第45話(追補) 王女

 王国の民は王女プリムのことを人形姫と呼んだ――


 人形のように可愛らしく、また大人しく、少女時代に王国祭などで見せたあどけなさは吟遊詩人によって幾度も歌われることになった。


 白い花がよく似合うと、誕生日には王城の門前に献花の列が出来るほど親しまれた。いずれはただのお飾りの人形ではなく、美しい大人の女性へと花開くと、誰もが信じて疑わなかった……


 そんなプリムはというと、誰もが羨むような何一つとして不自由のない暮らしを王城で過ごした。


 実母が病気ですぐに亡くなってしまったことだけが不幸だったものの、継母は良くしてくれたし、父である現王はその分、娘に愛情を多くかけてくれた。


 年の離れた異母兄は四人もいたが、政争に全く絡まないプリムに対しては皆が目に入れても痛くないほどに甘やかしてくれた。普段はいがみ合っている兄たちが妹の前でだけ、争わずに仲良くしてくれることがプリムにとってはうれしかった。


 現王ですらそんな様子に冗談交じりで、「プリムを玉座に置いたら、継承者争いなど起きぬかもしれないな」と語ったほどだ。


 普通ならそんな軽率な発言だけで、プリムを嫉妬してつけ狙う勢力が出てくるものなのだが、兄たちは団結してプリムを守った。ドロドロとした醜い色に塗れた社交界に置くには、プリムはあまりに幼くて、真っ白に過ぎたからだ。


 こうしてプリムは王城の最奥に大切にしまわれて、純真無垢なまま育てられた。


 そう。結局のところ、王国民は王女プリムが成長しても、やはり人形姫と呼び続けることになった――


 手垢のついていないお人形のような、どこか世間知らずのお姫様。


 王国民の貧しさを知らず、生活の苦しみも分からず、魔物の怖さも経験せず、魔族はただの隣人でしかなく、何よりプリムが願えばほとんどのことは容易に叶う――この醜くも過酷な世界はプリムにとってただの箱庭でしかなかった。


 王城の玉座の間、現王の隣でプリムはにこにこと笑みを浮かべた。


 民の生活、魔物や魔族の討伐といった報告があっても、プリムには全く関係のないことだった。


 もっとも、転機は突然訪れた。


「お兄様がた、行ってらっしゃいませ」


 あるとき、王子たちが魔物討伐に赴くことになったのだ。


 バーバルがまだ聖剣を抜いておらず、勇者がいなかった時分には、王家こそが人族の守護者だった。王子たちは騎士団を率いて、魔物や魔族の退治をしに王領を回ったわけだ。


 そこで最も成果を上げた者が次の王となる。


 とてもシンプルだが、王家の血を存続させるには危険な制度でもあった。とはいえ、そうやって王家は数ある貴族たちと王国民の支持を受け続けてきた。


 もちろん、王子が魔王退治にいそしむことはないし、本当に危険な魔物や魔族は冒険者に依頼が流れるので、そういう意味では内情を知っている者にとっては出来レースでしかなかったわけだが……それでも、王子たちは汗を流して、しっかりと剣の道を生きた。民の声にも応えてきた。


 が。


「四王子ともに……魔物や魔族の手にかかり、ご逝去なさいました」


 そのとき、初めてプリムの箱庭に悪意のドス黒い色がぽとりと落ちた。


 まるで誰かが仕組んだかのようにして、王家は男子全員を一気に失ったのだ。現王はあまりの失意に自室にしばらくこもったが、プリムは喪服を着て、大神殿の祭壇にて静かに祈り続けた。


「――――」


 何を囁いているのか。


 誰にも聞き取れはしなかったが、それは良くしてくれた兄たちに対する冥福などではなかった。


 むしろ、その言葉は意外にもプリム自身に掛けられていた。この箱庭にこれ以上の汚れた色が紛れ込まないことを願い続けたのだ。


 欲をほとんど持たない人形姫の絶望は、それほどに浅く、また薄いものでしかなかった。


 だからこそ、逆に言うと救いやすくもあった。


 大神殿の祭壇でプリムが祈りを捧げていたときだ。ある日、そこに一条の光が降りてきた。


「これは……?」


 プリムが頭を上げると、その光の中にたしかに天族・・たる天使がいた。


「天使様――どうか私をお救いくださいませ」


 プリムがそう告げると、温かい光が全身を包んでいった。そのとき、プリムは初めて泣いた。


 箱庭の世界はその光と涙によって、さらに真っ白に輝いたようだった。


 運命の皮肉と言うべきだろうか――バーバルが大神殿で聖剣を抜いたのは、それからしばらく経ってからのことだ。四人の兄たちが注いでくれた無償のやさしさをプリムはバーバルにも強く求めることになる。


 同時に、プリムは自らにも課した。


 このような不幸を王国民に経験させない為にも、魔物や魔族は浄化しなくてはいけない、と。


 プリムは口の端をわずかに緩めた。


 それはまるで天使のように、この醜くも過酷な世界にはどこか馴染まない、色の全く付いていないような超然とした笑みだった。

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