ゲーセンガールとオタク女子
虹星まいる
1クレジット:ミニキャッチャーに閉じ込められた推しのぬいぐるみが取れない
『エンジェルドリーム☆パレット』というソシャゲに出てくるルルム・ルル・ルルベージュ────通称ルルたんのぬいぐるみがゲームセンターの景品になるという情報は一か月前に仕入れていた。ルルたんに人生を捧げている私は、そのぬいぐるみを是が非でも入手したかった。
ゲームセンターなんて友達とプリクラを撮るときにしか行かないから詳細は分からないけど、どうやらルルたんのぬいぐるみはクレーンゲームで取れるらしい。
いよいよ景品として実装される今日は財布にきっかり5000円入れてきた。これだけあればクレーンゲーム未経験の私でも流石にルルたんのぬいぐるみを獲得できるだろう。
────そう思っていた時期が私にもありました。
「…………っ」
クレーンゲームを始めてからどれくらいの時間が経っただろう。クレーンを動かすための手が震えている。呼吸は浅く、ゲームセンターの中は空調が効いているというのに私は酷く汗ばんでいた。財布の中はほとんど空っぽで、残りの100円玉は一枚しかない。
私の推しは小さい筐体の中に囚われたままだった。ピンクのツインテールにふわふわドレスだけどお顔立ちはクールで凛々しいルルたんは二頭身にデフォルメされて寝そべっている。その体に私は三本のアームを突き刺し、掴み、引っ張り上げようとしてきた。
しかし、何度やってもルルたんを獲得できない。不思議な力が働いているのではないかと疑いたくなるほど取れない。
最後の100円玉を使う前に、自動販売機で買った170円のジュースを一口呷る。炭酸が舌を刺激して、私は少しだけ正気に戻ることができた。
「すー……はー……」
深呼吸をして、最後の100円玉を筐体に投じる。
そこからはもう、指が覚えていた。
①のボタンでクレーンを横移動させる。
②のボタンでクレーンを奥に移動させる。
クレーンがゆるゆると降下していき、ルルタンの体を捕らえたところで③のボタンを押してアームを閉じる。
「おねがい……っ」
胸の前で両手を合わせて祈る。ここからは祈ることしかできない。
キュウンキュウンという聞きなれた効果音と共にクレーンが上昇を始める。三本のアームでガッシリ掴まれたルルたんはそのままクレーンで運ばれていく────ことなく、上昇中にアームの間を抜けて元の場所に落ちてしまった。
「…………」
言葉が出なかった。延べ4800円を注ぎこんで、私はボタンをポチポチ押していただけだった。
自己嫌悪と後悔だけが募る。
私はいったい、何をやっていたんだろう。4800円あれば何ができたんだろう。こんなことに散財した自分がゆるせなかった。
「────ねえ」
ぼんやりと虚ろな目でルルたんのぬいぐるみを見つめていると、後ろから声をかけられた。
おもむろに振り向くと、そこには前髪に紫色のメッシュを入れたオシャレなお姉さんが立っていた。黒いマスクをしているから判然としないけど、二十歳くらいだろうか。
「それ、もうやらないの?」
お姉さんが指さしたのはルルたんが閉じ込められたクレーンゲームの筐体だった。
「はい、もうやらないです」
「じゃあ、代わってくれる?」
「あ、すみません……」
この人もルルたんが欲しいんだ。私がいつまでも未練がましく突っ立っているから邪魔だったのだろう。私はペコペコ頭を下げながらそそくさとその場から立ち去る。
「…………」
でも、やっぱり気になって遠くからお姉さんのプレイを見守る。私のやり方が悪かっただけで、実は簡単にルルたんを獲得できるコツみたいなものがあるかもしれない。覗き見なんて趣味が悪いけど、こちとら五千円近く溶かしているのだ。ちょっとくらい攻略のヒントを貰ってもいいと思う。
お姉さんは100円玉を投入して、私と同じようにボタンで操作している。ゆるゆると降下したクレーンはガッチリとルルたんを掴み、やっぱり上昇の途中で放してしまう。
「そうだよね……」
なんだか居た堪れなくなってしまった。やっぱり攻略法なんてなかった。このままだと、お姉さんも私と同じ目に遭ってしまう。
私が悲嘆に暮れる一方、お姉さんは続けて100円玉を投入した。ボタンを押して、アームを動かして、ルルたんを掴む。でも、途中でルルたんは無情にも落とされてしまう────かと思いきや、そのまま獲得口まで運んでいった。
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった。だって、私が何度挑戦しても取れなかったルルたんがたったの二回で……。
私の声は自分で思っていたよりも大きかったようで、周りのお客さんの視線を一身に集めてしまう。かーっと顔のあたりが熱くなった。
お姉さんも獲得口からルルたんをつまみ上げると、こちらを振り返った。
覗き見がバレてしまった。急いで視線を逸らすけど、すでに手遅れだった。お姉さんはコツコツとヒールを鳴らしながら私の方へ向かって歩いてくる。そして────
「これ、いる?」
「へ?」
「さっき、たくさんお金入れてたでしょ。だから」
お姉さんはルルたんのぬいぐるみを私の方に差し出している。最初は意味が分からなかったけど、理解するにつれてじわじわと心の中に温かいものがこみあげてくる。
「いいんですか! ありがとうございます!」
私は深く頭を下げて両手でルルたんを受け取った。すごい、生のルルたんだ。私が大金を叩いても手に入れられなかったルルたんを颯爽と現れたお姉さんがプレゼントしてくれるなんて! 今日はなんていい日なんだろう!
私が目を輝かせていると、お姉さんは「ところで────」と口を開いた。
「そのピンクのぬいぐるみ、売ろうと思ってたのよね」
「……へ?」
「ゲームセンターの
「し、知らないです……」
「これ、見てほしいんだけど」
お姉さんはスマホの画面を私に差し向けた。赤や黄の原色が眩しいそれは、どうやらチラシのようだった。
【初週限定高額買取! プライズ ちょこっとうつぶせ ルルム・ルル・ルルベージュ 5500円】
端的に言うと、お姉さんが私に譲ったルルたんのぬいぐるみが5500円で買い取りされているという情報が載っていた。
「って、5500円!?」
「そう、けっこうなお値段するでしょ? 私にはよく分からないけど、あなたのような好事家は大金を出してでも欲しいと思うのでしょうね。だから店舗も高額で買い取りをしてくれるの」
お姉さんは淡々と、ビジネスライクな声音で続けた。
「そういうわけで私はキミに、このぬいぐるみを売りつけたいんだけど。キミは5500円を払えるかな」
「え……払えないです」
「それは残念」
お姉さんはひょいと私の手からルルたんを取り上げた。
じわりと目に涙が浮かんでくる。最初から、お姉さんは私にプレゼントするつもりじゃなかったんだ。お姉さんは「あげる」なんて一言も言ってないもんね。私の早とちりだ……。
お姉さんはルルたんと私を交互に見て、再び口を開く。
「ただ、私のお願いを聞いてくれるのであれば、このピンクをキミに譲ることもやぶさかではない」
「お願い……ですか?」
「私の仕事を手伝ってほしい。日雇いバイトだと思ってくれていいよ」
「でも、私まだ中学生でバイトとか学校の許可が無いとできないし……」
「大丈夫」
心配する私を他所に、お姉さんは悪戯っぽく笑って──マスクをしているから笑っているかどうかは定かじゃないけど、目元が笑っている──言った。
「報酬は、これでどうかな?」
お姉さんは指で挟んだルルたんをぴらぴらと見せびらかすように振った。
かくして、私はお姉さんの仕事を手伝うことになったのだった。
◆
姫宮ヒメノ、14歳。趣味はソシャゲとアニメ鑑賞。
お姉さんの車の助手席に乗った私は、そんな簡素な自己紹介をした。
「お姉さんの名前は何ですか?」
「サク。彩りが来ると書いてサク」
「ご年齢は?」
「それを聞いてどうするの?」
「どうもしませんけど」
「……今年で二十歳になった。一応、大学生」
大学生。仕事がどうとか言っていたからてっきり社会人だと思っていたけど、まだ学生らしい。
「サクさんのお仕事って何なんですか?」
「大雑把に言うと、転売ヤー」
「え!? 転売ヤーってニュースとかで見たことありますけど、サクさんって悪い人だったんですか?」
「良い人か悪い人かの二択なら、良い人ではないと思う。現に、女子中学生を誑かして仕事の手伝いをさせているし」
「確かに……!」
「ただ、普通の転売ヤーとは取り扱っている商品の毛色が違うから一概に悪いとまでは言えないかもしれないけど」
「商品?」
サクさんは「後ろに乗せてる」と言った。言われるままに後部座席の方を振り返ると、そこにはぬいぐるみと箱に入ったフィギュアが大量に積まれていた。
「これ全部商品なんですか? あ、『あいむす』の天雲夏南ちゃんのフィギュアもある!」
「欲しいのなら売ってあげる。600円ね」
「安い……のかな。これって全部、景品ですか?」
「そう。私が扱う商品はゲームセンターの景品」
喋って熱がこもったからか、サクさんはマスクを下ろしてそう言った。端正な横顔に見とれていると、サクさんはそのまま説明を続けた。
「200円で景品を獲って、600円で売る。そして、400円の利益を得る。これが私の仕事」
「へー…………それって転売なんですか? 転売とはちょっと違うような気がしますけど」
「正確には転売ではないけど、他人に説明する時は転売って用語を使った方が理解を促しやすいし、キャッチーだから」
「なるほど」
しかし、ゲームセンターで遊んでいるだけで儲けがあるって凄いことなのではないだろうか。
そこで私はふと思い至る。
「それじゃあ、ルルたんのぬいぐるみを獲ったのも最初から売る目的で?」
「ルルたんというのは、ピンクのぬいぐるみのこと?」
「えっ、公式の愛称すら知らないということは……」
「悪いけど、景品になっているキャラクターや作品のことは詳しくないの。相場は知っているけれど」
「はぇー……」
なんという歪んだ知識。サクさんにとってのルルたんは5500円以上でも以下でもないのだ。呆れ半分、関心半分でサクさんを見ていると、彼女はクスリと妖しい笑みを浮かべた。
「ルルたんとやらは人気なのね。たかがぬいぐるみで5500円なんて値段は早々つかないの。よほど需要が多いか、限定品じゃない限りはね」
「『エンパレ』の中ではルルたんが別格で人気なんですよ! 先月開催された人気投票でも圧倒的一位でした!」
「そうみたいね。他に同時リリースされた黒髪と青髪のぬいぐるみは1000円買い取りだもの」
「黒髪はレル・クローネくん、青髪はコード・クレイシアちゃんですね! それぞれルルたんと同じ魔法天使軍に所属しているメインキャラクターです!」
「ふうん」
サクさんは興味無さそうな返事をした。
いけない、自分の好きなものを早口で熱く語ってしまう悪癖が出てしまった。私は途端に恥ずかしくなってしまって、意味も無く口をパクパクさせてしまう。
気まずくなって外に視線を向けると、そこはもう私の知らない街だった。サクさんの運転で移動を始めてから二十分が経とうとしている。そういえば自己紹介と雑談をしていただけで、目的地とかバイトの内容とか全然聞いていない。
今更だけど、知らない人に付いて行っちゃってるんだよね私……。もしサクさんが悪い人で、このまま私を何処かに連れ去ろうとしているのなら今すぐに逃げ出さなければ手遅れになってしまう。いくらルルたんのためとはいえ、自分の身を危険にさらすようなことはしたくなかった。
私はサクさんを刺激しないように、これからのことを聞き出すことにした。
「サクさん。今どこに向かってるんですか」
「ゲーセン」
「……え?」
「ゲームセンターと言った方が伝わる?」
「いや、略称とかの問題じゃなくて。さっきゲームセンターにいたのに、また別のゲームセンターに行くんですか?」
「ええ。今日は近隣にあるゲーセンを全て回って、ルルたんを狩り尽くすつもり」
「狩り尽くすって……」
「転売は初動が大事なの。恐らく三日もしないうちに一般客や私の同業者によって在庫が全滅するでしょうね」
ゲームセンターって戦場なの?
「ええと、私はサクさんに付いて行って何をすればいいんですか? 後部座席の景品の整理とか?」
「アナタにはルルたんを獲ってもらう。ゲーセンには厄介なことに個数制限というものがあるから、その制限を突破するために頭数が必要なの」
「あー……」
サクさんの言ってることがなんとなく分かった。
これから向かうゲームセンターにルルたんがいるのだろう。そこで、サクさんがルルたんのぬいぐるみを一つゲットしたとする。普通なら個数制限があるからそれ以上ルルたんを狙うことはできないけど、私もルルたんをゲットできれば一店舗当たりの利益が単純計算で二倍になる。
ただ、それは捕らぬ狸の皮算用というか。
「私、クレーンゲーム下手ですよ? さっきも5000円近く使って全然ダメだったし」
「心配しなくて大丈夫。コツは私が手取り足取り教えてあげるから。それに、さっきの筐体は────」
サクさんは何かを言いかけてやめた。
「着いたよ」
サクさんの言葉通り、私たちは次なる戦場に辿り着いた。
私にルルたんが獲れるのかな……。
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