第74話 バーバルは同意する(勇者サイド:12)
王城から離れた塔上の一室にて、バーバルは悪夢にうなされていた。
その夢の中でバーバルは両腕をもがれ、まるでトマトでも握り潰すかのように頭部を砕かれた。そして、地に崩れるバーバルの死体のそばには凶悪な魔王がいた――セロだ。その目つきは舞台にそぐわない端役を蔑むかのように淀んでいた。
「頼む! もう勘弁してくれ、セロよ!」
そう叫ぶと同時、バーバルは目が覚めた。
上体を起こし、両手で頭を抱えて、しっかりと付いていることを確認する。そして、「はあ、はあ」と荒い呼吸を時間をかけて何とか整えてから、
「また同じ夢を見たのか……」
と、バーバルは下唇をギュっと噛みしめた。
さすがのバーバルも自らの過ちを認めないほど狭量ではなかった。それに冒険者時代からバーバルが強くなれたのも、今となってはセロが導いてくれたおかげなのだと理解していた。
「俺は……ただの脇役だ」
それなのに、バーバルはセロを押しのけて主役になれたと思い込んでしまった。
それがいったいいつからだったのか? セロの言う通りならば、聖剣を抜いた瞬間からだったのだろう。
あのとき、勇者になると同時に、たしかに体内のマナ経路を一気に駆け巡った熱き血潮にバーバルは興奮した。それがバーバルを狂わせていくとも知らずに――
「いっそ……この血が憎いよ」
百年前にノーブルが『高潔』の二つ名が与えられたように、バーバルも『熱血』に相応しいようにと、勇者として努力してきたつもりだった。
一方で、努力すればするほど、その熱き血潮がバーバルをしだいに蝕んでいった。バーバルの熱量はいつしか膨張して、結局、自己肥大化へと繋がった。
しかも、勇者とは魔王を討って、多くの人々を守るべき存在だというのに、最も近くにいる者をよりにもよって遠ざけてしまった……
「もう改めて謝罪することも……言葉を交わすこともないのだろうな……」
バーバルは項垂れるしかなかった。
あれからずっと、バーバルはこの狭い一室で孤独に苛まされ続けた――
勇者パーティーの仲間たちは一人としてバーバルを訪ねに来てはくれなかった。口づけを交わした聖女クリーンに手紙を出したが無視された。もちろん、婚約者の王女プリムとて言伝一つ寄越さなかった。
離れの古塔に蟄居とは言うが、これは無期の禁固刑だ。このまま老いるまで、バーバルは誰とも触れずに、この窓もない、隙間風さえ入ってこない、ベッドと便器しかない狭い部屋に閉じ込められ続ける。そのことを思うと、さすがのバーバルも気が滅入ってしまった。
「身から出た錆とは言うが……せめて死ぬまでに、セロやモタに会いたいものだよ……」
バーバルは自嘲気味に頬をひくつかせながら笑った。
そのときだ。
階段を上がってくる複数の足音にバーバルは「はっ」と気づいた。
その者たちは扉をノックするよりも先に、扉越しに淡々とした事務的な声をかけてくる。
「今、お時間をよろしいでしょうか、バーバル様?」
バーバルは落胆した。その声音に聞き覚えがあったからだ。
「返答なら以前と変わらんよ」
だが、入室の許可もなく勝手にドアが開かれると、数日前と同じく黒服の神官たちがぞろぞろと入ってきた。
相変わらずフードを目深に被っていて、正体がよくつかめない連中だ。何だかこの部屋で怪しい儀式でもしようかといった雰囲気さえある。さすがに人恋しいバーバルでも、そんな胡乱な様子に虫酸が走ったほどだ。
「どうしてもお答えは変わりませんか?」
その黒服たちの内の一人がゆっくりと進み出てきた。
若い青年のような声音ではあったが、よく聞くと認識阻害がかかっていて、所々が濁って、いかにも耳障りだった。もしかしたら、意外とバーバルの知っている人物なのかもしれない……
とはいえ、バーバルはそんな不審さに対して、「ふん」と鼻で笑うと、
「当然だ。所詮、俺は三流の役者でしかない。これが演劇ならば、舞台から退場するのが筋というものだ」
「残念ながら、ここは舞台などではありませんよ。現実です。それに仮に演劇だとしたら、かえって興味が湧きませんか?」
「何にだ?」
「
「ふん。どうせセロの当て馬にでもするつもりだろう?」
「今のまま蟄居しているのと、その当て馬になるのと、どちらの方がマシだとお思いですか?」
「…………」
バーバルは無言のまま黒服の神官を睨みつけた。
だが、その神官は気にする素振りも見せずに冷めた口調で言葉を続ける。
「光の司祭セロは魔王になりました。これから多くの人族を殺めて、王国を苦しめることになるでしょう」
「元勇者パーティーの同僚として、あるいは同郷の幼馴染として、それを止めてみせろとでも言うつもりか? はん。それこそ勘弁してくれ。前にも言ったが、俺ではセロに敵わんし、そもそも魔王と貴様らを比べて、はてさてどちらが怪しいかと聞かれたなら、まだ魔王を信じてやってもいいくらいだ。それほどに貴様らは胡散臭すぎる」
「やれやれ。我々の崇高な研究を理解されないとは哀しいものですね」
全く哀しそうな口ぶりでもなかったが、黒服の神官は一つだけ、「ふう」と息をつくと、さながら蛇が絡みつくようにバーバルに寄り添って囁いた。
「それでは最後にせめて、一つだけでもお願いを聞いていただけませんか?」
「くどい! 魔王セロを倒せというのなら――」
「違います。第七魔王こと不死王リッチを討ってほしいのです」
その言葉にバーバルはつい眉をひそめた。
同時に、胸の中が急に疼きだす。そもそも、バーバルは不死王リッチはおろか、その配下の不死将デュラハンにすら勝てなかったのだ。思えば、あのときの敗北からバーバルの凋落は始まった。
「これはむしろ、バーバル様が勇者としてやり残した仕事のはずですよ」
ねっとりと絡んでくる声音を、それでもバーバルは何とか振り払った。
「聖剣は……セロのもとに置いてきた」
「たしかに人族のままでは、聖剣に伝えられし
「結局は化け物になれという話か?」
「どう捉えるかは自由です。ただ、いかにバーバル様とて、そう簡単にはリッチに勝てますまい?」
黒服の神官はそう尋ねて、冷たい両手でバーバルの顔を掴んでから真っ直ぐ自身に視線を向けさせた。
「化け物になるのが嫌だというのならば、リッチを討った後にでも自害なさればいい。何でしたら我々の敵になるのでも、魔王セロのもとに駆けつけるでもいい。それは自由です。一度、力を得てみてから、この世界の
バーバルはギョっとした。
その黒服の神官はどういう訳か――王女プリムによく似ていたせいだ。
だが、プリム本人でないのはたしかだった。その者からはどこか魔族にも似た禍々しい
この者に比べれば、王女プリムは所詮、人形でしかなく、どこか超然として、いつまで経っても世間擦れしていなくて、今となっては不思議とバーバルは――その笑みも、可愛らしさも、ちょっとした仕草も、何もかも、なぜか思い出せなくなっていた……
いったい、自分は何と婚約していたのか。何と幾度も寝物語を語ったのか。そもそも、王女プリムとは何者なのか。バーバルは呆然と、その黒服の神官の両目をぼんやりと見つめるしかなかった。
「今、バーバル様の前に新たな舞台への片道切符がございます」
「俺に役者を辞めて、脚本でも書けと言いたいのか?」
「何でしたら、今度こそ自らが主役の物語に書き換えればよろしいのです」
「…………」
「その力を最弱のリッチでまず試してみては
バーバルは「ごくり」と唾を飲み込んでから、これまでの過去と悪夢を振り払うかのように、そのプリムとよく似た何者かと貪るような熱い口付けを交わした。
このとき、バーバルの肉体にはまた身を焦がすほどの血潮が
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