【長編】斬刃(きじん)の姫

ふろたん/月海 香

第一章

第一部

第1話『シオ、殺される』

 わかったのは、鈍く光る槍のような物が己の腹を貫いたこと。

シオ・タマカズラは痛みよりも熱さを腹部に感じていた。

そして己を庇って共に腹を貫かれた黒い鬼のような面を被った男が、一緒にコンクリートの上にゆっくり倒れる光景をシオはスロー映像のように見ていた。

いつものシフト終わり、夕飯の足しになればと買ったコンビニチキンと好きなチョコレートの小箱が枯葉のようにコンクリートに落ちる。

男は面の下で瞳孔を開いて、十八になって間もない少女が死にゆく様を悲痛な瞳で見ていた。

シオは、この槍が腹から抜けたら血が抜けてさぞ寒いのだろうと思うと同時に、この人も死んじゃうのかな? と、無意識に両の手のひらを男の頬に添えていた。

「泣かないで」

自分が死んでも泣かないで欲しい。思いを伝え切る前に、シオはコンクリートに背中を打ちつけ……意識は途切れた。




 次に見たのは、知らない天井だった。自分の部屋の丸いLEDではなくオフィスビルや病院にありがちな細長い電灯が見える。シオは瞬きを何度かして、自分の腹をまさぐってみる。

穴はない。ないが、鈍い痛みが残っている。

(生きてる……のかな?)

シオはそのまま頭を動かさず、廊下を何人もの人間が行き交う気配を感じ取った。

(病院にしてはガヤガヤしてると言うか……)

ふと誰かがシオが寝ている部屋の前で立ち止まった。

「様子はどう?」

「はっ、自分が朝見た限りでは変わりなく」

若い女性の声と部下らしき男性の声。シオは首を動かして左下に見える白い扉を見つめた。

「そう。ま、無理もないんだけど……。特別保護区のお嬢さんだし早めに返してあげたいよねー。お疲れ様。変わりなかったら交代ね」

「は!」

病室に入って来たのは金髪碧眼、ポニーテールの女性。彼女は目を覚ましたシオの顔を見て驚いた表情のあと、笑顔になった。

「驚いた。おはよう眠り姫。具合はどう?」

枕元に立った警備員のような防護服の女性はまだ二十代といった顔立ち。白人系でヤポン語を滑らかに話しているところから、アメリカ共和国本土の出身だろうかとシオは推測する。

「え、と……」

「戸惑うのも無理ないよね。大怪我したの、覚えてる?」

「はい」

「傷跡は酷く残らないってさ。緊急事態だったからあたしたちの所で手術になっちゃったけど、正規の病院にこれから送るから安心して」

「ここ、病院じゃない……んですか?」

「違うよ。病室ではある。けど、街中の病院じゃないの」

シオは女性の青い瞳を、彼女よりも深い海色の瞳で見つめる。

「ん? なに?」

「あの、鬼のお面の人が……一緒にいたんですけど」

「ああ、彼はとっくに怪我治してピンピンしてるから、安心して」

「そう、ですか」

シオは女性から視線を外すと再び天井を見つめる。

「随分静かだけど、大丈夫?」

「あの人……泣きそうだった」

「ん?」

「お面の人。私が死んじゃうから、悲しそうだった」

「ああ、まあー……そうね。結構落ち込んでたかな」

「お面の人には、会えますか?」

「もちろん。呼んでくるよ。そのまま待ってて」

「はい」

女性はシオににっこり微笑むと、踵を返し病室を出る。そのまま、部下と一言二言交わし廊下を早足で歩いていった。


 シオはじっと天井を見つめて彼女と面の男を待った。その間、いくつもの気配が廊下を行き交うのを耳や皮膚で感じ取る。

(人間じゃないのがいるな……)

シオは生来から霊媒体質で、人間とは明らかに違う者たちと何度も遭遇して来た。それもあり、スポーツを大抵こなせても一つの部活やグループには所属せずあちらこちらを行き来していた。

中学も高校も、最初は熱心に部活に誘う先輩や同級生も最終的にはシオの自由を理解してくれた。

だがそれはシオが美しく運動能力に長けていたゆえの容認であって、決して霊媒体質による事情を汲んだ訳ではなかった。彼女は母親と弟以外の人間に霊媒体質だと明かしていなかった。


 廊下を大股で歩く人間の気配を感じ、シオは白い扉を見た。一瞬と間をおかず開かれた扉から黒い鬼の面の男が現れた。彼は一度も立ち止まらずシオの枕元に歩いてくる。

「あ、こんにちは」

シオは海色の瞳で男をじっくり観察する。

黒い髪は洒落っ気もなく短く切り揃えられ、剣道部や弓道部の男子のようだ。面の下から見える瞳は黒く、肌艶からして年齢は二十代。金髪の女性とそう変わらないように見える。そして会った時と同じように金髪の女性と揃いの物だとわかる警備員のような防護服を身につけていた。

「……具合は」

「まだじんわりお腹が痛いですかね」

「……そうか」

「あなたは怪我大丈夫ですか?」

「問題はない」

「そうですか。よかった」

海色の瞳と黒い瞳はお互い吸い込まれるように見つめ合った。倒れた時と同じように。

「……かばってくれたんですよね? ありがとうございます」

「礼を言われる資格はない。怪我をさせた」

「んー、でも、あなたが庇ってくれなかったら私死んじゃったと思うし……助けてくれたし。だからありがとうございます」

男は面の下でまた、悲痛な表情をした。

「泣かないで」

「……泣いてなどいない」

「でも、泣きそう」

シオは左手を伸ばして傍らに立つ男の手を握った。男は驚いたのか、一瞬体をこわばらせた。

「私が死んでも悲しまなくていいよって言った気がするんですけど、伝わってました?」

「…………」

男は返事をしなかったが、シオの柔らかくも肉刺マメだらけの手を優しく握り返した。

「あー……エヘン、オホン。いい感じのところお邪魔して悪いんだけど」

シオが首を動かすと先程の金髪の女性が入り口の近くで腕を組み立っていた。

「追加で二、三日見て容体が安定してるなら一般病院に輸送だってさ」

「……わかった」

男がすぐシオの手を離して立ち去ろうとしたため、シオは彼の手を強く握って引き留める。

「あの、お名前は?」

「……ここでは、見たものに関して質問をするな。全て忘れろ」

男はシオの手を振り解いて部屋から出て行く。

「あ……」

金髪碧眼の女性は出て行った男を見て肩をすくめ、代わりにと言わんばかりにシオの傍らに立つ。

「ごめんね愛想なくて。悪い奴じゃないんだけど必要最低限のことしか喋らないのがたまきずで」

「……あなたも、名前は教えてくれないんですか?」

「うん、ごめんね。あたしたちのことはホントすぐ忘れて。それがあなたのためでもあるから」

シオの悲しんだ顔を見てか、女性は年下の少女の頭を撫でた。

「よく休んで、元気になって」


 その晩、シオは鬼面の男と金髪ポニーテールの女性のことを考えながら眠りについたが、子供の泣き声を耳にしてぱっと目を覚ました。

「うっ、ひっく……」

(女の子……?)

シオは布団を剥ぐと身を起こした。不思議と腹の痛みはなく、さっとベッドから立ち上がる。

(これ、夢かも)

子供の頃から霊媒体質のシオは金縛りや不思議な夢の経験があり、経験したことのある体の感覚からまだ夢の中にいることを理解した。

「ひっく……ええん……」

シオは病室から抜け出すか悩んだ。夢の中では子供の声だからといって相手が子供とは限らないし、無害である保証もなかった。しかし、

(悲しいんだ……)

少女が深い悲しみから泣いていることだけはわかり、シオはドアノブに手をかけた。


「おーい、どこにいるのー?」

 シオは緑の非常灯だけが灯る廊下を一人で歩く。少女の泣き声はするものの、場所までは分からず声を出しながらガラス窓や扉の覗き窓を見て歩いた。

しばらく歩いて、広い廊下に差し掛かる。その突き当たりに重厚な金属の扉を見つけ、その前にしゃがむ金髪の小さな女の子の姿を見た。

「ん、あれ?」

見たと思った少女の姿は一瞬で消えてしまい、シオは首を傾げながら扉に近付く。

扉は重く、暗証番号で管理されているのか無骨な金属の数字キーが扉の真横に設置されている。

(古っ! 今時顔とか声紋認証じゃなくて手打ち……?)

「おーい」

扉を叩いてもペタペタと言う音が虚しくするだけで、とても開きそうにない。仕方なくシオは数字キーに手を伸ばす。

「……十六進法じゃん」

よく見ればキーは数字だけでなくAからFのキーも存在していて、とても当てずっぽうでは開けられないと彼女は気付いた。

「ええー……どうしよう。一二、三四、五六じゃないだろうし……」

シオは擦り切れたキーから暗証番号を推測すると言う映画などでよくある手口を思いついたものの、十六進法が混ざった段階でどちらにしろ無謀な試みだと考え直し頭を上げる。

「これは夢だ、夢。そうそう」

夢なら夢なりの方法がある、とシオは以前夢の中で悪霊から逃げ延びた時のことを思い出す。彼女は扉から遠くに離れるとスタンディングスタートの姿勢を取る。

「扉はあってないようなもの!」

シオは扉に向かって駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る