3-7 足りない

 私は走った。ただひたすらに、牛乳を求めて走った。

 そして、牛乳に呼ばれるまま走り続けてたどり着いたのは、乳神商店だった。

 私がギャルになってからは一度も来ていなかったけど、やはり体が覚えているみたいだ。


 店内に入ると、脇目も振らずにレジ横の牛乳のもとへと向かう。冷蔵ショーケースの中には、以前と変わらず様々な種類の牛乳が並んでいた。


 これこれ、このラインナップを求めてたんだよ。

 どれにしようか、とりあえずあっさりした口あたりのやつで……。

 などと考えていたところで、ふと私は自分の握りしめている財布の中身を確認する。


 ……足りない。


 さっきカラオケ店で、律儀にお金を置いてきたから、もう財布の中身はすっからかんだ。

 カラオケの値段がわかんなかったから、とりあえずお札をぜんぶ置いてきたのがまずかったなあ。

 これでは、どの牛乳も買うことはできそうにない。

 絶望しかけた私だったが、それでも顔を上げる。するとそこには、一筋の希望があった。


『ぶっ飛ぶ味わい 時空ミルク ―― 時価』


 そうだ、時空ミルクなら今の私でも買えるかもしれない。

 私は今にも噛みつかんとするかの勢いで、レジのおばあさんに尋ねる。


「時空ミルク、今日はいくらですか?」


「83円だよ」


 ……払える! 

 しかも、狙い済ましたかのようにピッタリじゃん! 

 ミルクの神様ありがとう!


 私は財布の中の有り金をすべて渡して、時空ミルクを受け取った。

 そして、店を出るやいなや、ノータイムで蓋を開けて牛乳を口へと運ぶ。


 この感じ、いつぶりだろう? 

 混じり気のない牛乳って、こんなに美味しかったのか。

 長きにわたる断食の後、久しぶりの食事に歓喜した体が、隅々まで栄養を巡らせるような、じんわり心地よい感覚。


 ――懐かしい幸福感に包まれながら、私の頭は真っ白に染まっていった。



 ****



「あのさあ、時空ミルクをそんなホイホイ飲まないでもらえる? 普通の牛乳とは、わけが違うんだからね?」


 靄がかかったように真っ白だった頭の中が晴れてきて、私はようやく目の前の美少女、乳神様の姿を認識する。


「そんなことわかってますよ! 時空ミルクがそんじょそこらの牛乳とは比べ物にならないぐらい美味しいってことは! 私を舐めないでもらえます?」


「いや、味の話はしてないんだけどね」


 乳神様は、私の主張に困惑している様子だった。たしかに私は、牛乳の美味しさの後遺症で頭がぼーっとしていて、ちょっと論点のズレた発言をしてしまったかもしれない。


「そもそも、今回は友達もできて、楽しそうにやっておったではないか? いくらお金がないからって、時空ミルクを飲まなくても……」


 少しあきれ気味の乳神様だったが、気にせず話を続けてくる。


「まあたしかに、あの場で買えるのは時空ミルクだけでしたけど、いくら私でもそんな理由だけで飲まないですよ。もしかして、私のことバカだと思ってます?」


「こと牛乳に関しては……まあ」


 ここは、そんなことないよ、って言うとこだよね? 

 神様って、けっこうひどいんだなあ。

 まあ、まがりなりにも相手は神様だし、バカにされても文句は言えないんだけど、こっちも言いたいことは言わせてもらおう。


「乳神様の言う通り、今の私は友達もいて、オシャレもして、キラキラした高校生活ではありましたよ。でも、決定的に何かが足りなかった。そう、その足りない何かというのは、ズバリ――」


「牛乳じゃろ?」


「いや、『自分らしさ』ですよ。無理してギャルっぽく振る舞うことで、自分らしさを失くしてたって話ですよ。なんですか、牛乳が足りないって。給食大好きわんぱく小学生ですか?」


「なっ……謀ったな! ミルたんのくせに!」


 なぜか乳神様は悔しそうだった。勝手に牛乳とか言い出したのはそっちなのに。


 ――――ミルキートリップ!


 そして、この会話を一方的に遮るように唱えた乳神様の呪文によって、私の意識は飛ばされていった。

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