アオカフェ(プロトタイプ)

@Taichi1113

第1章

第1話[EP.Winter 前編]

あき、私らと世界を変えないか』


同じクラスのおてんば生徒にそう言われたのを思い出す。


平凡でなんの個性もない俺にとって『人生の転換点はどこでしたか?』と問われれば、ほぼ間違いなく、この言葉を言われたその瞬間と答えるだろう。


当然だ。


あの時の、肌身で実感できるほどの高揚感。

自分の見ている世界が広がるような開放感。


忘れるわけがない。

焦がれるほどに焼き付いている。


同時にこうも思う。


ひどくいびつでくだらない、戯言のようで、まるで子どもがその場の思い付きでつくった夢のようだと言うのに。


なぜこれほど魅力的に映り、俺の心を燃やし続けるのだろう、と。


何かこの言葉には、俺を惹きつける不思議な力を感じられた。


だからこそ、訊かずにはいられなかった。


「それはどういう–––––」


・・・


「–––……」

気がつくと、意識は現実に引き戻されていた。

身体を起こし重いまぶたを擦りながら周りを見渡すが、西日が差し込む静かな教室には俺ひとり、橡秋つるばみあきだけが取り残されていた。


グラウンドの方から聴こえる部活動に励む活動的な声やホイッスルの音、吹奏楽部の演奏音、遠くから僅かに聴こえる生徒たちの笑い声、午後の日差しに照らされた黒板や机、今日の役目を終えた哀愁漂うこの教室。それらの要素はまるで、自分だけがこの時間に取り残されたのではないかと錯覚させる。


「あ、そういや時間」

スマホを開くと15時を過ぎていた。


LTライントークに通知が来ているのを確認し、画面を開くと

『コンビニ行ってから部室に向かうわ』

と連絡が来たので既読だけする。


するとピコンと景気のいい音がなり、さらに

『あと私の分のコーヒーも作っといて!』

と表示されて、『よろしくね!』と書かれた何かのキャラクターのスタンプが届く。


くしゃりと寝癖のついた黒髪をかきながら、意識を覚醒させるように教科書や筆入れを鞄に詰め込み、部室へ向かう支度を始めた。


・・・


扉の施錠を解き、中に入る。


元々は物置として使われていた教室で、使ってない机やら椅子やらが隅に置かれている。そして中央には机が4つあり、グループ活動する時のように向かい合わせで並べられていた。


荷物を置き、俺はコーヒーを淹れる準備を始める。この部室にはその道具が一通り揃っていた。


ポッドに水を入れ、お湯が沸騰するまで待つ。その間にペーパーフィルターと呼ばれる紙をドリッパーにセットし、コーヒー豆を必要量計り、ミルの中に放り込みゴリゴリと音を立てて挽く。

粉になった豆をフィルターにサァと流し入れ、熱々のお湯を注ぎ蒸らす。熱湯を注がれたコーヒー豆が化学反応で膨らんでいく様は見ていて面白い。


(この時間は意外と好きなんだよなぁ)


蒸らしの工程が終わると、さらにお湯を注いでいく。今回はLTライントークで頼まれたこともあり、2人分を作る。


「おーす秋。すまん、遅くなった」

扉が開くと同時に、悪びれることもなく堂々と不敵な表情で彼女、朱城陽あけしろはるはそう挨拶した。


モデルのような整ったスタイルと血色の良い顔付き、金色の瞳と腰まで伸びた金糸の髪は、男女問わず見る人の目を惹きつける。少しだけ着崩した制服とその下のスカートからすらりと伸びた脚は、細身ではあるが健康的な肉づきをしていた。


男勝りで自信たっぷりあるその性格は、最初に抱いた綺麗な人物という印象を打ち砕く。そのおかげもあるのか、他人との距離を急速に縮め校内でもかなり人気を誇っている。綺麗を通り越してカッコいいという印象から、特に男子生徒よりも女子生徒に人気があった。


「おう、陽。今コーヒーできたぞ」

「サンキュー。あ、秋、寝癖ついてるぞ」

陽が指差しながら言う。


「あ、本当だ。てか、授業終わった時に起こしてくれてもよかったんじゃないですかね」

「おいおい、そんな睨むなよ。ちゃんと起きたんだからいいだろ?」

「この目はデフォルトだよ」

「そうだな、いつも眠そうな顔してるわ。あ、チョコでも食うか?ここにあるぞ」


・・・


机には陽が買ってきたお菓子が沢山あり、ちょっとしたお茶会のようになっていた。


形の良い鼻をスンと鳴らしながら、湯気と香りを嗜みつつカップに口を付ける。

「あぁ〜いいねェ、熱々のコーヒーは。効くわ〜。カフェインが体中に染み渡る〜!」


「なんだそりゃ……厳密にはカフェインを摂取して身体中に行き渡る時間は約30分〜60分と言われている。そんなに早くはねぇよ」


「ほぉん…流石は歩く図書館、アキぺディア、生きる賢者モード。冴えてるわぁ」

「なんだよその悪口は…」


「そんなん細かいから周りから距離置かれるんだぜ?指摘系厄介オタクは嫌われっぞ」

「しょうがないだろ。俺には本を読むくらいのことしか取り柄がないんだから。知識は力なり、だよ」

「フランシス・ベーコン」

「…なんで分かるんだよ」


「それよかせっかくのコーヒーが冷めちまうぞ〜。さっ飲め飲め!」

言われるがまま、コーヒーをすする。


「イッキ!イッキ!」

「イッキはしねぇよ!」

落ち着いて飲めない、と思いつつカップを受け皿に戻すと、元々陽から聞きたかったことを尋ねる。


「俺たちは今年から2年になるわけだが、何か新しいこととか始めるのか?」

「うん、去年も色々あったが今年の一味ひとあじ違う。新1年生もいるわけだしな、勧誘しない手はないだろ?」

ニッと歯を見せながら、不敵な笑みを浮かべる。


そんな表情に、眼光をぶつける勢いで睨みつける。

「いや結局丸投げかよ!研究らしい研究もしてないし、部活っていうより、もはや相談室か同好会だよ」


「細かいことはノンノン。そりゃ目標みたいのはないことはないけど、今はとりあえず楽しけりゃいいんだよ。ブレインはブレインらしくコーヒー片手に本にでも齧り付いてなさい」

「人を本の虫みてぇに言うな。…否定はしないけど」

ため息を吐きながらコーヒーカップを持ち上げる。


「…で、その目標ってのはなんなんだ?」

「そんなの喫茶研究部を最高の部に成長させることだよ!」

「無理だろ」

「おいおい、諦めるの早すぎだろ。夢がないなぁ。…さては秋、お前クリスマス前日とかにちびっ子達に『サンタさんはね、いないんだよ』とか平気で教えまわってるだろ?」

「そんな罪深いことするか」


そんな呆れるこっちの様子を気にすることもなく、どんどん勝手に話を進めていく。

「ま、こちとら文化部で売ってるしな。できるやり方で爪痕は確実に残す。生徒会の奴らにもギャフンと言わせてやらんとな」

と自信満々に頷く。


どうやら部活の存在感を主張するために、学校行事等に深く関わる方針のようだ。

生徒会にも目を付けてるっぽいし、一体何と戦っているんだろうか?


そんな疑問を見透かしてなのか、陽はこっちを眺め見ながら言葉を発する。

「私はいつか、この世界を変えてみせる。んならこれくらいのことは変えてみせねぇとな」


陽は、初めて出会った頃から変わらない自信に満ちた笑顔でそう宣言した。


・・・


時は半年と数ヶ月ほど前に戻る。


「なぁ、それ何読んでんだ?」


教室内、特にやることもなく、ただ自分の席だけは取られぬよう机に陣取り黙々と読書する最中さなか

不意に声をかけられ、顔を上げればズイッと覗き込むように本と俺に興味を向ける金髪ロングヘアのクラスメイトがそこにいた。

視線が合い、本当に自分に声をかけているのだとこの時やっと気付いた。


「え、あーっと………健康に関する本……?」

とりあえず堅苦しいタイトルを言うよりは幾分マシな伝え方だと思い、同時にそう応える自分の言葉に疑問をおぼえつつも、彼女に本を手渡しながらそう言った。


「うわ〜字ぃ細かっ!……面白いのか?これ」

パラパラと景気良くめくりながら、分かりやすいリアクションを示す。


「…まぁタメになるし、日常生活に取り入れやすいから、参考にはなるんじゃない?俺はこういうの好きだよ」


「今までずっとこういうのばっか読んでたのか?」

「あー、まぁそうなるのかな?」


厳密にはそんなこともないのだが、いちいち説明するのも面倒なので、曖昧な返事になってしまったが、彼女はとくに気にする様子を見せなかった。


「なるほど、すげぇな。私は朱城陽、よろしくな!陽でいいぞ!……えっと橡〜『アキ』?『シュウ』?」


「最初ので合ってる。橡秋だ」

「オーケー、秋。お前面白いなぁ。気に入ったぜ」

ニヒヒッと白い歯を見せながら笑う。


すると陽の後ろから身長の高い男子生徒が現れる。

「おい陽。あんま邪魔するなよ」

「えー邪魔なんてしてねーよ。挨拶しただけだぜ?」


すると赤茶の髪色をした男子生徒はこちらに視線を向ける。

「ごめんな。コイツがうるさくて。読書の邪魔だったろ」

「いや、別に大丈夫だよ」


軽く型通りの会話を済ませたあと、陽に向き直り「ほら行くぞ」と引っ張るように連れて行く。


「また明日も声掛けるからな!なんかまた面白い話聞かしてくれよ!」

と言い残し、賑やかな輪の中へと戻っていった。


(……なんだったんだ)

そう疑問を残しつつも再び本の文字へと目を向ける。何かの気まぐれで話しかけただけかもしれないし、深く考える必要もないだろうとこの時は思った。


しかし予想は外れ、次の日もまた次の日も陽に話しかけられ、友達と呼べるほどに打ち解けるようになった。


よく読んだ本の話を俺が一方的にしているが、とくに嫌がることなく聞いてくれる。世の中、こんな変な奴もいるんだなと思いつつも少し嬉しかったりもした。


偶然の出会いから数日が経ち、喫茶店でコーヒーを飲みながら過ごしている最中、その時は訪れた。


「秋、お前はさ、つまらなくはなかったのか?」

「いきなりなんの話だ?」


「多分だけどさ、私があの時話しかけなかったら、今頃はクラスのぼっち一号のままになってたかもしんないじゃん。私らを含めた周りのクラスは、その時の秋にはどう見えてるのかなって」


言い方はともかくとして、陽が聞きたいことはなんとなく理解できた。たらればの話なので憶測でしか説明できないが、頭の中でその情景を映し出しシュミレートしてみる。


「…そうだな。退屈かどうかはともかく、やっぱり眩しく見えるな、とは思う」

「ほうほう……」

いつもより真面目に聞いているのか、真剣な眼差しをこちらに向けている。


「もしも、もう少しだけでも、明るい性格で生まれたなら、また違った景色が見えるんだろうなって思う」

「……なるほどな、それが秋の思うところか」


「まぁつっても仮に明るい性格で生まれたとして、その時の俺は本を読まなくなるだろうから、別に今の自分が嫌だとかはないよ」

「ふっ、そっちの方が秋らしい」

皮肉めいた表情を示したあと、白い陶器のカップを持ち、口を付ける。


「で、なんでそんな話を振ってきたんだよ」

陽は持っていたカップを受け皿に戻すと、いつもとは違った表情を見せる。子どもっぽいコロコロした顔ではなく、凛とした大人の女性のような妖しさと気品さを混ぜたような、そんな表情を。


「……私はさ、今の現状に不満があるんだ」

「それはどういう––」


言い終える前に陽は俺の方を指差す。

「お前みたいな、いいモノを持っている奴が周りに流されて平凡な人間になっていくのがさ。私はそんなの見ちゃいられないんだ」


「俺が?……別に俺は見ての通り特別な人間じゃないだろ。普通だよ」

「特別なことさ。私に持ってないモノをお前は持っている。私は秋みたいにずっと読書なんてできないしな」

「……そんなのが、特別……なことなのか?」


そう言うと、陽はジトリと睨みつけ、不機嫌そうにため息を吐く。

「もっと誇れよ。自己肯定が低いな、お前は。そういうところが、平凡な人間に成り下がってるって言ってんだよ」


んーそうだな、と虚空を見つめながら形の良い顎を指でなぞるように撫で、何かを考える素振りを見せる。


「例えば、他の教科の成績が悪いがひとつだけ突出した好成績を持った一点特化のスペシャリスト型の生徒と、かたや平均的な成績を持ったオールラウンダー型の生徒。学校側からすれば後者の方が優秀な生徒と見なす傾向にあるだろ?」


「ま、そうだろうな」

学校側が生徒に求めているモノは、規律さ、真面目さ、従順さ、一方で生徒の情熱や専門的なスキルや能力は二の次だというのは、薄々秋も感じていた。

どうあれ、学校とはルールを重んじる。


しかしそれ自体は理解できないわけではないし、別に悪いことだとは考えていない。


オールラウンダーにそつなくこなせれば苦労はないし、新しいことに取り組むことで何か新たな発見が生まれることも否定はできない。


だが、金髪の彼女の考えは違った。


「私が興味があるのは前者の方。つまりスペシャリストの方だ。そんないい特性を持っているのに、周りの都合でホコリを被るのを見てられないんだわ」


初めて陽の本音、裏側を見た気がする。

最初に出会った頃の、クラスのムードメイカーみたいな印象が消えつつある。今の陽は新たな世界を見たがっている革命家のようだった。


「すげぇな。お前がそういうことを考えてるって。少し意外だよ」

感嘆の意を示しても、彼女の冷めた表情を変えるには至らなかった。


「ただ私は型通りの生き方に飽きただけさ。決まったレールの上を走らされても見えるのは同じ景色ばかり。そんなのつまんねーだろ?」

「そうか………うん、そうだな」


どう考えても普通の環境じゃ身に付かない思想や年頃の女子高生とは思えない言動に戸惑いつつも、その言葉につい肯定してしまう。


理由は単純、カッコいいと思ってしまったからだ。


いつの間にか陽はいつもの無邪気な表情に戻っていた。

「そうだ、秋!一緒に部活を作ろうぜ!」

突然なんの脈絡もない話になったので、怪訝な顔を示す。


ただの部活勧誘のためのトークだったのか?

「なんでそうなるんだよ、嫌だ」

「はぁ?もう少し考えてから結論を出せよな。色んな奴とワイワイ活動できるなんてきっと楽しいぞ?」

「読書時間とコーヒータイムを削ってまで部活とかやだよ。帰宅部でけっこうだ」


「じゃあ、その時間が削られなければいいんだな?」

一瞬、陽の言ったことが理解できなくて黙ってしまう。


「……いや、まて、そういう問題じゃ––」


「よし、じゃあ部活名は喫茶研究部!部活内容は喫茶の研究をする‼︎こうすれば研究の一貫としてコーヒーも飲めるし、読書もできるだろ?」


「ゴリ押しじゃねーか‼︎さっきの話と全然関係ねぇし………つーか、この際聞いとくが、どうしてそこまで俺に構うんだよ」

と質問した瞬間にそれは愚問だと直感した。


さっきの陽はスペシャリストを求めていた。


『私に持ってないモノをお前は持っている』


俺に構うのは、陽にそれを認められたからなのだ。

狡猾にも貪欲に、この女は目を付けていたのだ。


「秋、私らと–––」


白い陶器にも劣らない美しいしなやかな手を伸ばし、そのまま差し出す。


「–––世界を変えないか」


………陽が備えているカリスマ性によるものなのか、俺がただチョロいだけだったのか、或いは両方なのか、それは定かではないが、ある一点だけは確信していた。


「お前の力が必要だ」


コイツの思い描いた世界を見てみたいと、この時の俺は完全に魅せられていた。


・・・


「………カッコいいよ。陽は」


そりゃどうも、とおそらく数多の女子を落としてきたであろう余裕の表情で返礼される。


冷めたコーヒーを飲み干し、陽の顔をほとんど無意味に眺める。

その時にふと、陽に確認しておきたいことを思いついた。


「なぁ、あのさ––」

と言いきるまえに、扉をノックする音がしたため、そちらの方を向く。


「入ってどうぞ〜!」

それを拒絶することもなく、あっさりと入室を許可する。


「し、失礼しま〜す…」


カラカラと扉が開くと、そこに現れたのは、白く透き通るような肩までかかった白百合色しらゆりいろの頭髪と、紅玉石ルビーを嵌めたようなくりっとした赤い瞳を持った1人の少女だった。


前髪で顔が右半分だけ隠れているが、よく見ると整った容姿であることが分かる。もっとりとした丸みのある童顔が幼なげな印象を濃くする。シャツの上には学校指定のクリーム色のフード付きカーディガンを羽織っており、少々ラフな格好をしている。黒のスカートから伸びた白い足は細身で、女性特有のか弱さを表現しているようだ。そして華奢な見た目だがカーディガン越しでも分かる起伏は、より一層女の子としての魅力を最大限に体現していた。


その神秘的な印象からは雪の妖精や氷の天使を思わせ、まじまじと見つめてしまう。


「その、相談があって…」


こういう場に慣れてないだけなのか、どこかオドオドとしていてぎこちない。大人しい子なのかと感じさせる。落ち着かない彼女の体の動きに連動し、スカートがふわふわと揺れ動く。


「おぉ、君は確か隣のクラスの白神深冬しらかみみふゆちゃんじゃあないか、ようこそ喫茶研究部へ‼︎」


「むぎゅ」

と一気に間合いを詰めるとそのまま陽が抱きしめた。


もちろん当の被害者である白神さんは困惑の一途を辿っている。


「エェ⁉︎あの……?」

「あはぁ、すまなんだ深冬ちゃん、逃げないでくれ。これはここに入るための通過儀礼なんだ」

「んなことがあってたまるか」


(……というか、隣のクラスの子ってことは俺たちと同じ2年生なのか)


陽はこの白神さんのことを認知しているらしいので、知り合いなのかどうかを尋ねてみる。


「ちゃんと話したのは初めてだけど、顔は廊下とかですれ違って見てたから知ってるよ。可愛いし、ククヒヒ」

「怖いわ」


とりあえず今一番この状況について来れてないであろう白神さんをどうにかしないと。


「えっと…とりあえず座って。コーヒーしかないけど飲める?」

「あ、はい」


・・・


白神さんの分のコーヒーを作ると、改めてこの奇妙な茶会を再開した。


「えっと、喫茶研究部では、部活内容のひとつにお悩み相談もいるって掲示板に書いてあったのでここに来ました」


「え、掲示板?俺、初耳なんだけど」

「私らだけの宣伝と噂程度の口コミじゃあ限界があると思ってな」


(いつの間に……)

陽が勝手に宣伝してたのはともかくとして、白神さんの言う通り喫茶研究部はカフェや珈琲などの研究だけが部活内容ではない。


陽曰く、カフェとはコミュニティの場であり、それも部活の研究対象に含まれているという。いわゆるサードプレイスというやつだ。


この部活ができたばかりの頃は、たびたび陽が生徒を連れてきて話をしたりお茶会を開くなかで、気付けばお悩み相談所として機能していた。


それらを知った上で白神さんはここに来たのだ。


「てことはつまり…」

「はい、私の悩みを解決してほしいんです」

白髪の少女はそう言った。


「こ〜んな素敵なレディにも悩みが……そしてそれは一体なんなのか気にな………って、お?」


不意に何かに気付くと、おもむろに制服のポケットからスマホを取り出す。

どうやら何か連絡が来たようだ。


「うわちゃー、生徒会の奴らか。今いい所なのによぉ」


スマホでのやり取りを終えると、残りわずかなコーヒーを一気に胃へと流し込んだ。


カツンと勢いよくカップを置くと、陽はパッとこちらに顔を向ける。


「では秋、この件はお前に任せた!」


飲みかけてたコーヒーを吹き出しそうになりむせる。

「………はい?」


驚きを隠せないまま、聞き間違いではないかと確認する。

「こんなキューティクルな生き物の頼みとあれば、私も協力したいところなんだが、私がここにいると生徒会の奴らまで来るかもしんないしな。私は即退散しなければならない」

と言いながら白神さんの方に向き直る。


「これ、私の連絡先な。何かあったら電話なりLTライントークなりに連絡してくれ。まぁ、秋がいれば心配ないと思うけど」

よいしょと自分の鞄を持つ。


その様子を見やりながら、ふと思い出したことを口にしようとした。

「なぁ……陽」

「ん、なんだ?」

「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」


冷静に考えて、今その話を振り出せばもしかしたら長丁場になるかもしれない。

この話は別の機会に取っておこう。


そうこう考えているうちに陽が悪戯っぽい目でこちらを見返す。

「言っとくが秋。いくらこんな可愛い子ちゃんだからって手ェ出したら……分かるよな」

ニヤリと笑っているが、笑ってはいない。


「分かってる。変な心配すんな」

「まぁ秋がそんな度胸があるとも思えないんだけどな!」

あははっと今度は声を出して笑いながら部室を後にする。

釈然とはしないが、これ以上陽の冗談に付き合っても疲れるだけなので、静かに見送ることにした。


「えっと……信頼されてますね、秋さん」

「………」


過ぎ去った台風の跡のように、静けさだけが残された教室で、白神さんがフォローにもならないフォローを呟いた。


・・・


「あのー、本題に入る前に、確認したいことが。…えっと、勘違いならいいんですけど」

「ん、何?白神さん」

「お2人って付き合ってるんですか」

「ないな」

「即答ですね」


「てか、なんでそんなことを?」

「もし2人が付き合っていたら、私、お邪魔だったかなって」

「まぁ、アレとは一生分かり合える気がしないから、別にいいけど…」

今までも散々振り回されてきたことを思い出しながら言う。

「そうなんですか?」


「突然電話かLTが来て、『遊ぼーぜ!』って送られて来たりとか、んで、あいつ結構アウトドア好きだから、どことも分からないアスレチックの公園に連れてかれたり、海とか山とかに強制連行されたりとか……そもそも、この部活もあいつが作って、半ば強制的に入れられたし」

「そうだったんですか?でも、なんとなく秋さんのイメージと合ってる気はしますけど」

「あー…、それはどうも」

むしろ何で体育会系女子の陽がここにいるの?って方が謎だ。


「ちなみに、部員って2人だけなんですか?」

「いや、本当は3人なんだけど、もう1人は今日、休み。……ってか、むしろそいつの方が、陽のコントロールは上手いかもな」

「そうなんですか?」

「まぁ小さい頃から一緒に遊んでたりとかしてたらしいから、陽の考えることが分かるんじゃないか?」

「幼馴染ですか?良いですね、そういうの!……私にはそういう人、いなかったので……」

消え入るようにだんだんと声が小さくなる。


あとに聴こえるのは、学生たちの喧騒と吹奏楽部の楽器の音だけだ。

気まずい空気が場を支配する前に、白神さんが、コロンと首を傾げながら俺の背後を見る。


「あの、来た時から気になってたんですけど、……後ろの本」

「あぁ…これ」

と後ろを振り向きながら、彼女が気になっているモノを確認する。


そこには山というより、タワーのように何冊も積まれた本が、机の上に置いてあった。。それもひとつではなく幾つもの本のタワーが密集し、まるで高層ビルのジオラマのようだった。この部室に入ると、正面にそれがあるので凄く目立つ。白神さんが気になるのも頷ける。


彼女は席を立つと、その本の山々に近づき様々な角度からそれを眺める。

俺も席から離れ、書物のタワーの前まで移動する。

「これは俺の私物。とりあえず持ってきたはいいものの、持って帰るのが面倒だからここに放置してるだけ」

そこから適当に一冊を手に取り、本の表紙を見ながら言う。

白神さんもそれにならい、一冊を手に取る。

「ホントに沢山ありますねぇ。好きなジャンルとかあるんですか?」

あ、これ面白そう、と言いながら尋ねる。


「うーん…小説とかエッセイ見たいのはあんまり。漫画は好きだけど。どっちかと言えば、ノンフィクション物とか、学術書とか実用書とか、文字がびっしり書いてあって、眠くなりそうな本を読む方が好きかな?たまには簡単なのも読みたくなる時はあるけど…」

「ほへ〜、なるほどぉ。秋さんから滲み出る知的の秘訣はそこにあるんですね」

「何だそりゃ」


白神さんは手に持った本を元の位置に戻す。その時、近くにいた俺の腕に彼女のカーディガンの布地の感触が微かに伝わる。そしてさらに、ふわりと彼女の方から漂うほのかな甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。

(………なんか近い)

俺は結構、人との距離感を気にする方だが、彼女の方は特に気にする素振りを見せることもなく、トコトコと座っていた場所まで戻って行った。その動きが愛らしい小動物みたいで、ちょっと可愛い。


「どうかしました?」

「あ、いや、何でも」

白神さんは、その俺の様子を不思議そうに眺めつつ、カップを持ち上げ、そのまま口を付ける。

ん、とコーヒーを口に含みながら、その味に何か思うことでもあったのか、口の中で液体を舌で転がす様子が見てとれる。


コクンとコーヒーを飲み込むと、少しばかり目を輝かせながら彼女が独語まじりに呟く。

「さっきも思ったんですけど、このコーヒー、やっぱり美味しいですね」

「やっぱりって何だよ。けど、ありがと」

ぶっきらぼうに口では言いつつも、実は内心、めちゃくちゃ嬉しかったりする。


白神さんがもう一口を飲む。

「…うーん、なんというか、飲みやすい?後味がスッと引いて、スッキリしてて苦味が残らないですね。インスタントとはまた違う、ような…?」

「まぁ、インスタントとか、缶コーヒーと比べたらな、流石に–––––」


–––––あれ。

ちょっと待てよ。


「–––––って危うく話し込むとこだった!ちゃんと本題に戻そう。白神さんも一応、相談があってここに来たんでしょ」

「あはは…そうでしたね。すみません」

あぶねぇ、つい話し込むところだった。このまま気付かなかったら、うやむやになって終わるとこだったぞ。


「ちゃんと話します」

そう言うと彼女は目を閉じ、胸に手を当て大きく深呼吸をする。


「………」

空気が変わったのを肌身で感じる。

無意識のうちに姿勢を直したくらいだ。

呼吸を整え決心がついたのか、真っ直ぐこちらを見据えた彼女の口から、それは語られた。



「私、変わりたいんです」


・・・


「…どうしたら自分を変えられるでしょうか?」


彼女の口から出た意外な質問に、中々に高難易度だと秋は感じた。

底が見えない、と言うか不気味さ、奇妙さを思わせる。

「…それはまた、大雑把というか……内面の話だよな………どうして?」

別に話してて何か不快に思うことなどはなかったが。


そう尋ねると白神さんは目を伏せながら喋る。

「私、昔から注意散漫でして、そのことが原因でよく先生とかに怒られてました、あはは…」

笑顔で話してはいるが空元気なのは明白だ。そんな白神さんも徐々に表情が暗くなっていき、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。


「そんな感じだからクラスの中でもかなり浮いてたというか、多分避けられてたと思います。でも直そうと思ってもすぐ直せなくて」

さらに白神さんは続ける。

「高校でも気が散らないように工夫して過ごしてきました」


「そう、か…」

上手く返答できたか自信はない。

「でも今年こそは変わろうって。このままじゃダメだって思って、それで…………」

「……なるほど、うん、ありがとう白神さん」


白神さんの旨は伝わった。

にこりと秋が軽く微笑んだあと、視線を隅に泳がし、自分の顎先に手を触れ自分の世界へと入る。


(しかし、何か引っかかる)


どうも今の彼女は、どこか窮屈そうだった。まるで外に出て大空を飛び立ちたい籠の中の小鳥のように。

顎先に添えられた手は、口元を覆うように無意識のうちに動いていた。それは秋が考え事をする時の癖だった。


昔の白神さん、今の白神さん、そしてさっきの質問攻め、ここに来た経緯、自分を変える方法………。


……あ、そうか。


いくつもの情報のピースが合わさり、それはひとつの線を繋いだ。


「白神さんは–––」


ぽつりと言葉を零す。

それに反応し、白神さんが顔を上げる。


「–––白神さんは、別に変わる必要がないんじゃないかって俺は思う」


はっきりそう言った。


「………え?」


なんとなく予想はしていたが、そんなことを言われるとは夢にも思って見なかったのだろう。

かなり動揺しているように見えた。


「そ…それ、は、どうして?今ここで変わらないと、私はまた昔みたいに、繰り返して––––」

「落ち着いて、白神さん、話をきいてくれ」


再び俯くことで長く白い前髪がカーテンのように表情の半分を覆い隠す。


「俺は……白神さんが注意散漫な人ではなく、ただ好奇心旺盛なだけの普通の女子ひとだと思ったんだ」

彼女の顔が上がり、視線がぶつかる。


「…どういうことですか?」

それは否定的、というよりは興味本位で聞いてるような口振りだ。

徐々に落ち着きも取り戻しつつあった。


ことさらに小さくせきをする。

「ただ単に注意散漫なだけであれば、それは集中力の問題だと思う。でもこうして話してて、そういう素振りは感じられなかった」


「うーんと…つまり別の何かが原因ってことですか?」


「というより根っこの部分というか深いところというか………白神さんの内面にあると思うんだ」

と少し間を空けて、白髪はくはつの少女に質問を投げかける。

「白神さんはビッグファイブって聞いたことある?」

ぶんぶんと首を横に振る。


「人間の性格には『誠実性』『協調性』『神経症的傾向』『開放性』『外向性』のそれぞれ5つの因子でできてるっていうのが、ビッグファイブ理論の基本となる考えなんだ。で、それぞれテストを行なってスコアを出すことによってその人の行動傾向について多くのことが分かるっていうものなんだ」


過去の研究者達は、人々の性格を分析しようと、様々な測定方法をあれやこれやと利用してきた。しかし異なるパーソナリティ、バラバラな測定方法は、成果を出すどころか混乱を招くだけだった。


だがあるとき、それらの無駄を排し効率を求めることで、ビッグファイブと呼ばれる新たな方法が登場し、これまでの概念がひとつに統一された。

これがビッグファイブ理論の始まりだった。


「ざっくりだけど、こんな感じ」

「私の内面……あ、だから性格、ですか」


うん、と深く頷きながら、話を進める。

「分かりやすいのだと例えば外向性。これが高い人は、明るくて活発的で社会的な交流みたいのが得意、ていう特徴があったりする」

「陽さんみたいな感じですね」


「そうそう。で、この理論で白神さんが今、問題にしているのがおそらく開放性という概念だ」


開放性とは、新しい考え、人間関係、環境などをどのくらい受け入れるかを表すもので、このスコアが高い人は、芸術や文化、新しい事柄などに強い関心を示す特徴があるという。


「まぁ、簡単に言えば好奇心旺盛な人のことだね」

「なるほど…」


と頷いたあと、年柄の女の子らしい悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「というか、秋さんがこんなに饒舌じょうぜつになるなんてビックリしました。もっと無口な人かと思ってました」

「…やめてくれ。恥ずかしい」


素に戻りかけて、羞恥で顔に熱が帯びていくのを感じ、片手で覆い隠す。

「いいですね、とても。面白いです!」

しかしこれにより、さっきまで感じた違和感がなくなり、すんなりと合点がいく。


集中力が低いのではなく単に興味、関心欲が異常に高い。

さっきまでの会話(質問攻め)なんかもこれで説明がつく。

掲示板を見てここに来たというのも、その好奇心の高さと行動力を裏付けているようなものだ。


「とまぁ、つまり白神さんの悩みは内面的な問題で、ただオープンな性格なだけだから無理して変わる必要はないんじゃないかって思うんだけど……どうだろう?」


それを聞くと白神さんは再び難しい表情に戻ってしまう。

「でもつまりそれは、言い方、表現の問題であって……結局、何も解決できてないと思います」


確かにその通りだった。

良く言えば、好奇心に満ち溢れ。

悪く言えば、注意散漫になりがち。


負の感情からか、白神さんの陰りは一層厚くなったような気がした。

「だけど白神さんの『変わりたい』という願いは、自分自身への否定だと俺は感じた。それには少し賛成しかねる」


そもそも最初の質問が間違いだったのかもしれない。


『私、変わりたいんです』


変わることが目的になってしまっている。

変わるとは目的ではなく、結果であると秋は考えている。

白神さんの望みは、変化ではなく、演技、ただなりきるだけだ。

それではダメだと思う。

本来の自分を抑制しても、悪い結果として本当の自分が漏れて出る可能性があるからだ。隠してる本人からすればストレスだろう。


「それに–––」

ジッと見つめる。

当の本人は、疑問の表情を浮かべながら、視線を返す。


「ここまでの会話すら、白神さんは楽しんでたんじゃないのか?」

「ぁ………」


今までのことを振り返った白神さんの頬が赤く染まるまで、そう時間はかからなかった。


人は一度に新しい情報を絶え間なく出されると、その膨大な量と刺激に圧倒され、精神疲労を引き起こしてしまう。


しかし白神さんは逆に、それらを発見したり、考えたりするのが楽しくて、嬉しくて、喜ばしいことであるかのように振る舞っていた。

だからこんな回りくどい俺の説明にも予想通り食いついてきた。


頬の赤みが抜けきれてないチグハグな彼女の様子を眺めながら、構わず続けた。

「むしろ白神さんもそっちの方が気楽で良かったりするんじゃないか?『変わる』んじゃなくて『受け入れる』方が」

「受け入れる…」

と静かに呟く。


思考、そして判決ジャッジする。


その言葉をゆっくり咀嚼し舌で転がしながら丁寧に味わうように。


「…そうですね。たしかに今までは息苦しいような、水の中で溺れているような感じでしたが、今は少し楽な気がします」

「うん、それなら良かった」


つまり息苦しさを感じていたのは、本当の自分の個性を押し殺して、生活していたからだろう。

当然ストレスが溜まる一方だ。

そんな精神状態で日常生活を送り続けたら、神経がすり減るのも頷ける。


「自分の性格ってのはそう簡単にコロコロ変わったりはしない。ある研究によれば、人の性格の40〜50%は先天的な遺伝によるものだと言われている。その気質はその人自身のものだ。とりあえず自分がどういう人間かって少しでも理解しただけでも一歩前進なんじゃないかな」


『汝自身を知れ』とはソクラテスの言葉である。

他にも言い方はあっただろうに、我ながら下手な励ましであるが今の白神さんにはそれで充分のようだった。


「うん……そうですね。ありがとうございます、秋さん」

ちらっと窓の外を見て、再び視線を戻す。


「とりあえず今日はもう遅いので、そろそろ帰りますね」

「あぁ、そうだな……もうこんな時間か」


外を見ると、日が沈み始め、周囲の景色は夕日で赤く照らされていた。暗くなるまでそうかからないだろう。


白神さんは自分の荷物を持ち、扉の方まで歩いたところで一度振り返る。

その顔は最初見た時の大人しそうという印象をひっくり返すような高揚感に満ちた表情をしていた。


「コーヒーごちそうさまでした。美味しかったです。今度来たら銘柄も教えてください」

そう言う彼女は、どこか陽の姿と重なった。


「あはは…オッケ。また何かあったらここに来てな」

「はい!」


しかし去り際、チラリと見えたどこか遠くを見つめるその表情は、何か良くないものの片鱗を感じた。


こうして白神さんは喫茶研究部の部室を後にした。



彼女の冬はまだ終わらない––––

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