? 良かったわね。これは有利よ!」

「いえ、有利も何も全くもって話の脈絡が分からないのですが……そもそも私はコーナーギリギリの激流に身をぶつける為にここにきたのであって……」


 と、まあ、こんな状況をこっそりと抜け出して、ラナンシーはなるべく遠くに逃れたいと、全長一キロに及ぶ渓流露天風呂に一気につっこんでいったのだった――


 ……

 …………

 ……………………


「……はあああ。こうして流されているだけって人生も……悪くはないなあ」


 まるでシュペル・ヴァンディス侯爵みたいに達観したことを呟いて、ラナンシーはしばらく流され続けていた。さすがに三週目とあって、すでにぷりっぷりの卵肌になっている。


 とはいえ、贅沢な時間の使い方も終わりが来るもので、ラナンシーは最後の激流に飲まれて、断崖絶壁から見事に落下すると、渓流露天風呂の始点にまたまた戻ってきた。


「ふう。四度目に行こうかな」


 と、ラナンシーが小さく息をつくと、夢魔のリリンが寄ってきた。


「見事に逃げてみせたな、ラナンシーよ」

「げっ……リリンの姉貴」

「げとは何だ。げとは? 結局、あれから散々だったんだぞ」

「ええと……どうなったんです?」

「セロ様のエンドレスのろけタイムだ。一時間もずっとルーシーお姉様への賛美を聞かされ続けた。おかげで離れるに離れられず……いや、お母様とヌフ殿だけは認識阻害でこっそりと消えていったみたいだが……何にしても今さっき解散したばかりだよ」

「本当にお疲れ様でした」


 ラナンシーがそう言って労うと、リリンはやれやれと肩をすくめてみせた。


「じゃあ、二人きりでお風呂を楽しもうか」

「ルーシーお姉様はどうなさったんです?」

「あんなのろけの後だ。今晩はセロ様とずっと一緒にいるそうだ」

「はあ。相変わらず熱々ですね」

「ちなみに、シエンも実姉のミルや元エルフの魔族たちとつるんでいる」

「じゃあ、本当に二人だけの姉妹水入らずというやつですか。というか、こうして二人きりというのも何だか久しぶりで悪くはないですね」


 すると、背後からふいに声がかかった。


「あら、二人だけなんて寂しいことにはしないわよ」


 認識阻害を解いたカミラはそう言って、リリンとラナンシーの肩に手を回してきた。


「「お母様!」」


 神出鬼没の母の登場に、二人とも驚いたわけだが、そのタイミングでどぼーんと遠くから派手な水音が上がった。どうやらクリーンが予告通りに断崖絶壁から落ちて、全身を打ちつけたらしい……


 すぐにキャトルが「待てー」と、予想通りに脱げてしまったクリーンの水着を追いかけて渓流に入っていったが、はてさてどうなることやら――


 何にせよ、ラナンシーは「ふ、はは」と笑いながら、今度は当て所なく流されることなく、母や姉と共にいようと、たまには末妹らしく甘えたのだった。

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