第62話 魔王城前温泉
「あつーい」
「……い」
「じゃあ、十まで数えたら出るよ。いい? ドゥ」
「うん。一、十」
ばしゃ、と温泉から飛び出るダークエルフの双子ことドゥを追いかけるようにして、
「待ちなさーい。ずるーい! もう一度数えなきゃダメー!」
というもう一方の双子ことディンの大声が聞こえてきたので、セロが魔王城の前庭に出ていくと、いつの間にか、
そういえばルーシーから要所に血溜まりがほしいとねだられていたっけ、とセロはふと思い出した。
血に関してはダークエルフの近衛長エークや人狼の執事アジーンのあれな性癖に頼らなくとも、ゴライアス様が幾らでも吐き出してくれているようなので今のところは全くもって困っていない。
ただ、畑ならば遠くにあるので気にはならないが、さすがに魔王城の前庭に血溜まり、それもそこそこ広いものがドドンとあると、セロとしては景観的に「うーん」と首を傾げざるを得ない……
「おお、セロよ。良いところに来た」
「どうしたのさ、ルーシー?」
「うむ。ためしにここに血の池を作ってみたら、熱をもってしまったのだ」
「ためしで血の池なんて作ってほしくはないんだけど……まあそれはともかく、溶岩の近くだからね。逆に、氷の断崖の方に作ったらキンキンに冷えるんじゃない?」
「ほう。冷製スープをこしらえるのによさそうだな」
「それはちょっと止めてほしい」
セロがルーシーを何とか説得している間に、ドゥとディンが人目も気にせず裸のまま、氷の断崖絶壁でいったん体を冷やしてから、再度、血の池に「わーい」と手を繋いで仲良く飛び込んでしまった。大丈夫なの? とセロが二人を見つめていると、
「気持ちいー!」
「いー!」
「やっぱ、あつーい!」
「あつい!」
ディンはともかく、ドゥまでもが珍しく大きな声を上げている。これは相当に気持ちが良い証拠だ。
早速、セロは血の池に片手を入れてみる。ちょうどいい温かさだ。いわば、これは温泉だ。見た目があれだけど、まあ赤湯だとでも思えばいいか……
「エメスはまだいる?」
セロは広間で剣をいじっていた
エメスの方もセロの意図をすぐに汲んだのだろう。どこからか瓶を用意して、温かくなった血反吐を入れると、それをごくりとテイスティングしてから、「ふむ」と肯いた。
「これは興味深い。畑にある血反吐とは異なる成分のようですね。鉄分が多いのは溶岩の影響でしょうか。いずれにしても、腰痛、関節痛、
「「「――――っ!」」」
直後、その場にいたルーシー、ディンに、ドルイドのヌフまでもが美肌というところで「はっ」とした。セロには何だか嫌な予感しかしなかった。
「セロよ」
「今度は何だい、ルーシー?」
「ここは魔王城のすぐ前だ。最大の防衛の
と、ルーシーがもっともらしいことを言ってくると、付き人でもあるディンが即座に同意した。
「ルーシー様のおっしゃる通りです。この魔王城を攻めてきた者たちだって、血溜まりのあまりの多さにきっと恐れ
「ドルイドとしても同意したいです。ドルイドの埋もれてしまって誰も使わなくなった秘中の秘の儀式の中に血を大量に使うものが多分きっとおそらくあったはずです」
「…………」
どうやら女性陣に押し切られて、すでにセロには拒否権などないようだ。
こうなるとすっかり現場監督が板に付いてきた近衛長エークの出番だ。温泉のことをどこから聞きつけたのか、エークは前庭までぶらりとやって来ると、
「なるほど。露天風呂にするにしても、最低限の柵、衝立に加えて、着替える建物もほしいと。ところでセロ様……疑問なのですが、ここは一応、魔王城の真ん前ですよね?」
「うん。そうだね」
「溶岩の坂があるとはいえ、敵襲があった場合、真っ先に攻めてこられる場所ですよね?」
「たしかにね」
「このような場所に露天風呂を作ってしまってもよろしいのでしょうか?」
「じゃあ、そこにいるルーシー、ディン、ヌフと、ついでにエメスも説得してくれるかな?」
「…………」
エークは天を仰いで観念しつつも、セロにこそっと耳打ちした。
「最初のお三方はまあ分かりますが、なぜにエメスが?」
「エメスだって女性だからね。美肌には気をつかっているんじゃないかな」
「美肌も何も……肌が所々縫ってあるじゃないですか。頭に釘が刺さっているじゃないですか。髪なんてぼさぼさですよ。今さら、本当に美肌なんて気にするんですか?」
「知らないよ。というか、僕に聞かないでよ」
ちなみに、セロたちの会話はヌフの間諜の魔術によってエメスにも筒抜けになっていたようで、当然のことながらエークは実験と称して半殺しにされて、そこにも血の池が出来てしまった。もっとも、こちらはあまり特殊な効能などがないらしく、女性陣からはひどく不評だ……
そんなエメスが急にセロへとまともな意見を言ってくる。
「たしかに防衛の観点から考えれば、女湯をここに建てるのは問題があります」
「だよね。何か解決策はないかな?」
「あります。溶岩坂の下に男湯も作ればいいのです。
セロが「ん?」と首を傾げると、
「男湯が攻められている間に女性陣は着替えて立て直すことが出来ます。そもそも男湯に最大戦力たるセロ様が入っていてくださるならば敵も殲滅可能ですし、女性陣はその雄姿を上からリラックスして見ていればいいだけです。一挙両得とはまさにこのことですね。
「…………」
とりあえず、セロの『
セロは初めての空中飛行を楽しんだが、ロケットに内蔵できる
それはさておき、溶岩坂下の立地を確認していると、エークがふいにこぼした。
「最近は『迷いの森』のダークエルフがトマト畑をよく手伝ってくれるのですが、もしここに温泉が出来れば、仕事終わりにちょうど休むことが出来ます。防衛拠点云々ということを脇に置いたとしても、施設を造るというのは意外と良い考えかもしれないですね」
「そうだね。それはそうと、いつの間にこんなにトマト畑が広がっていたのかな?」
セロは岩山のふもとから溶岩坂下まで伸びている畑を眺めた。もとのトマト畑の倍以上の広さになっている。
すると、畝間の塹壕を伝って、ヤモリたちが集まってきた。
「そうか。知らないうちに頑張ってくれていたんだ」
「キュイ!」
空にはコウモリたちもいるし、血溜まりにはイモリたちもいた。何なら、坂下の温泉についてはイモリたちに防衛をお願いしようかなとセロは思いついた。
もちろん、このときセロはまだ知らなかった――半ば冗談として提案された男性陣を犠牲にする防衛拠点たる男湯だったが、これが魔王城周辺における初の温泉要塞となって、進軍してきた王国軍をあっけなく殲滅してしまうことなど。
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