第20話 地下牢獄

 一晩が過ぎて、セロは柩の中で目覚めた。


 隣には羊の悪魔バフォメットが添い寝していた。


「…………」


 セロはつい無言になった。


 そういえば――と思い出す。昨晩は人狼が新たな仲間になったことに興奮して、なかなか寝付けずに羊の数をかぞえてもらったんだっけ……


「さて、と」


 セロは小さく息をついて、距離にしてわずか数センチほどしか離れていないこの羊の悪魔をどうするべきかと思案していると、こん、こん、と柩の上蓋を叩く音が聞こえてきた。


「セロ様、おはようございます」


 ダークエルフの双子ことドゥだ。


 基本的には無口のままだが、挨拶や用事などではきちんと話をしてくれる。


 だから、セロが上蓋を外して起き上がると、同時に羊の悪魔も召喚もとに帰還したようだ。いったいどこに戻ったのだろうかと気にはなったが……とりあえずセロは寝間着から神官服に着替えてドゥに向き直った。


「おはよう、ドゥ」

「はい」


 すると、ドゥのそばで人狼たちがちょうど十人跪いていた。


 そんな人狼を代表して、執事服を纏った大男が渋い声で恭しく言った。


「おはようございます、セロ様」

「はい。おはようございます」

「昨晩は何かとありまして、正式にご挨拶が出来ませんでしたので、よろしければ、改めてここで手前てまえども一族を紹介させて頂いても構いませんでしょうか?」


 執事服の人狼はそう言ってきたので、セロは「どうぞ」と促した。


「まず、手前はアジーンと申します。この魔王城で長らく家宰をしておりました」


 巨体の男ことアジーンは簡単に挨拶を済ますと、背後にいた人狼のメイドたちを次々と紹介していった。もっとも、セロはすぐには覚えられず、とりあえずは主要な三人だけは間違えないように記憶に叩き込んだ。


 その三人とは――ドバー、トリーとチェトリエだ。


 ドバーはいかにも好戦的な雰囲気の人狼だが、掃除と洗濯。そして、トリーは抜け目なく獲物を狙うような冷静な人狼で、裁縫と修繕。最後に、チェトリエはいかにも母性的な雰囲気の人狼で、調理と仕入れ、さらにメイド長を担当しているとのこと。


 真祖カミラの代から長らく仕えてきたので、魔王城については詳しいらしい。実際に、昨晩はダークエルフがまだ確認出来ていなかった下水道などを伝って入って来たそうだ。


 裏山の洞窟以外で魔王城に侵入できるルートがあることを知らされて、セロは朝から呻ったが、もともとは魔王城が戦禍になったときに貴賓などを逃す為に使われていた地下道で、遠くの古井戸などに通じているらしい――


「その古井戸自体もダミーが幾つもありますし、地下道には罠も仕掛けられていますので、あまりお気になさらなくてもよろしいかと存じます」


 執事のアジーンがそう言ったので、セロは「じゃあ、いいか」といったん放置することにした。


 そんな執事やメイドたちに連れられて、朝食ということでセロは二階の広間にやって来た。まだ瓦礫などが隅に残ってはいるが、ロングテーブルと椅子はきちんとしたものが並んでいる。


 しかも、意外なことにルーシーがすでに座っていた。


 吸血鬼は活動的ではないと言っておきながら、ルーシーはセロよりもよほど規則的な生活を送っていそうだ。何ならこれから毎朝、『新しい朝が来た体操』を一緒にやろうかなとセロは思いついた。


 それはさておき、魔王城での初めての食事だ。


 セロは勇者パーティーにいたので王侯貴族との付き合いから晩餐に招かれることもあって、それなりに食事のマナーも学んできたわけだが、さすがに魔族とテーブルを共にしたことはない。


 いったい、朝からどんなものが出てくるのかと期待していたら――


「それでは、お召し上がりください」


 調理担当の母性的な人狼メイド長ことチェトリエが出してきたのは、『真祖トマト』だけだった。


「…………」


 王国のディナーではバナナ一本をナイフとフォークで小器用に切って食べたことのあるセロだったが、まさかトマトを丸々一つ、切り分けて食べることになるとは思ってもいなかった。


「――って、そうじゃなくて! トマトだけなの?」

「どうした、セロ。何か不満でもあるのか?」


 ルーシーがいかにも訝しげに問い返してきたので、セロはつい眉をひそめた。


 そもそもからして魔族の食事の実態が分からなかった。人族の貴族同様に朝昼晩と食べるのか、それとも村人みたいに朝にいっぱい、夜にスープだけなのか。まずはそこらへんから確認しないといけない……


「というわけで、魔族の食事について初歩的なところから聞きたいんだけど?」


 と、セロが尋ねると、ルーシーはわずかに頭を傾げた。


「逆に聞きたいのだが、セロよ。『呪い』によって人族から魔族に反転してからというもの、これまで空腹になったことはあったか?」


 そう問い返されて、セロは眉間に皺を寄せた。


 たしかにこちらに転送されて三日ほどが過ぎようとしているが、食べたものといえば畑でルーシーからもらったトマトだけだ。それなのにお腹が鳴ったことは一度もなかった。これはいかにもおかしい……


「つまり、これはいったい……どういうこと?」

「魔族は基本的に食事をしないのだ。体内のマナ経路が魔核に直接エネルギーを送り続けているからな」

「でも、ルーシーは主食がトマトだって言っていたじゃないか?」

「ふむ。ゆえに、食事をするのは一部の好事家に限られてくる。それに魔王はいずれ『万魔節サウィン』にて他の魔王と会食もする。食べる習慣は身につけておくべきだと、わらわは母上から教わった」


 ちなみに同じ魔族の人狼はもとの獣人の習性なのか生肉などを好んで食べるらしい。ただ、何も食べなくても問題ないそうだ。


 もちろん、ダークエルフは魔族ではなく、亜人族なので、今もドゥはセロの付き人ではあるものの、隣にちょこんと座って、真祖トマトを「おいちい」とかぶりついている。


 そんな初めて知らされる魔族の生態に驚きつつも、セロはとりあえず「ごちそうさま」をした。


 お腹は減らないとはいえ、トマト一つじゃ何だか物足りない気分だ。ルーシーの畑にはお土産や贈答用にトマト以外の野菜もたくさんあったので、あとでこっそりと調理でもしてみようかなと考えた。


 さて、食事を終えると、実のところセロにはやることが何もない。


 魔王城の修復はダークエルフ、ヤモリやコウモリたちに加えて、城のことに詳しい人狼まで加わって、着々と進んでいる。


 むしろ、このままドゥとディンに付き添われて前庭に出ていけば、今日もまた例によってのけ反りの苦行をやらされるわけで、ホールに出てからセロは一計を案じた。


「今日は、この魔王城を探索しようか」


 そう提案したのだ。


 昨晩、人狼が侵入してきたように、外の古井戸などに通じる道が他にあるかもしれない。新たに魔王城を預かることになったセロとしては、なるべく知らないことは減らしておきたい。


 そんなわけで、ルーシー、執事のアジーン、ダークエルフのドゥとディンを引き連れて、地下通路を探すことにした。ちなみに、ダークエルフのリーダーのエークは魔王城改修の現場監督なので連れてきていない。


 すると、ドゥが「む?」と早速首を傾げた。


 玄関ホールから上階に行く階段の裏に小部屋があって、その中にいかにも胡散臭い下り階段が認識阻害で隠されていたのだ。


「ねえ、ルーシー。この階段はどこに繋がっているのかな?」

「さあな。わらわは知らんぞ」


 ルーシーがそう答えて、執事のアジーンに視線をやった。


「こちらは地下牢獄に繋がっております」

「ほう。そんなものがあるとは妾も聞いたことがなかったぞ」

「はい。申し訳ございません。真祖カミラ様より口止めされておりました。そもそも、この牢獄は一度しか使われておりません」

「一度とな? いつ頃の話だ?」


 ルーシーが尋ねると、執事のアジーンはやや伏し目がちになった。


「ルーシー様が生まれるよりも遥か昔……さらに言うと、手前どもが真祖カミラ様に仕える以前の話と聞いております」

「そのわりには、この先から妙な気配が漂ってくるな」


 セロもそれを感じ取ったのか、階段を下りて地下牢獄のある通路まで来ると、慎重に周囲を見渡した。どこからか、ギ、ギ、という小さな擦過音が漏れてくる。


「アジーンよ。隠し立てはするな。この城はすでに母の物ではない。セロの物となったのだ。貴方もセロに仕えるというのなら、その身も、心も、そして知識も――全て捧げる覚悟をせよ」


 ルーシーにそう詰め寄られて、執事のアジーンはやっと思いを新たにしたようだ。


「では、百聞は一見に如かずと言います。こちらです。どうぞ、お越しください」


 執事アジーンは入り組んだ地下牢獄を先導して、広いホールのような場所に出た。


 そこでセロの目に入ったのは――


 邪悪な者を封じる巨大な魔法陣と、さながら落雷のように揺らめく幾つもの格子だった。


 その最奥に隔離されるかのようにして、ほとんど襤褸に近い白衣を纏った一人の女性が両手両足を鎖に繋がれて床に座している。


「そんな馬鹿な……」


 セロたちは言葉を失った。


 封じられていてもなお、その圧倒的な魔力マナが牢獄から漏れ出ていたせいだ。


 しばらくの間、ギ、ギ、という何かが擦れる音だけがその場を支配した。そんな濁った静寂を破るかのように執事のアジーンは語り出した――


「ルーシー様はご存じでしょうが、魔王を名乗るには幾つか条件がございます――先代の魔王を倒すか、その実力を認められて引き継ぐか、もしくは種族の頂きに立つか、土竜ゴライアス様のような超越種に認められるか。そのいずれかです」


 そこまで言って、執事アジーンはいったん「ふう」と息を吸うと、はっきりとこう続けた。


「真祖カミラ様はいにしえの大戦時に先代を倒したことによって、新たな第六魔王を名乗られました。ただ、正確には倒したわけではなかったのです」


 その事実に対して、ルーシーが声を荒げた。


「では、まさかこの状況……母はこの者を封じたということか?」

「はい。その通りでございます。あちらに御座おわすのが、元第六魔王、人造人間フランケンシュタインのエメス様なのです」

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