第2話
その日も佐野さん(29)は仕事終わりに日課であるパチンコ屋に足を運んでいた。
少しウェーブの掛かった長めの黒髪に恐らく量販店で買ったと思われる細身のスーツ。
液晶モニターを見つめる視線は真剣そのもので、彼のシャープな印象を更に引き立てていた。
…ここがパチンコ屋でなければ、と注釈付きではあるのだが。
さて、前置きはこの辺で終わりにして今大事なポイントは、仕事終わりにという点だ。
佐野さんは、確かに世間的に見ればパチンカスともパチンコ中毒とも呼べる人種ではあるのだがちゃんと働いているし、借金もないのだ。
…まあ、だからといって貯金も全く無いのだが。
因みに彼女もいない。
しかしこれは別にモテないのでは無く彼女が出来たとしても、負けが込み始めると交通ICカードの払い戻し金500円で食費を繋ぐ程パチンコファーストな生活の為に毎回愛想を尽かされてしまうということが原因なのであった。
もうここ数年はそんな独り身の寂しさも気にならなくなってきたとか。
それが強がりなのか、現実逃避なのかはわからないがギャンブルというものが業の深いものであることは間違いない。
そんな訳で佐野さんは、今日も今日とて飽きずに懲りずに最近新調したばかりの遮音性の高い高音質のイヤホンで音楽を聴き、時折りスマホを弄りながらパチンコを打ち続けるのだった。
そして音楽とパチンコに集中するあまり避難誘導を聞き逃し、気が付いた時には既に逃げられず火の粉に巻き込まれて呆気なくこの世を去ったのであった。
回想終わり。
※※※
「ゴホッ、ゴホッ、ゴッ、……あれ?煙くない?」
佐野さんは意識が覚醒した瞬間こそフラッシュバックのようなものを起こして咳き込んでいたが、直ぐに自分を取り巻く環境に劇的な変化が起こっていることに気がついた。
現在佐野さんは、うつ伏せの状態である。
最後に意識を手放した瞬間と同じ状態だ。
しかし、目に入ってきた床の色が現実感の湧かない程真っ白だったのだ。
いや、白というよりも色が無いという表現の方がしっくりくるのかもしれない。
その現実感のない床でもじっと眺めていると次第に落ち着きを取り戻してくる。
幾分か冷静さを取り戻した佐野さんは何かに気がついたのか、突然ハッとした表情を浮かべるとガバッと体勢を変えて仰向けになった。
そして、そっと呟くように言葉を溢した。
「知らない天井だ……」
まさかまさかの往年のネタである。
しかし、それも仕方のないことなのかもしれない。
佐野さんは、先程までパチンコ屋にいたのだ。
少しくらい魂がルフランしていてもそれは誰にも責められないことだった。
因みにルフランとはリフレインと同義語であり、繰り返すと言う意味の言葉である。
その言葉の意味が分かると毎日のようにパチンコ屋に出入りしている佐野さんと重なり、何だかそっと目を背けたくなるものがあるのは否定出来ない。
「…って、ふざけてる場合じゃないか」
そう言いながら、佐野さんはゆっくりと立ち上がり自分の身体の状態を確認し始める。
その表情は何かをやり遂げたかのように幾分満足気だ。
服装は前述の通り、仕事帰りなのでスーツである。
ざっと身体を捻りながら全身を確認してみたがスーツには火事による煤汚れみたいなものは見当たらないし、それに目につくような外傷も痛みもないようだ。
顔は鏡がないので確認出来ないかな?と思った佐野さんであったが、
「鏡、…いや、携帯で見ればいいのか。…んっ?…あれ?携帯は?それに鞄もない」
ポケットというポケットを全てひっくり返しみてが携帯は見つからなかった。
しかし、タバコとライターだけはあった。
こんな状況でもタバコのストックがあることで多少気持ちが落ち着く、ヘビースモーカーの佐野さんだった。
はてさて………
佐野さんは、改めて辺りを見渡してみる。
しかし、鞄が見つからないどころか物体として視認出来るものが何一つとして無かった。
只々、真っ白な空間が360度パノラマビューで広がっていた。
そして、何気なく自身の耳に触れた瞬間、ある一つの重大な事実に気が付き愕然とした表情を浮かべるのだった。
「イヤホン…、買ったばっかなのに。…結構奮発してフィット感も音質も最高だったのに…」
佐野さんは今は無き大切な何かを悼むように天を仰ぎ、そして己の耳にそっと手を当てて涙を堪えるのであった。
佐野さんの充実したライフスタイルには、パチンコとタバコと音楽が欠かせないのだ。
そのちょっとした音質の差が豊かな生活の活力となるのだとか。
「はぁ…、まあ、失くしちまったもんはしゃーねーか」
一通り気持ちが落ち込んだ後、佐野さんは改めて周辺を見渡す。
この不思議空間は、一体どういう類いのものなのかを少し真面目に考え始めたようだった。
「精神と時の部屋って、こんな感じなのかな?」
いや、考えてなかった。
人間余りにも予期せぬ出来事が起こると案外どうでもいいことを考えてしまうものらしい。
衝撃に対する自己防衛本能というものであろうか。
それにしても緩い感じは否めない。
「…フゥー、…てか、こんな状況でもタバコって美味いのな。マジでタバコを発明した人は天才だな」
そして徐にタバコに火を付け、まったりムードに突入した佐野さんであった。
しかし、そのタバコの火が中程まで差し掛かった時にある事に気がつく。
「あっ、灰皿ねーわ。…ここって、ポイ捨て有りかな?いや流石にこんな真っ白過ぎる綺麗な床にポイ捨て出来る程、俺のメンタルは図太くないんだけどなぁ」
吸い始めたはいいが灰皿が無いことに気が付いた佐野さんが、この真っ白な空間にポイ捨てするのは如何なものかと己の倫理観に問うていると横から携帯灰皿を差し出される。
「え?あっ、どうも、って、えっ?」
その差し出された腕の方向に目線を向けて佐野さんは絶句した。
何故ならそこにはいつの間にかサラサラの長い金髪に全体的に白を基調とした素材感の良さそうな服装をこれでもかとボディーラインを際立たせて着こなしている女神様っぽい人物が立っていたのだった。
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