第95話 地上で蠢く者たち

 西の魔族領の最果て――いや、むしろ南西の島嶼国とうしょこくにほど近い海岸線にぽつんと建っている掘っ立て小屋で、


「はあ、はあ、はあ……」


 と、不死王リッチは息も絶え絶えに目を覚ました。


 ここはリッチが人族の研究者だった頃に過ごしていた家だ。


 当時はまだいにしえの大戦も起きておらず、湿地帯は広大な牧草地だったので、家畜の放牧によってこの地にいた人々は牧歌的に暮らしていた。


 だが、大戦時に邪竜ファフニールが暴れまわり、血を血で洗うような古戦場となって、その血によって湿地が出来たことで、亡者が大量に湧き上がるような環境になり果ててしまった。


 あれだけ日が燦々さんさんと降り注ぐ、緑豊かな土地だったはずなのに、今となってはどんよりとした分厚い雲に覆われて、太陽にすら嫌われてしまった不毛の大地だ。


 とはいえ、大戦を何とか生き延びたリッチはそんな変化をかえって喜んだ――


 そもそも、長閑のどかで開放的な人々に囲まれていながら、不死の研究などをしていた根暗な死霊専門の巴術士ネクロマンサーだ。


 明らかに周囲から浮いていたし、煙たがれてもいた。だからこそ、人の住まない亡者の土地になって、リッチは大いに研究にいそしんだ。それこそ研究材料は腐るほど・・・・転がっていた。


 そんな変わり者だったせいだろうか。死んだ後に第四魔王こと死神レトゥスに見出されて、リッチ自身が不死者になったのは皮肉以外の何物でもなかった。


 もっとも、不死性を得た喜びは長く続かなかった。霊界があまりにも過酷だったせいだ。


 リッチは研究もろくに出来やしない地下世界に辟易して、しばらくしてレトゥスから離反すると、地上に逃れてきた際にこの湿地帯を自らが治める魔族領として定めた。


 不死王を名乗りながらも、リッチは小心者だったので、いつ他の魔族に襲われるか、びくびくしながら過ごした。


 だが、いつまで経っても、誰も攻めて来なかった。ほとんどが湿地で亡者しか湧かない土地なので、ここを治めたいと望む者はいなかったし、さらには最弱の魔王リッチに相応しい領土とまで蔑まれたわけだが――


 結局、何てことはない。もともと、この不毛の大地はリッチにとって大切な故郷だったのだ。


 しかも、封印を施した生家の地下に、リッチの本体はずっと眠り続けてきた。


「ちい。早く逃れた方がいいな。どうやら奴らは本気のようだ。どちら・・・が仕掛けてきたのかは知らんが、しばらくは身を潜めて様子を見るべきか」


 リッチは起き上がると、「ふむん」と顎に手をやった。


 今、リッチを攻めてくるとしたら三つの勢力があった。あれだけ不毛だ、最弱だと言われて、無視され続けてきたことから考えると、魔族としては本来歓迎すべき状況ではあったが――


「いっそ第六魔王国にでも逃げ込もうか」


 リッチはそう呟いて、その可能性を検討し始めた。


 今回、第六魔王国が元勇者バーバルを仕向けてきたとは考えづらかった。先般、バーバルは第六魔王国を攻め立てたばかりだ。這々ほうほうの体で王国に戻ったと耳にしていたから、バーバルが第六魔王国の尖兵になるはずがない。


 となると、考えられるのは王国――宰相ゴーガンか、王女プリムのどちらかの勢力だ。


「アバドンの手下どもがわれを処分しようとしたか。それとも、やはり亡者を決して赦さない天――」


 そのときだ。


 小屋の扉を勝手に開けて、地下に下りて来る者がいた。宰相ゴーガンだ。


 リッチは頭を横に振った。敵にしてはまさに天晴だ。常に先手を打ってきて、拍手喝采したいほどだった。


 その宰相ゴーガンはというと、高慢そうな顔立ちに不遜な笑みを張り付けていた。いかにもここでリッチを処分する気満々といったふうだ。


 もちろん、リッチは知っていた。王国の内政と外交を一手に担うこの青年は――影から現王を操り人形のように支配する、第五魔王こと奈落王アバドンの配下、泥竜ピュトンが認識阻害で化けた姿だということを。


「なぜ、この家が分かったのですか?」


 リッチがため息混じりに尋ねると、宰相ゴーガンは以前のように女性の声音で答えた。


「百年もの間ずっと、ドルイドの認識阻害や封印について調べてきたのよ。貴方程度のお粗末な術式なんてとっくに見抜いていたわ」

「ということは、バーバルを仕向けたのも、やはり貴女でしょうか?」

「そうよ。駄犬からちょっとした猟犬程度にはなっていたかしら?」

「ええ。見事でしたよ。われは亡者の専門家ですが、生者をあそこまで短期間で強化する技術には目を見張ったほどです」

「まあ、古の技術については、実のところ、私は門外漢なのよ。あまり興味も持てなくてね」

「つまり、あくまでも貴女の役割は、封印について調べることだと?」

「その通りよ。おかげで、こうして貴方に引導を渡すことも出来るわけだし」


 リッチは「ふむん」と肯いた。少しは時間稼ぎがしたかった。


 だから、薄氷を踏む感覚ではあったが、宰相ゴーガンこと泥竜ピュトンにとって最も核心的な質問を繰り出した。


「全ては、アバドンの封印を解く為でしょうか?」


 その瞬間だ。


 手刀によって、リッチはまたもや首を飛ばされた。


 しかも、今度は本物の魔核を宰相ゴーガンにはっきりと握られていた。


「アバドンよ。たかだかリッチ如きが敬称を欠くなんて勘弁して・・・・ほしいわ」


 ゴーガンの目つきは狂信者のようだった。


 そして、泥のように爛れた左手で容赦なく魔核を握り潰した。こうして第七魔王こと不死王リッチは世界から退場したのだ。


「さて、第六魔王こと愚者セロという劇薬も見つかったことだし……高潔の勇者ノーブルとドルイドのヌフとの間に亀裂を入れて、今度こそアバドン様の御身をお助けしなくては」


 宰相ゴーガンはそう言って、みすぼらしい小屋を燃やしてから立ち去ったのだった。






 その夜、王国の王城の外れにある古塔――


 塔上の扉をこん、こん、と叩く音で、囚われていたバーバルもとい自己像幻視ドッペルゲンガーのアシエルはベッドから身を起こした。


「誰だ?」


 アシエルの誰何すいかに対して、黒服の神官が一人だけ入ってくる。


「アシエル様。今晩、脱獄していただきます」

「そうか。意外に早かったな」

「つきましては、アシエル様には王女プリム様に扮して頂きたく存じます」

「ほう。このままバーバルの姿で逃げるのではないのか?」

「はい。バーバル様については似た者を用意しております」

「しかし、王女プリムの予定などは把握しているのか? もし公務などで表に出ていたら、偽者だとバレるのではないか?」

「ご安心ください。プリム様は別途、エルフの森林群に赴かれております」

「森林群に?」


 アシエルはやや眉をひそめた。


 人族とエルフとはほとんど交流を持っていない。


 かつてはドワーフと共に三者間で協調し合っていたが、とある・・・出来事を契機にその関係性も失われてしまった。アシエルも大いに関わっていることだったので、当然ながらよく把握している。


 だから今では、『古の盟約』とかいうエルフ側の勝手な我儘で勇者パーティーに関わっているに過ぎない。もっとも、それがいったいどんな盟約だったのか――実のところ、王国側の人族もろくに覚えていないのが実情だ。


 そんな状況だったので、アシエルは不審そうに再度尋ねた。


「王女プリムは公務で赴いたというわけではないのだな?」

「はい。あくまでもお忍びです」

「その間、私に王女プリムになれと?」

「より正確には、バーバル様と共に駆け落ち・・・・して頂きたく存じます」

「…………」


 はてさて、第五魔王国の魔王代理ピュトンはいったいどんな脚本シナリオを用意したのか。


 アシエルは一抹の不安を覚えながらも、やれやれといったふうに肩をすくめると、得意の認識阻害によって一瞬で王女プリムの姿に変じて、黒服の神官について古塔の外に出たのだった。






「お義父様。今日こそ動いてもらいますよ」


 海竜ラハブは邪竜ファフニールの尻尾を揺すっていた。


 ここは南の魔族領こと第三魔王国だ。王国からは『竜の巣』を南に下って、険しい山々を超えた先に『天峰』がある。


 もっとも、そこに玉座はない。天まで届きそうな傾いた塔と、山の如く巨大な竜が一体、それに清楚な白いワンピースを纏った金髪の美しい女性がいるだけだ。


 その女性ことラハブがまるで駄々っ子のように、自身の体の何十倍もある邪竜の尾を手で引っ張っていた。


 だが、ファフニールは全くもって微動だにしない。


「とうに真祖トマトの解禁日は過ぎているのです。お義父様を招きもしないとは、第六魔王国は無礼千万。こてんぱんに叩きのめしてやりましょうよ」


 ラハブは「ふんす」と鼻息荒く、そう主張するも、やはりファフニールはぴくりともしなかった。


「真祖トマト? そうか。もうそんな時期になるのか」

「私がなぜ人族の姿になっているのか。お義父様ならよくよくご存じのはずです」

「ん? ああ……なぜだったか?」

「もう! 美味しいものをたらふく、たくさん、もりもりと食べる為です!」


 ラハブはそう言い切った。


 実際に、かつて近郊の貴族が産卵期の竜に人を食べるのを止めさせるようにと、料理人をわざわざ差し出してきたときも、ラハブだけが庇護して美食に舌鼓をうった。


 もっとも、その料理人も今はいない。竜たちに丸かじりされたわけではなく、天寿を全うしたのだ。最終的にはラハブを「竜姫様」と慕って、付き人のように振舞っていたほどだ。ラハブも「爺や」と呼んで、最期まで可愛がった。


「ふふ。そうか。食べる為か。いかにも義娘ラハブらしいな」

「でしょう! さあ、お義父様! 一緒に第六魔王国まで行きますよ!」


 ラハブは勢いよく言うも、いつの間にか、その周囲に幾人かの人族が集まっていた。


 料理人の子孫たちだ。ラハブが外遊すると聞いて、その者たちがドレスを合わせ始めたのだ。


 同時に、ラハブの兄たちもわらわらと集まって、いつの間にかお人形遊びみたいになって、ラハブを猫可愛がりしだしたものだから、結局のところ、またもや機先を制される格好となってしまった……


 こうして第三魔王国はいまだ大きく動くことなく、沈黙を貫いたのだった。






 大陸南東にある大森林――


 そこはエルフの管轄する森林群として知られている。


 亜人族のエルフは皆、見目がとても美しく、また気位も高いことから、他種族との交流をほとんど持たない。


 もっとも、かつては人族やドワーフと協調していた通り、他者を全く寄せ付けないというわけでもない。


 ただ、エルフにはこの大陸で最も優れた種族だという自負があった――『エルフ至上主義』だ。


 だから、たとえ人族の王侯貴族でも、また大切な客人であったとしても、この神聖なる森では誰に対しても敬する態度さえ見せないはずなのだが、


「ようこそお越しくださいました、王女プリム様」


 森の入口付近で二人のエルフの姉妹が王女プリムに跪いた。


「本日、お側に控えさせていただきます、ミルと申します。こちらはシエンです」

「よろしくお願い申し上げます、プリム様」

「ええ、よろしくね」

「では、こちらにお越しくださいませ」


 ミルとシエンという銀髪のエルフの姉妹の案内で王女プリムは森に入った。


 この森林群も迷いの森ほどではないが、各所に認識阻害や封印が掛けられていて、分け入る者を拒むようになっている。


 もっとも、転送の法術でも施されていたのか、王女プリムたちは数分もせずに森の奥にたどり着いた。そこは小高い丘になっていて、森の中だというのに天から程よく光が零れて落ちてくる。


 しかも、その最奥には霊験あらたかな巨竜の骨が鎮座ましましている――この森林群で最も神聖なる『エルフの丘』だ。


「これにて我々は失礼いたします」


 それほどの神聖な場所だからなのか。エルフの姉妹はすぐに退いていった。


 代わりに、小高い丘上の質素な木造りの椅子に一人の男性が座っていた。エルフの族長ことドスだ。


 おそらくこの大陸で最も美しい男性に違いない。元勇者バーバルや宰相ゴーガンと同じく、いかにも傲岸不遜な顔立ちなのだが、エルフの生来の美しさによって傲慢さが気品さへと程よく変じている。


 そんなドスが椅子から立ち上がると、意外なことに、王女プリムに席を譲った。


 慇懃無礼な仕草ではあったが、プリムを敬う姿勢は本物のようだ。さらに地に叩頭までしてみせる。


「ようこそお越しくださいました。王国の人形姫ことプリム様の気高さに我々エルフ一同も――」

「世辞はいいわ、ドス。ところで、貴方だけなのかしら?」


 そう告げたプリムの声音は可愛らしい王女のものとは思えなかった。


 まるで天から降臨したかのようだ。それほどに威圧的で、誇り高いはずのドスも一層、地に額を擦り付けた。


 が。


「ここにいるわよ」


 どこからともなく、別の女性の声がした。


 その声音にドスはついびくりと震えた。ドスでも気配すら察することが出来なかった。


 しかも、その女性はというと、王女プリムの真横でいかにも余裕綽々といったふうに、木造りの椅子に片手をもたらせて立っていた――


 ドスと比しても、美しさでは引けを取らない。いや、むしろ勝っているかもしれない。というか、美しいという言葉はまさにこの女性が存在したから生じたといっても過言ではないほどだ。


古い友人ファフニールに会ってきたから、この森の南側から勝手に入らせてもらったわ」


 その女性は申し訳なさそうにドスに微笑を寄越した。それだけで、ドスは危うく『魅了』にかかりかけた。精神異常を免れたのは、王女プリムがこう声をかけて阻んだからだ――


「さて、それでは始めるわ。各々、古の盟約に基づいて、奈落・・に関する報告をしてちょうだい」


 こうして世界は一時、奈落を中心に回っていくことになる。このとき、奈落の王アバドンは封じられつつも、その力を溜め込んで解放されるのをじっと待っていたのだった。

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