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お久しぶりです~
最近すこしだけ忙しくって、随分久しぶりに小説を読ませていただきました。
いやあ、面食らったとは正にこのこと。フェイントにガードが下がったところをアッパーカットがクリーンヒットしたようなもの(格闘技とか一切知らないので雰囲気で言ってます)
冒頭はちょっと「ん?」ってなったんです。というのも、「なんだこのおっさん」と。人の話は聞かなかったり、自分の中で完結していたり、相手を子供と見て侮っているような、それも”悪意”なく。悪意なく読者までをもイラつかせます。ジェネレーションギャップの負の側面が絶妙に描かれていると思います。
そんな冒頭から始まったのに、最後にはこのおっさんのことが好きになりました。なんだかぐっと共感しました。
おっさんの印象ががらっと180度変わるのは、それこそ異世界転生並みの変わりようと言いますか、それぐらい衝撃的です。
物語として、駄目な主人公が様々な経験の末、成長していき、そこに読者から共感と賛同、そして好感へとなる物は多いと思います。
こちらは、それらとは異なり、おっさんが特殊な経験をしますが、何もそこで試練に直面し、成長している訳ではないですよね。
試練ではなくて、回顧と内省、自問自答とか、そんな言葉で表現できる心の内面での活動によって、このおっさんの冒頭とは異なる一面と言いますか、読者に強く訴えかけるものが描かれている。そんな風に感じました。
P.S. ご報告
実は、こちらの企画に投稿する作を書き上げて直ぐにこちらを読ませて頂いたのですが、先ほど申し上げたように面食らいまして、「こんなものではお出し出来ない」といたりまして。今、推敲中です。というよりも書き直していますので、今しばらくかかります。
作者からの返信
杜松の実様
お忙しかったんですね、お元気で何よりです。前はTwitter大喜利でよく見かけていたのに(本当かよ!)
自主企画は参加者の皆さんの広場で、主催者が自作をガンガン宣伝するのは褒められたことではないかもしれませんが、
最近はサンプル的なものを気軽に出していたために、企画終了後下書きに戻すことが多く、「こんなん嫌だなあ」と思っていました。
どうせ時間を割くなら、ちゃんとしたものを書きたかった。今回はなので結構がんばりましたよ。
でも、そんなに言ってくださるとは思っておらず、いつも私が物語に込めている思いを一番と言っていいほど汲み取ってくださる杜松さんからのお言葉は殊更うれしいですね。
私の高校時代の苦い思い出は、世間ではありふれている言葉を誰にでも当てはまるだろうと、和輔みたいにうっかり言ってしまい、若干顰蹙をかってしまったことです。
やはり自分だからこその人生とか、心から出た言葉じゃないと、人には届かないし響かないものだな、と思います。
杜松さんが言ってくださったように、私はあんまり極端な世界とか物語は「性に合わない」し、好きではないんですね。私はそういうふうに人生を見ていないし、そんな経験もない。そこまで大きな試練も成長もなく、でも、何かがじんわりと感じられる話が書けたようで、良かったです。
杜松さんのお話も楽しみにしています。私のこれで影響が出るとはびっくりですが、より納得され、進化したものが読めるとすれば、楽しみですわー。
気長に待てるので、よろしくお願いしますね。
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タクシーの運転手さん……サイコー過ぎますね。もう、何言っても無駄というのか……、超然さがたまりません……。
「日本人は真面目すぎるんですよ。そして日本の道路は狭すぎる、そう思いませんか?」、このセリフにものすごい笑いましたね……。いや、普通のこと言ってるんですが……なぜがツボでした。
作者からの返信
椎名さん
ちょっと長い感じの話ですが、お読みくださりありがとうございます。
タクシーの運転手さんですが、取り上げていただいたセリフ、実は元々なかったものを後で蛇足的に付け足してしまったんですよね。
しつこくないかぁ? と不安もありましたが、ツボってくださり良かったです(喜)。
「日本の道路は狭すぎる」このセリフは私の家族がいつも言います。
その度に私は「外国の道路、見たことないくせに」とつっこんでいますね。
多分、外国は広いんでしょうね(イメージ)。
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崇期さん、感想遅くなり、申し訳ありません。こちらの「初恋」、「とぅるーInゼリー杯」の折、一度拝読させて頂いていましたので、一番後回しになってしまい、すみませんでした。あの折は、まわり中、爆笑や苦笑だらけの作品群中、唯一、どう笑えば良いんだろうと戸惑ってしまって、力作の割にあまり印象に残らなかったように覚えています。今回、笑いという前提や先入観から離れて落ち着いて読ませて頂き、微妙に純文学臭の香る、非常に生真面目な、面白い作品だったことに気づかされました。エピソードの最初の部分では、友未自身が二十台の頃、あるよその奥さんと友達になってしまい、ふたりとも調子に乗って何の罪悪感もなく電話や手紙を頻繁にやりとりしていたら、ある日突然、旦那さんからお叱りの電話をもらってしまったことを思い出さずにはいられません。この小説の設定とは少し意味合いは違いますが、今思い出しても自分たちの非常識さに冷や汗の出る思いです。さらにイケナイことに、その後もふたりでこっそり連絡を取り合い続けていたとか。和輔の真清への視線はこれとは異なり、最初から自分を下に位置づけて見上げているような、情欲というよりは敬意や憧れを強く感じさせるものですネ。そこが和輔の情けないところであり、そういう自分を自覚しながらも足掻くのではなく茶化しながら妥協してしまっているところも、普通ならダメ出しされてしまいそうですが、友未は案外、そういう弱い人間が好きなのです。自分を受け入れられないことくらい不幸なことはありませんし、和輔には自分を知った上で受け入れているが故の我が道を行くしたたかさのようなものも感じられました。前半では、「同じ言語で生きられると思ったのか」という名言の見事さに唸らされます。中間部にはファンタジーというよりは心象風景と呼びたくなるような面白さがありますネ。ただ、本当にこうした世界に没入して行きたい人なら、読者には知らん顔をしてもっと淡々と、事実だけを書き連ねて行ったのではないかという気はしました。「喫茶店はどこへ消えたのだ?記憶喪失……すぐに首を振る。身に余る出来事をにわかには受け入れられない。」とか、「もしかして、時間を遡ったのか?過去にワープしたのだろうか。」といった文章には、作者自身を興ざめさせてしまいそうな白々しい虚しさがあります。文章は常に作者の自己表現であって欲しいと思うのですが。続く図書館の再現シーンは、崇期さんの述べられていた通りの俯瞰図でした。四十七歳の和輔を高校生の真清が普通に「正木君?」と認める所がとても良かったのに、ここでも「彼女の目に自分がちゃんと高校生だと映っていることが不思議だった。なんのマジックが発動しているのだろう。これが異世界なのだろうか。」と、なぜ作者自ら不条理を放棄してしまう必要があるのかと口惜まれます。和輔のいかにも和輔らしい初恋がちょっぴりペーソスで、真清や女子高生たちの眩さが懐かしさで一杯でした。
とはいえ、この「初恋」、やはり、いわゆるユーモア小説やコメディ小説という感じではない気がします。悲劇やつまらない物事も俯瞰すれば喜劇に見えると言いますが、ラストシーンやタクシー運転手の台詞をのぞけば、友未には笑える要素があまりなく、崇期さんの考える笑いってどんなものなのだろうと、逆に興味をひかれました。
作者からの返信
友未さん
ご企画お疲れ様です。6月に入ってから順調に夏バテ中でして、情けない感じで過ごしております。友未さんはいかがお過ごしでしょうか?
いつも丁寧な感想をありがとうございますm(_ _)m
今改めて振り返ってみれば、このお話は自分の思い出が強く出張ってきて、少々まじめに書きすぎた感はあったかなぁと思います。
今でもそうなのですが、好きな商業作品、となると、ギャグと同じくらいシリアスなヒューマンドラマが大好きで、そこに一部分笑いの要素も入れたもの、とかを考えていた事がありました。その方が自分の性格や好みに沿える気がしてですね。
ご指摘の部分、確かに説明なしに不思議な状態やニセ異世界の存在を味わう事もできるな、と思わされました。今後書いていく上で意識を変えて「どうなるか」実験してみます!
何せ、プロットも小説論などもほとんどないままに感覚だけでやってきた人間ですので、こうやって他の方の意見を伺ってみると、とてもおもしろいし、拙さについてはお恥ずかしい限りです。
今はあまり執筆活動に時間が割けなくて、カクヨムを覗けていませんが、また企画もやるつもりですので、その際は応援いただけるとうれしいです、というか、どういう形であれ、応援よろしくです!