兄と私は似ていない

論より硝子

第1話

兄が私に似ていないのか、私が兄に似ていないのか、そんな幼稚な言葉遊びじみた言い回しはどうでも良くなるほどに、とにかく似ていない。

どれくらい似ていないのかといえば、ダイヤモンドと泥団子、或いはスマートフォンと黒電話ほど似ていない。

兄は痩身麗人だが、私はいつまでたってもカフカの毒虫みたいな醜い形状をしていて、それに引っ張られるように性格も卑屈で内気なナード野郎に成り下がっていた。

どうやら我が家では兄と私を比べるのをタブーとしているらしかった、と言うのも。ただの1度だって兄と比べられたことはないのだ。

比べることすらおこがましいと言外に言われているようで、それが私には辛かった。

兄と私を産んだ両親は、私たちを分け隔てなく愛していたはずだ。何一つとして生活に不自由さを感じたことは無い。けれども兄と私は違った。

兄は整った見目で誰もが認める好青年だったが、実の所、グツグツと煮えたぎるマグマみたいな物を持っている人だった。

だけれども、そのマグマを頭から被ることになるのはいつだって私だった。

外にいる時の兄は優しくて好きだった。いつだって私を守ってくれたし、ダメだなお前は、なんて言って困ったように笑いながら手を引いてくれる優しさすらあった。

その優しさが続くのはいつだって人前だけだった。

人の目につかない所に行くと、途端に私の手を放り出して家畜に躾をするみたいに私を蹴っ飛ばしていた。

プライドを傷つけられたり、癪に障ることがあったりすると決まって私の事を叩きながら目の前にはいない誰かさんに言い返していた。


まるで仮面を被っているみたいな変わらない笑みと、親の仇を前にしたかのような苛烈な私への態度は、私を萎縮させるには充分過ぎるほどに効果を発揮した。

兄と私で街中に繰り出した時の、兄の静謐な佇まいは幼少期から変わっていない。


兄が私に激情をぶつける時の、あの、死刑執行を待つような気持ち以上に私を恐怖させるものがあるとは思えない。

私はいつからか抵抗することを辞めていて、兄が来い、とただ一言言うと黙って兄の元に行くようになっていた。

今思うと、調教されていたのだと思う。今でも男性の低い声で、来い、と呼ばれるとパブロフの犬的に体が震えて心が冷えきってしまう。

兄は自分の元まで来て黙って震えている私を見るといつだって、酷く愉快そうに笑うのだ。


高校生になるまで私は、この関係性の歪さに気づいていなかった。兄は秘匿するのがうまかったから、両親とも私達のことを仲の良い兄妹だと信じて疑わなかったと思う。

私と兄は小中高と同じ学校に通っていたけれど、中学校も高等学校も同時に通うことはなかった、教師達は兄が卒業した次の年に入ってくる私を見て、口々に兄を褒めていた、学業は優秀、スポーツもできて、それでいて人望に篤い。絵に書いたような優等生だったと語るのだ。

高校のホームページには兄の写真がでかでかと貼られている。地元の新聞にも小さく兄が載っていた。

その写真から見る兄の柔和な笑顔や、真剣な表情は美しかった。私の知る兄の姿がなりを潜めているそれから見る兄は、直接関わる兄には感じえない愛着が湧くのだった。


私にも与えられる可能性があったであろう、あの容姿が私であることを望んでいた。兄が私であればと何度夢想したかわからない。


そのうち私は、優秀な兄とはうってかわって不出来な私、を演じることに執心するようになっていた。

コメディみたいに自らの醜悪さを明け透けに周りに見せ続けていれば、自分は不快な存在であるから、だからこそ醜いのだと言う救いを自分の心に持たせることが出来た。


一方で兄も、きっと形は違えど心を殺して生きてきたのだろうなと思う。ただ、兄は能力が認められていた。発揮する機会にも恵まれて、それを評価してくれる周囲にも恵まれていた。


兄はまだ私がクラスメイトと遊ぶことを許されていない時、適当な近くの公園に放置されて、兄は別の場所で友人と遊んでいた。

私はいつだって兄の傍にいるしか無いのに。


私は兄に終始無視されていて、私という重荷を降ろした兄はまるで空を自由に飛ぶ鳥みたいに遊んでいた。

それが少し、いや、とてつもなく羨ましかった。

私が高等学校に上がってから時間の許す限り遊び呆けていたのも、そういった制限されていた過去の逆張りなのかもしれない。


5時の鐘が鳴ってからの兄は、先程までの自由さはなりを潜めていて、どこか遠い所を見つめる兄の視線の先には、私が取って代わることの出来ない友人達がいた。

言外に邪魔者だと言われている様な兄の態度に耐えられなくて私は何度かそこから居なくなろうとした事がある。

年が三つも離れた兄に敵う道理もなくて、その数々は全て失敗に終わったのだけれども、その瞬間は私が必要とされているような気がして、酷く愉快だった。

その昔、私は手首にカミソリで真一文字を描いたことがある。私の中に流れている血潮が真一文字を縁どって手首を伝って床に垂れていた。私はこれ以上ない生の実感を噛み締めながら階段を一段一段登っていき兄の部屋を開けると、兄は勉強をしながら此方を一瞥した。

道端の石頃を見るような、或いは八日目の蝉を見るような視線に射抜かれて、私は俯いて部屋を後にした。

その夜は手首と胸がナイフが突き立てられたみたいな鋭い痛みを発していて、それに耐えながら朝露をカーテンの隙間に感じながらただ只管に目を瞑っていた。

何を馬鹿なことをしてしまったのだろうという不気味なまでの不安と、兄の何も移さない目が、脳裏に、油汚れみたいにへばりついていた。陰鬱だった。情けなかった。


私は兄の気を引きたいだけだったのか、それとも家族であることを辞めたかったのだろうか。今となってはそれもよく分からない。

次の日、私は母の悲鳴で目が覚めた、何事だろうと目を擦ると、目の前に母がいた。

どうやら、悲鳴の原因は私であるらしかった。

少しばかり天然の入った母だったが、私が昨日にしたこの行為の意味はさすがに知っていたらしく、涙ながらに訳を聞かれた。


気づけば総てを話していた。比べられなくて辛かったこと、兄から受けていた仕打ち、自尊心を切り売りしながら生活していた学生生活のこと。

母は涙を流したまま私を抱きしめると、しばらく其の儘私の背中を撫でていた。


その日の夜、珍しく家族全員が食卓に集合していた。

父が母から総てを聞いた時、父は拳を兄に向かって全力で振り抜いていた。その後、至近距離で雷が落ちたのかと思うくらいの大きな声で兄を叱り付け、それから私に対する謝罪をするように命じていた。

兄は蚊の鳴くようなか細くて震えた声でただ一言、ごめん、と言った。

それに対してなんて答えたかは覚えていない。いや、もしかしたら答えてすらいないのかもしれない。

けれどもとにかく、そこで総てが終わった。

兄の私に対して行ってきたそれらは私が人に対して強い恐怖心を覚えるようになるには充分過ぎるほどだった。

今まで張り詰めていた糸が切れた私は、今まで耐えれていた一切が耐えられなくなっていて、それを見た母が実家の祖母に引き取って貰えるよう掛け合ったらしく、そこから1ヶ月くらいして私は家を離れることになった。家から出る日、遂に兄と私は一言も喋ることなく、其の儘祖母に引き取られていった。

あれから1度も家に戻っていないし、連絡もとっていない。

結局、何を思ってこんな仕打ちをしたのか、兄の口から語られることは無かったし、未だに私は人が怖いけれど、あの日あの時、私を支配していた兄は蚊の鳴くような断末魔をあげて死んだのだ。

もう長いこと合っていない兄の顔はもはや朧気でよく思い出せない。

どうやら兄は、最近結婚したらしい。

父も母も酷く浮かれていたと祖母は語っていた。

両親を喜ばせる兄と、家族と一緒に暮らせなかった私。

やっぱり兄と私は全く似ていないなと思った。

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兄と私は似ていない 論より硝子 @ronyorisyouko

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