Episode.1
耳元でけたたましい音が鳴り響いている。
耳が痛い。
枕元に置いてあるはずのスマホを探り当てると、
あと五分だけ……という誘惑に負けそうになったが、二度寝がどれほど危険な行為か蒼空は既に身をもって経験している。
五分のつもりが次に目覚めた時は一時間後の世界にワープしているに違いない。
仕方なくベッドの温もりに別れを告げ、ようやく起き上がった。
「ふあぁ……」
あくびをしながら階下に下りると、そこには昨日と全く同じ光景が広がっていた。
玄関からリビングに向かって、黒い物体が点々と落ちている。
靴下、靴下、ネクタイ……。
蒼空はそれらを一つ一つ拾い上げ、まとめて洗濯籠に放り込んだ。
(今日もか?)
そう思いながらリビングへ足を運ぶと、予想通り父親の
大きい身体で足を投げ出し、何だか窮屈そうに寝ている。
仕事が忙しいのだろう、最近は帰りが遅い事も多く、ご飯を食べた後そのまま寝てしまう時もある。
蒼空はソファの近くまで静かに歩いて行くと、そんな父親の顔をじぃっと見つめた。
きっと疲れているんだろう。
少し無精髭が伸びてきた颯汰の頬にそっと手を触れる。
「んん……」
突然颯汰がむにゃむにゃ言い出したので、蒼空はびっくりして手を引っ込めた。
起こしてしまった様だ。
「ん?あれ……俺またソファで寝ちゃったのか……」
「目、覚めた?会社行く前にシャワー浴びていきなよ」
「え?今何時?」
「7時過ぎだけど」
「ええっ!今日は7時半から大事な会議があるんだよ!」
颯汰はソファからガバッと起き上がると、突然慌て出した。
「知らないよ、聞いてないもん。ご飯どうするの?」
「メシはいいや。まあ、シャツだけ替えれば大丈夫か。洗濯したの乾いてるだろ、あれ出してくれ」
「はいはい」
颯汰が洗面所で顔を洗っている間に、蒼空は引き出しから新しいシャツを出しネクタイと一緒に手渡した。
「ああー、何でこんなとこで寝ちゃったんだろ」
ぶつぶつ言いながら着ていたシャツをソファに脱ぎ捨てると、急いで新しいシャツを身に着ける。
「じゃあ行って来る!お前も気を付けて行けよ!」
手にしたネクタイをぶんぶん振り回しながらそう言うと、颯汰は慌ただしく出て行ってしまった。
バタン、とドアの閉まる音がする。
(あ、後ろの寝癖……言う暇無かったな。いつ気付くかな)
鳥のしっぽみたいにぴょこんとハネた颯汰の後ろ髪を思い出し、蒼空は思わず微笑みながらソファに腰を下ろした。
(あ……)
颯汰が置いていったシャツが目に留まる。
蒼空は、まだ温もりが残っているそのシャツをゆっくりと手に取り、ぎゅぅっと抱きしめた。
颯汰の匂いがする。
小さい頃は蒼空が泣いたり甘えたりすると颯汰がよく抱きしめてくれた。
蒼空はそれが嬉しかった。
心が安らいだ。
あの時と同じ匂いがする。
もう少し、もう少しだけこのまま、こうしていたい……。
それは、父親の颯汰に“父親以上”の想いを寄せている事だった。
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